内に向けて探し 自分を傷つけた同修に慈悲で対処する
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年9月7日】さまざまな原因により、私は基本的に1人で修煉していました。明慧ネットの交流文章以外、周りに交流できる同修がいませんでした。ある日、偶然にある同修の夫婦と出会い、とても嬉しかったのです。修煉の交流以外にもこの同修のところに行って、迫害の真相資料をもらっていました。その後、この夫婦の同修は捕まってしまい、尋問された際に、私の情報を漏らしたため私も捕まり、結局、重い判決を下されてしまいました。

 明慧ネットに掲載されているような多くの同修が受けたさまざまな迫害は、長年の刑務所生活の中で、私も同じような魔難に遭いましたが、ここでは話しません。しかし、私が正常な精神状態で出所できたこと自体が、まさに奇跡だと感じました。

 刑務所で他の受刑者と長く生活している中で、私はなぜ囚われの身になったのかについて、話したことがありました。もし出所したら自分を裏切った人に対し、報復するのかと聞かれましたが、私はその人を許し、仕返しはしないと答えました。私の答えを聞いて、こんなに長い刑期に耐え、苦しみに耐えなければならないのに、自分を裏切った人を恨まないなんて、自分たちには絶対できない、と受刑者たちは言いました。受刑者たちは私が普通の人と全然異なると感じ、尊敬してくれました。

 罪のない私に懲役刑の判決を下したのは中国共産党であり、共産党の体制を利用して法輪功を迫害しているのは江沢民であり、同修ではないからです。当時、私を捕まえた警官は「我々があなたの同修を殴ってもいないのに、彼は捕まってからすぐあなたの名前を吐いた」と言いました。その同修は拷問を受けていなかったかもしれませんが、当時置かれた環境、受けたプレシャーは大きかったのだと思います。その時はその同修は確かに1人の修煉者として、よく行わなかったのですが、根本的に私を迫害したのは中国共産党であり、同修ではありません。

 修煉者として私は内に向けて探した時、顕示心を見つけました。せっかく同修と出会ったので、興奮して自分が行った活動内容を漏れなく、すべて教えてしまいました。相手を完全に信頼しているようにみえますが、実は一種の顕示心の現れでした。自分がその同修より大法の活動をたくさん行っていたので、相手が自分より劣っていると思い、見せびらかそうとしました。また、1人で活動を行っていたので、他の同修には影響がないと思い、警官の取り調べを受けた時、誇らしげに自分がしてきた真相伝えの活動を全部教えてしまいました。恐怖心がないようにみえますが、もっと深く探せば、やはり「私の能力はすごいでしょう」と自己顕示しようとしたので、邪悪に隙に乗じられ迫害されてしまいました。

 今回迫害された原因は、ほかにも前世での因縁関係があると思います。刑務所に入れられた同修と私の情況はそれぞれ違いがありましたが、自分自身にまだ放下していない執着心があること以外、一つの共通点があります。それは業力です。もし生生世世の輪廻の過程の中で、積み重なってきた業力や刑務所で出会ったさまざまな人達との因縁関係がなければ、旧勢力はこのような按排は出来なかったでしょう。

 ある日私は体罰を受け、とても小さい腰かけ(手のひらサイズで体罰用として設計されたもの)に座らされました。私を監視する受刑者が隣で行ったり来たりしていました。私はふとこの場面はどこかで見たことがあると感じ、過去の輪廻の中で、私は目の前の人に同じことをしていたと悟りました。

 師父はこのような按排を認めていらっしゃらないのですが、残念なことに、この迫害は起きてしまいました。その同修の夫婦に出会う前、私はその地方に行ったことはなく、学んだこともないのに、その地方の方言を話せました。初対面なのに私は親近感を覚え、同修も私を熱心に受け入れ、招待してくれました。私たちは過去の輪廻の中で因縁関係があり、私はその同修にも同じように深く傷付けたことがあったように思います。そして、旧勢力はこのことや、まだ取り除き切れていない顕示心、色欲の心を口実に迫害を加えました。その同修は私の生命の輪廻過程の債権者であり、このような形で借金を取り立てにきたのだと思います。

 もちろん、私たちは自分をしっかり修め、できる限り執着心を取り除き、迫害を減らさなければなりません。なぜなら、師父は迫害を認めていないからです!!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/19/337820.html )
 
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