文/海外の大法弟子
【明慧日本2018年8月5日】私は2002年に明慧真相資料の編集グループに加入し、気づかないうちにすでに16年が経ち、光陰矢の如しでした! そして、この16年間、真相資料は、規範がなかったものから規範のあるものに変わり、種類が繁雑であったのが専門的なブランドとなり、この過程を私が歩んできたことは非常に大切にするに値する修煉体験でした。
始めたばかりの頃は、中国各地から来た各種のパンフレットやチラシは種類が煩雑で、仕事量が多く、私はサラリーマンで、毎日仕事から帰ってから、早々に食事を終えて編集の仕事に投入し、数時間は時間をかけなければなりませんでした。それが2013年まで続き、明慧真相資料編集グループは『真相資料製作の調整について』を発布しました。そして、各種のパンフレットに規範が設けられるようになり、『明慧週報』があっため、多くの仕事量が減少しました。16年間で、始めの興奮と新奇から、プロセスを克服する中で単一で単調になり、現在(訳注:2018年7月)に至って物静かで和やかな責任感をもって、物事を成し遂げられるようになりました。この十数年の体験を振り返り、私は深く感謝申し上げ、明慧の仕事に参加できたことは大きな栄光であると感じ、この貴重な縁を私に下さったことを、師父にお礼申し上げます。
私の主な仕事は、すでに編集されたパンフレットやチラシ、地方版の『明慧週報』を審査することです。多くの場合、植字を調整し、誤字や脱字を検査し、コードナンバーや日付などを校正し、地方版のパンフレットと、地方版の『明慧週報』を読むことが私の主な仕事でした。地元の迫害事例の資料を添削し、ひっそりとした夜に、一つ一つの迫害事例を読みました。まるで自分が迫害されているかのように感じ、私の様々な情緒と思惟は、資料を読む中で毎回のように、心の表現、錬磨、怒り、悲しみ、抑圧、憂慮を感じました。また、理性的に迫害された原因を分析し、時には涙を流し、この十数年間の私の心は常に中国各地の同修とつながっていました。さらに、迫害された多くの同修の名前と悪人の名前を私はよく知っており、多くの拷問の手段でさえ、私は非常によく理解していると感じています。
私が参加した他の仕事は、法会の文章を選別することでした。大量の投稿の中から体験文章を選び、この仕事に、私は大量に読む幸せを感じました。それぞれの職業を持った同修からの体験はまた、いい勉強になり、自分が本当に特別な仕事をしている、と感じました。多くの文章は採用されず、もしかしたら、ある文章は私1人だけが読むだけかもしれません。その一編一編の体験の中には一つ一つの輝きがあり、大法に対する、師父に対する敬虔さと感謝の心がありました。多くの文章は採用されませんが、宇宙の中では発表されており、宇宙の各空間の中にとどまっています。その大量の心の中からの一編一編の体験文章は、押し寄せる大波のように勢いがすさまじい宇宙で法を正す交響曲となり、その過程の証人として多くの場合、私は感動して涙が泉のように湧き出てきました。
毎日の常人の仕事や生活、大法の他のプロジェクトの中で困難やトラブルや挫折に遭った時、明慧資料の編集に戻ってくると、私の心は安らぎ、洗われたようになり、まるで洗い清められたかのように心も正されました。協調人がどのように皆を長期にわたって明慧の仕事を続けさせたのか、この過程の中で師父のご加持と保護があったことを私は知っています。明慧のこの仕事はすでに私にとって仕事ではなく、すでにおいて生活の一部になっており、私の生命の一部分になっています。迫害が終わるであろうその日、その日が来たら、真相資料の編集はもう必要でなくなります。しかし、真相資料の編集が必要である限り、私はその日が来るまで、必ずまじめに編集をしっかりと責任を持ってやり続けるでしょう。
私に修煉の縁を与えてくださった明慧に、感謝いたします! グループの同修たちの私に対する包容と互いの支え合いに、感謝いたします。
師父のご加持と保護に深謝いたします!
合掌
(2018年明慧法会の発表原稿から選んで投稿し要約したもの)