「痛いところを突かれて」 さてこれをどう考えるか
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文/北京の大法弟子

 【明慧日本2018年7月10日】同修の中で技術を担当している私は、ほかの技術に長けている同修と同じく、どこに行っても尊重されます。しかし、ある年長の女性同修は少し違っていて、機器の修理の際、いつもパソコンの技術と無関係な個人修煉に関わる質問を聞いてきます。たとえば、「毎日、一講の学法はできていますか?」とか、「朝、何時に起きて煉功していますか?」とか、「外に出て三退を薦めていますか?」、「定時に発正念を行なっていますか?」などなどです。

 ちょうどその時期に、私は個人修煉においてよく出来ていれば、これらの質問に何とか答えることができますが、あまり精進していない時に聞かれると、イライラする気持ちが募ってきて、「この同修はどうしていつも人の痛いところを突くのだろうか? あなたのパソコンを修理するために、わざわざ遠くから走って来て、どうしていつも延々とこのような質問をするのか?」と考えました。口には出さなかったものの、不快感を覚え、怨む気持ちさえ生じました。

 私は定期的に技術サポートを必要とする同修たちを訪ね、皆のパソコンやプリンターの技術問題を解決しています。故障が直って同修に褒められると、私はいつも良い気分になります。歓喜心を起こしてはならないと自分に言い聞かせつつ、知らず知らずのうちに、この良い気分を楽しんでいました。そして、あの女性の同修を訪ねるべき時期になると、どうしても葛藤を感じ、行く気がしないのです。

 行くべきだとは知りつつも、理性に従って一応彼女のところには行くのですが、行ってからやはりあれこれと聞かれました。しかも、普段私がよく出来ていないところ、家庭環境まで聞かれて、どの質問も私の痛いところを突いていました。ついにある日、我慢の緒が切れた私は痛快に言い返し、彼女には顕示心、自我を実証する心、自分がよく修めていると思うところ、常に自分の強みを持って他人の弱みに比較したがるところがあって、さらに私の苦労にはまったく感謝することを知らないと言ってしまいました。

 意外なことに、聞き手の彼女は平然としていて、少し驚いた表情を見せ、時々簡単な釈明を返してきますが、自分が大して間違っていないと思っているようでした。

 帰宅後、心を静めて内に向けて探す過程で、私自身に大きな問題が起きていると気づきました。「彼女に対して敵対感情を抱くのは、すでに1日2日のことではなく、常に彼女の話は粗(あら)探しでしかないと思い、法に照らして自身を省みていませんでした。師父はこのようにおっしゃっています。『とすれば、煉功の時、関を通過できず気を下ろせない場合、いまの次元にとどまりすぎているのではないか、もっと心性を向上させるべきではないか、と心性から原因を探すべきです!』[1]  師父の法に照らして、彼女の話を吟味してみますと、まさに師父は彼女の口を借りて、私を教化されていたのではないでしょうか? どうして彼女の話を『痛いところを突く』ように思ってしまったのだろうか? 彼女に突かれたのは、まさに自分がよく出来ていない部分、精進していない部分ではないのか! 自分の修煉状態を振り返って、煉功と言えば三日坊主で、技術の難題が現れたらすぐに学法を後回しにして、2〜3日も学法しない時もある。定時の発正念は間に合ったらやるが、逃した後の補いはほとんどしなかった。師父はこのようにおっしゃっている。『もし大法弟子が師父の要求に従って行なっていなければ、きっと旧勢力の按排に従って行なってしまったことになります』[2]」 師父の要求と比較し、自分はどれだけ遅れているだろうか! きちんと出来ていなければ、結果は恐ろしいものになるではないか!」

 年長、彼女と付き合ってきた過程を振り返り、私は彼女に対して多くの観念を形成し、パソコンの習得が遅くて依頼心も強いなどと、彼女を見下す心さえありました。これはどんなに険悪な観念ですか! しかし、彼女が良く出来ている部分は確かに多く、どんな状況におかれても毎日必ず学法と煉功を行ない 、言動も常に法に則っているという印象でした。また、彼女は同修に協力して資料を配り、面と向かって真相を伝えることもよく出来ています。状況が許す限り、彼女はすべての定時に発正念を行なっていました。彼女が私に言ったもっとも印象深い話は、「宇宙の中で、発正念のこの時間を逃せばもう取り戻せません。まったく同じ時間が存在しません。発正念を必ず重視しましょう」でした。

 師父は説法の中でこのようにおっしゃっています。「彼らが相手のどうこうを見るときの目で、逆に自らを見ることができれば、と思います」[3]、「法を学びて法を得る 比べて学び比べて修す」[4] 彼女と比較し、私はなぜ彼女のよく出来ている一面が見えてこなかったのでしょうか?

 自分の問題を見つけてから、私はそれを正そうと決心しました。 その後、私は彼女に交流を持ちかけ、2人とも相手の立場に立って素直に自分の不足を探し、改善策も一緒に考えました。そうすれば、心性も高まり、協力もよりスムーズになったので、2人ともとても喜んでいます。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作: 『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作: 『精進要旨三』 「考えをはっきりせよ」
 [3] 李洪志師父の著作: 『精進要旨』 「時間との対話」
 [4] 李洪志師父の詩: 『洪吟』 「着実に修める」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/7/3/370546.html)
 
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