幾度も労働教養され 迫害された四川の呉召蘭さん 他界
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 【明慧日本2018年8月1日】四川省徳陽市の法輪功学習者・呉召蘭さんは、中国共産党の法輪功に対する迫害政策の中で、かつて3回の労働教養を強いられ、洗脳班や留置場、拘留所に拘禁され、また嫌がらせをされ、監視されるなどの迫害を受けてきた。そして、2018年2月1日、とうとう呉さんは無念な思いを晴らせないまま亡くなった。

 呉さんは以前多くの病気を患い、手術を受けたことがある。1998年に法輪功を学び始め、それ以来、呉さんは健康になった。1999年7.20から中国政府の管理下にあるあらゆるメディアが、法輪功を誹謗中傷し、呉さん一家も静かな生活ができなくなった。

 3回の労働教養を強いられ、累計で6年6カ月間拘禁される

 呉さんは2000年1月、北京に行き法輪功の無実を訴え、帰宅した後、警官により馬井派出所に連行された。当日の夜に暴力を振るわれたため、身体のあらゆるところを負傷した。翌日、呉さんは什邡留置場に連行された後、資中女子労働教養所に移送され、2002年10月にやっと解放された。

 2003年の新年の頃、呉さんは人々に法輪功迫害の真相を伝えていた時、法輪功を誤解する人に通報され、地元の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官に連行された。警官らは呉さんの家にある法輪功の書籍を不当に押収し、さらに労働教養を3年間にわたり強要した。2005年10月に呉さんはやっと解放され、帰宅した。

 2008年5月29日午前9時頃、呉さんはアルバイト先で公安局の国内安全保衛部門に連行され、不当な尋問を受けた。その理由は、呉さんがアルバイト先で法輪功迫害の真相を伝えたからだという。そして、呉さんは什邡拘留所、什邡留置場へ転々と移送され、2008年6月11日に資中女子労働教養所に拘禁された。

中共体罚示意图:长时间罚坐
拷問のイメージ図:長時間にわたり、小さな腰掛けに座らされる

 労働教養所では、呉さんは朝6時から夜12時まで、手のひら大の小さな腰掛けにじっと動かず座るように強要された。半月後、各種の縫いぐるみ作りの作業を強制された。毎日朝6時に起床し、昼に食事と休憩をはさみ、夜11時あるいは12時に作業が終わるまで働かされた。労働教養所の中で体罰を加えられたり、罵られたり、殴られたりすることは、法輪功学習者にとって日常茶飯事の出来事である。2009年12月21日、呉さんはやっと解放され帰宅した。

 持続的に迫害が続く

 2009年、呉さんの住んでいる村は自然災害発生地域に指定された。国内や世界各国からの支援金を各家族に配分することになったが、呉さんの家族にだけには全く配分がなかった。呉さんは村の幹部に「貧困申請書を書けば援助金をもらえる」と聞き、書類を書いて提出したが、無視された。地震のあと、他の家族は家を建て直すのに補助金をもらえたが、呉さんの家は危険住宅になっているにもかかわらず、すべて無視され、補助金さえも支給されなかった。

 また生計のため、呉さんは徳陽市で80代の老人を介護する仕事に就いた。2011年6月21日午前、徳陽市城南通りの町内会の役人2人は、村の数人の幹部を引き連れて呉さんの勤務先にやって来た。その中の1人のとても体格のいい女性がいきなり呉さんを押さえ付け、「三書を書くのか?」と聞かれ、呉さんは「書きません」と言うと、そのまますぐに洗脳班に連行され、1カ月間以上も拘禁された。

 2016年8月3日、呉さんは什邡市隠峰鎮市場のある年配者に、法輪功迫害の真相を伝えたため、2人の警官により連行され、什邡拘留所に15日間拘束された。

 2017年3月13日、馬井鎮派出所の警官は呉さんの家に行ったが、呉さんが不在だったため、家族に「呉召蘭は、まだ法輪功を学んでいるのか」と聞いた。家族は返事をしなかったので、警官らは立ち去った。

 2017年9月14日夜、什邡市公安局は大勢の特別警察の警官や各派出所の警官、町内の役員、村の幹部を出動させ、8人の法輪功学習者を一斉に連行した。呉さんは2歳の孫の世話をしていたため、連行されるのを免れたが、不当に家財を押収された。

 ごく普通の農婦が、法輪功に基づき「真・善・忍」に従って自分に要求し、良い人になり、健康を得て、道徳レベルを向上させた。しかし理不尽にも、それが原因で何度も迫害を受けた末、最後には、無念な思いを晴らせないまま亡くなった。

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/7/13/370985.html)
 
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