やり続ける中で 自分の心性を向上させる
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文/アメリカの大法弟子

 【明慧日本2018年11月8日】修煉してからあっという間に5年が過ぎ去り、私はもう新しい学習者ではなくなりました。いろいろ体験してきましたが、いざ書こうとするとどこから書き初めればいいか分からなくなりました。ここで2年ほど続けてきた、大法のプロジェクトに関する体験を話したいと思います。体験がどのように多くても、根本的には師父のご加護がなければ、私はここまで歩んでこれませんでした。今では師父に対する感謝の気持ちでいっぱいです。

 2016年の8月から私は1週間に1回昼休みを利用して、会社の近くの道路でチラシを配りました。幸いなことにその時から今まで中断したことがなく、1回も忘れたことがありせん。昨年の7、8月はカルフォルニア州の『第220条の強制的に臓器摘出することに反対する決議案』に関する件で署名活動を始めたことがきっかけで、私は単なるチラシ配りから、署名をもらってからチラシを配るようにやり方を変更しました。師父のご加護の下、この方法を通して縁のある人達に真相をしっかりと伝え、この過程の中で各種の人心を絶えず取り除き、自分の心を修めていきました。

 私は毎回出かけると10人以上の署名をもらうことができます。署名を集めること自体が目的ではなく、署名したからといって救われるとは限らないことも知っています。しかし、確かに人は署名することを通して、自分の意思を示すことができ、この機会を借りて相手に真相を分からせ、真に救うことができます。

 一時期、私の母親が他州からやって来ました。母は比較的に新しい学習者です。私は出勤するときに母と一緒に出かけます。このやり方は母の学法を促しやすいからです。母は積極的に私と一緒に署名活動をしようとしていましたが、私は別にそうしたくありませんでした。母は英語があまりできない上に、私にとってなんの助けにもなりません。そして私は自分1人で何でも順調にできるので、母に何をどうさせればいいか分かりませんでした。ですが母はとてもやりたがっていましたので、私は仕方なく母親を連れて出かけて行きました。署名活動の際には、母親にチラシと蓮の花の入ったカバンを持たせ、署名した人にチラシを1枚と蓮の花を一つ手渡すように頼みました。しかしやはり私には母が目障りでした。カバンを持つ姿勢もよくないし、チラシを人に渡すタイミングもずれているし、渡した花の色もその人に合っていませんでした。母がそこに立っているだけで、周囲の人達は怖くて逃げているようにも思いました。1時間以上活動して、やっと10人から署名をもらいました。

 家に帰ってから母が私の署名活動を妨げていると思ったので、母に対する態度も悪くなりました。幸いなことに学法して内に向かって探すことを思い出し、自分の考えが大間違いだと分かりました。同修が法を実証する活動に参加したいことは良いことではありませんか。同修を連れて真相を伝えることで自分が影響されるはずなどありません。なぜ何かあったらプラスに考えないのでしょうか。自分の正念はどこにいったのでしょうかと、自分の考え方を改めました。

 翌週、母は別の用事があって私と一緒に署名活動をしませんでした。署名した人数は通常より数人増えましたので、先週の足りなかった人数を補うことができました。もちろん、これは母がいなかったから多くできたと簡単に思ってはいませんでした。実はこれは私が内に向かって探したことで、師父が同修を連れて一緒にやっても、やることには何の影響も出ないことを悟らせてくださったとわかりました。

 第3週になると母は前の私の態度を気にせず、喜んで私とまた一緒に出かけました。今回は常人の心を放下したので智慧も生じてきました。自ら進んで母親を紹介し、みなボランティアで彼女があなたに記念品の蓮の花をプレゼントしますと言いました。するといい効果が現れ、署名した人たちはみんな喜んで母と挨拶を交わして、ニコニコしながら母親から法輪功迫害のチラシと蓮の花を受け取りました。1時間があっという間に過ぎ、署名した人数も通常より多くなりました。母も楽しくなって、私の所にやって来たときは神韻のポスター貼りを除いて、ほとんど毎週のように私と一緒に署名活動に出かけて行きました。

