天津市の歯科医 再び連行され90代の両親が心を痛める
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 【明慧日本2018年8月15日】天津市武清区在住の法輪功学習者・李永泉さんは2017年12月28日午前に、患者の歯を治療した際に、患者を装っていた私服の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官らに不当に家宅捜査され、連行された。しかし、1カ月経っても李さんの家族にその通知がなかった。

'李永泉九十岁的父母双亲'
     李永泉さんの90代の両親

 旧正月の前、友人が李さんの両親を訪ねた。2人とも90歳で1カ月間、息子の李永泉さんと会えなかったために、息子が再び連行されたと気づいた。それで、母親は心配のあまり耳が聞こえなくなり、父親はちょうど心臓にペースメーカーを植え込んだあとだったので、この事件の衝撃に耐え切れず、体調を一気に崩してしまった。

 これまで、李さんの両親は息子が再度、連行されることをずっと心配していた。数日間連絡が取れないため、いても立ってもいられなくなり、悪い予感がしたという。李さんは幼い頃から心優しく、素直な性格で、人当たりもよく、他人と強い口調で話すことすらなかったという。トラブルに遭った時はいつも争わず、損を蒙る側だった。このような善良な人がいったいなぜ、数回も警官に連行されるのかと、李さんの両親は理解し難いと述べた。

 李さんの歯医者としての技術の高さは地元でも有名で、人柄も良く、通常患者は歯の治療をする時緊張するが、李さんの患者は注射の痛みもあまりなく、緊張感も少ないという。

 李さんは内モンゴル自治区フルン・ボイル・ヤクシ市に住んでいたが、1999年7.20以降、法輪功が迫害され、同年12月李さんは北京へ陳情に行ったため連行され、その後、地元のフルン・ボイル・ヤクシ留置場に1年6カ月近く不当に拘禁されていた。釈放されたあと、地元の歯科診療所に就職していたが、フルン・ボイル・ヤクシ市の役人と「610弁公室」の関係者、派出所の警官らに何度も嫌がらせを受けた。その後、診療所のすべての医療設備まで押収された。李さんは仕事と暮しが出来なくなり、仕方なく、弟がいる安徽省安慶市へ行った。しかしここでも結局、再度フルン・ボイル・ヤクシ市「610弁公室」と公安局の警官らにより、不当に連れ戻され、留置場に1年間拘禁された。拘禁中、副所長からひどい暴行を受けて、血を吐くこともあった。出所してから生活のため、李さんは北京へ出稼ぎに行った。

 2004年8月31日夜、李さんは北京市で濡れ衣を着せられ、昌平区回竜観派出所に不当に連行された。拘禁中に警官らによる残忍な拷問を受け続けた。そのため、2004年9月14日、昌平病院の診断によると、意識不明の状態であり、右側の肋骨が数カ所折れていると診断された。2005年12月21日には、警官らによる外部からの強い殴打により、右眼球の硝子体が混濁し、右膝の半月板が損傷した。そして、2005年1月2日には、昌平市結核防止所で右側の肺が肺結核だと診断された。

 拷問による負傷の程度があまりにも大きかったため、李さんは北京昌平留置場に1年間近く拘禁されている間、ずっと寝たっきりの状態に陥っていた。しかしこの間、いかなる治療も受けさせてもらえず、その後、3年6カ月の不当な実刑判決を宣告された。同所で16月の拘禁を受けたあと、李さんは内モンゴル・ヒンガン盟ジャライド旗保安沼刑務所8監区に移送された。

 2017年12月28日午前、天津市公安局、各区の支局、派出所の警官らが総動員して、全市にわたって二十数人の法輪功学習者を一斉に連行した。当日午前8時から9時までの間に、天津市公安局、武清刑事課、派出所の警官らが李さんを連行し、家宅捜査を行った。

 李さんが拘禁されて1カ月後、弁護士は李さんの家族の依頼を受け、留置場へ面会に行ったが、李さんが歩けない状態にあるという理由で拒否された。弁護士はそれでも諦めず何度も交渉した結果、車椅子に乗せられた李さんと会うことが出来た。当時の李さんは残酷な拷問により、右半身が全く動かず、半身不随にされため、左手で署名した。

 李さんは不当に連行されて、長期間の間、拘禁されているが、家族は公安局から李さんの件に関して、いかなる通知をも受け取っていないという。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/3/9/362668.html)
 
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