文/中国の大法弟子
【明慧日本2018年7月3日】私は今年79歳で、1996年から法輪大法を修煉しました。修煉する前、私は脳梗塞、頭痛、リウマチ、胆嚢炎、いぼ痔など病気だらけで、常に風邪や病気になり、ごはんを食べるように薬を飲んでいましたが、どの病気も治らず死にたくなる程の苦痛で毎日を過ごしていました。
1996年弟が法輪功の修煉を始め、わずか2日で10年も続いた関節リウマチとリンパ腫の症状がなくなりました。私は弟の身体から法輪大法の不思議を感じ、自分自身も修煉を始めました。修煉して間もなく、私も病気がなくなり、無病の状態を味わうことができました。それから私は法輪大法を修煉する意志を固くし、こんなにも良い功法は他の人が修煉しなくても、私は絶対続けようと思いました。
一、正念で病業の関を乗り越える
ある日私のいぼ痔が突然発生しました。修煉する前はずっと薬を飲み手術もしましたがまた再発し、時には症状がひどかったのです。今回は連続して3日も排便できず、出血や痛みが治まらなかったので、私は空腹のためバナナを食べたり、漢方薬を買いました。その時修煉者である娘が来て私に「これは病気ですか?」と聞きました。私は突然悟り病気ではないと答えると、娘は「病気でないなら、これらの物を食べる必要があるかな」と言いました。娘の言葉は私にこれは常人の思考と行為と、自分の間違いを気付かせました。病気ではないなら、怖がる必要もない! そう思った私はすぐに起きて座禅を1時間しました。4日目にまだ症状は良くなっていなかったのですが、自分は修煉人で何も恐れる必要がないと思いトイレに行ったら、なんと出血は少しありましたが、スムーズに排便できました。5日目はいぼ痔もなくなりすべてが正常に戻りました。それからいぼ痔は完全に治りました。
私が大法の書籍の字を訂正する時、腰の痛みで立つことができなくなりました。立つとしたらまずは片方を跪いて、両手で何かをつかみながら起き上がり、それから90度になった腰をゆっくり上げて歩くしかなかったです。ある時、腰の痛みが激しかったのですが私は文字の訂正を続けていると、ふと頭に「死も恐れないのに、痛みを恐れるのか」と一行の文字が浮かびました。そうだった、私は常人ではなく大法弟子なのだ! そう思った私は一気に立ち上がり、腰を曲げずに歩けるようになりました。本当に「正念は神威を顕し」[1] でした! これで私は腰痛という病魔を取り除きました。
二、大法は夫を救った
2016年11月、夫は交通事故で、脳出血と骨折で40日間入院し治療を受けました。退院時、夫は植物人間状態でした。
今回の事故で医療費だけでも6万元かかり、他の費用等を加えたら全部で12万元でした。家に帰ってから人を雇い夫の看病を手伝ってもらい、ある程度回復したら私が看病しました。
事故を起こした責任者に私たちは6万元の医療費だけを要求しました。しかしそれでも彼は負担しようとしなかったのです。私は彼は農民で収入が少ないから、医療費を負担できないなら仕方ないと思いました。師父は私たちに先に他人を思うように教えてくださったので、大法弟子である私は師父の教えに従うべきです。そう思い私は責任者に医療費を要求するのを諦めました。
しかし修煉をしない子供たちは同意せず、何度も訴えようとしました。私は何とか「私たちはもう不幸にあったから、他人にまで不幸をもたらすのは良くない。このお金を誰も要求しないで」と引き留めました。私に正念があったため、師父が助けて下さり、最後に子どもたちも同意しました。
私が修煉するため夫も受益し、事故後完全に回復し、セルフケアもできるようになりました。ある日とても感激し「李先生は私の恩人だ! 李先生は私の命を救ってくださった!」と私に言い、泣き出しました。「あなたの修煉を支持する、法輪大法に感心した」。これは彼の心よりの声だと分かりました。以前は私を理解せず、修煉に反対したのです。
またある日、夫はお風呂に入るとき転んで意識不明になりました。私はその時怖がらず「大丈夫」と思っていました。彼を呼び起こしてベッドまで連れていき検査してみたら、どこもけがした所はなかったのです。しかし間もなくして様子がおかしくなりました。片目は開いて片目は閉じており、口で息をしたらまた意識不明になりました。これで一生を終わらせてはいけない、大法は必ず彼を救えると思いながら、私は耳のそばでずっと「法輪大法は素晴らしい」と唱え続けました。その後、目を覚ましたので、一緒に「法輪大法は素晴らしい」と唱えました。するとすぐに気が戻り、危険から脱出しました。娘が彼に退党を勧めたら、彼は大きな声で賛成しました。
三、師父は私に円満な家庭をくださった
私は夫と結婚してから別居をしていました。当時彼は外地に愛人がおり、家に送るお金も少なく、私と2人の子どもの世話をせず無責任でした。私と子供たちは住む家がないため、長年自分たちで組み立てたテントで暮らしました。テントの中は夏は呼吸が困難なくらい暑く、冬は水も凍るくらい寒かったのです。私は自分で子供2人の世話をし、仕事もしました。給料も少ないため毎月の生活費が足りず、同僚から借りて生活しました。
私は負けず嫌いな性格だったので、どんなに生活が苦しくても仕事はきちんとやりました。数十年の仕事の間に、私は毎年優秀教師に選ばれました。
長年の苦労で定年退職後、私は体を壊しました。この時夫が離婚を言い出しましたが、私は2人の子どものためにこの家庭を壊したくなく、愛人がいると分かっていても、どうすれば家庭を保つことができるかを考えました。子供には父も母もいても、私の心は非常に悲しく、夫にとても失望しました。私は心で彼を恨み、夫婦の間に深い溝が現れました。
大法を修煉し、師父の博大なる法理は私にたくさんの天理を知りました。私は夫に優しく接し、感化しようとしました。私は法理から自分と夫には絶対歴史的な因縁関係があると悟り、自分の苦痛はすべて以前彼に対して犯した罪だと分かりました。それからだんだん心も穏やかになりました。
しかし私がどんなに優しく接しても、私たちは生活上合いませんでした。彼の退職金は自分のことに使うばかりで、この家を買うために借りた数万元の借金はまるで自分と関係ないように無関心でした。夫の行為を見た子供たちは私に彼と別れるよう言いました。私は自分は大法弟子のため「真・善・忍」に基づいて自分を要求し、もっともっと良い人になりたいと思いました。どんなに傍観者から不公平と見られても私は離婚をしてはいけない、自分の心を平穏に保ち前世の借りを返すため優しく接しました。これは私が修するべきものなのです。
夫が事故にあってから、私は様々な方面で彼を思い、おいしいご飯を作ったり、誠心誠心看病をしました。私の正念の場の作用と、大法で修した慈悲のおかげで夫はようやく変わりました。今の彼は私の修煉を支持し、法輪功の真相を伝えることを支持しています。子供たちも彼を尊重し始めました。
失わないものは得られず、他人のためは実は自分のためなのです。この期間で私の最大の収穫は夫を通じて恨む心と怒る心をなくしたことです。
今の私たちは夫婦仲良く尊重しあっています。私と夫が喜ぶ姿を見て、子供たちはもっと喜びます。まさに師父がおっしゃった「佛光が普く照らせば、礼儀が圓明となる」[2] です。法輪大法は私たちに円満な家庭を下さいました。偉大なる師父の教えで良い人になった結果です。
私たち家族全員が偉大なる師父に感謝します! 法輪大法に感謝します!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨(三)』「新年の挨拶」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』