 今でも私にこう話す人がいます。「あなたは私を覚えていないかも知れませんが、数カ月前に私はもうすでに署名しましたが、その時あなたはお母さんと一緒でしたよ」

 通常、署名して真相を聞いた人は喜んで私に感謝しますが、彼らが真に感謝すべき相手は師父で、人を救っておられるのは師父であることを私は知っています。私も常に他の地区や国からやって来る人達に会い、さらに今は確かにますます多くの人達が臓器狩りを知ってきたと感じています。中にはイギリス、カナダ、スイス、カリフォルニア州の北部、サンディエゴから来た人た達もおり、彼らの国や地区で法輪大法の修煉者から迫害の真相を聞いたと言いました。ある女性は自分が中国で数カ月間働いたことがあり、その時に同僚が真相を伝えてくれたと言いました。私は彼女に中国で真相を伝えるのは非常に危険なことですが、あなたのために真相を話したのだと教えたところ、彼女は快く署名してくれました。中国国内の同修たちは本当に素晴らしいです。

 一度、すでに署名したおじいさんが通りかかり、また署名したいと言って来ました。その時は署名の数にこだわる心がなく、どうやって断ろうかと困りました。このおじいさんは2回も署名するのは妥当でないとすぐ気づき、妻の代わりに署名することはできないかと聞かれました。奥さん自身が賛成するなら問題がないと答えると、彼は署名しました。署名し終えても彼はすぐにここから離れて行かず、私を助けて通りかかりの人に署名を勧めました。

 署名活動の中で様々な人や各階層の人に出会います。普段、私は彼らの外見や振る舞いなどを気にせず、できる限り1人も漏らさないように署名を勧めています。

 一度、2人のくわえタバコのタトゥーをした人たちが通りかかりましたが、とても恐ろしく見えました。最初、前に行って署名してくれるか聞くか聞かないか躊躇しましたが、すぐに思い切って彼らに臓器狩りを止めるように助けてくださいと声をかけました。2人はびっくりしていましたが、説明を聞き終えると2人とも署名してくれました。しかも見た目にはもっと恐ろしかった人が署名しながら、こう言いました。「俺たちは少しでもいいことをするべきだよな、いいことをするべきだ」。普段通りに、その2人にもチラシと蓮の花を渡すと、2人とも謝意を表しました。再び改めて見てみると少しも怖くありませんでした。

 近くにはバス停があり、昼になると生徒たちがやって来てバスを待ちます。ほとんどの人に署名できるかどうか聞きます。ある生徒が毎回ここでバスを待っていたので、毎回臓器狩りを停止させることに協力できないかと聞きました。7回目になって彼はやっと喜んで署名しました。彼は友たちを呼んで来て、一緒に署名しました。また何回お願いしても知らんぷりをしている人もいるし、毎回断る人もいましたが、私はいつも気にせずに次回また会ったら、挨拶して署名をお願いします。回を重ねると、やっと態度を変えて、そこに立ち止まって真相を聞き、署名してくれた人も少なくありません。しかも後で再び会うと喜んで挨拶してくれます。これで分かりましたが、まだ多くの行き来する人が真相を聞いていませんが、このことが終わっていない限り彼らにはまだ機会があります。もしただの十数回、あるいは数十回、真相を粘り強く伝えるだけで人が救われるならば、人を救うことはいとも簡単なことです。

 続けることに触れますと、一つのプロジェクトを堅持するのも容易なことではありません。いろいろな困難を克服してきました。このことはもう2年近く続けていますが、毎回外出する時、いつも一種のプレッシャーに阻まれる感じがしていて、まるで戦場に行くような感じがします。中国国内の人たちが命の危険を冒してまで、真相を伝えていることに比べれば、比べものにならないのに、なぜこんなにも恐怖心が強いのでしょうか? そこまで恐れる必要はないでしょう! 初めの時はまだ慣れずに緊張するのは当然かもしれませんが、もう100回以上もやっているのに、なぜ毎回プレッシャーがこんなに大きいのでしょうか? どう考えても訳が分りません。

 そこで思ったのは業を滅することでした。日常生活で楽過ぎて業を滅する機会がなかったのです。その後、さらに気づいたのはなぜプレッシャーがないことを求めて、簡単に人を救おうとするのかということでした。なぜいつも一時的に頑張ってから、休もうと思っているのでしょうか? いつになったらこのように頑張る必要がなくなるのかと考えるのも執着ではありませんか? 楽になったらどうやって業を消し、功が伸びるのでしょうか? どうしてこんなに忍耐することができないのでしょうか? 私は修煉してからまだ5年しか経っていません。10年、十数年、20年も続けている同修とは比べものになりません。師父は「煉功者は絶対に耐えられなければなりません」[1] 、また、「忍とは心性を高める鍵です」[2] と教えてくださいました。

 毎回外出する前、私は発正念をしますが、時間があると学法もしてから、署名板とチラシと蓮の花を準備して、不安定な気持ちで階段を降りて行きます。下まで降りて、道端に出ると全部のプレッシャーが突然なくなり、身も心も軽くなります。

 しかし、これまでには様々な試練がありました。このように署名して意味があるのか、本当に人を救う効果があるのかと疑うときもあります。理性的に分析して、最後にはこのような消極的な考え方をなくすことができました。ある日、外見からも躾(しつけ)が悪くて、私の気に入らない人がこう言いました。「これらの生徒たちに署名などさせないでください。彼らはまだ18歳にもなっていません。あなたがお金をもらってやっていることを知っていますよ。一つの署名でそれ相応のお金をもらえるから、あなたはできる限り多くの署名をもらおうとしています」。当時はこれを聞いて、無償でボランティアでやっているのに本当に誤解され、たいそう屈辱を受けた感じがしました。この人はどうしてこんなふうにしか言えないのか、本当に考え方が悪くて救い難い人だと心の中で思いました。

 ちょうどその頃はプロジェクトの上で、同修と協調が取れずトラブルが生じ、それにこのことが重なって心中本当に苦しかったのです。自分がこれほど理に合っていて、相手がどれほど理からかけ離れているかと思いました。そこで心の中で師父が教えてくださった「正しきは彼 過ちは私」[3] をずっと繰り返して念じました。徐々に不当な扱いを受けた感じと不平不満だらけの心を制御するようになり、続けて念じていると、やっと徐々に不平不満だらけの心をなくすことができました。そのような心を消してから、再び理性的に考えると、なるほど「正しきは彼 過ちは私」でした。

 まず私には彼が気に入らない心がありました。そして彼の話がどのように聞き苦しくても、確かに18歳未満の生徒に署名させることをやるべきではありませんでした。私がこのことをやっているのも署名人数を増やす目的ではないので、彼らに真相を伝えることで充分なはずです。そしてもう一つ、彼に私がお金をもらっていると言われましたが、これは自分に利益を求める心があるからです。署名を集めることには利益の心がありませんでしたが、よくよく考えてみると別のところに確かに利益を求める心がありました。その上お金は求めていませんでしが、功徳を積むことを求める隠れた心がありました。このように考えて見ると、やはり「正しきは彼 過ちは私」でした。

 とにかく、このプロジェクトはいろいろな困難に遭いました。これらを克服してから振り返ってみると取るに足らないもので、記憶に残っていないものすらありました。やはりこれらのすべては、師父の慈悲なるご加護と細かい按排によるもので、師父が私のような臆病でひ弱な者がここまでやれるようにしてくださいました。ある同修が明慧ネットで交流したことですが、ある日、彼女の5歳の子供が夜キッチンへ行こうとしましたが、どうしても母親と一緒に行きたがりました。ほんの数メートルだけなので、同修は子供に「自分で行きなさい、ママはここで見ているからね」と言いましたが、子供は暗い所を怖がり、1人でなかなか行きませんでした。同修はそこで悟りました。私達もときには5歳の子供のように、修煉の中で数メートルしかない所でも、真っ暗な道を歩く勇気が出ませんでした。実は師父がいつも親のように我々の周りで、子供の世話をするように保護してくださっています。

 今日まで修煉して来て深く感じましたが、修煉の中で人を救う中で、私が得られたいかなる向上のいずれもに、師父の払ってくださった心血が注がれています。私にはまだまだ色々と足りない部分があり、様々な常人の心もあり、常に師父の済度に合わせる顔がないと感じています。ですが、これからもずっとやり続け、もっと良くやれるように努力するしかありません。

 注: 
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「忍とは何か」
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「誰が是 誰が非」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/8/1/371837.html)
 
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