病業の仮相に対する再認識
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年10月18日】最近、病業の仮相について皆さんからの体験も多く、私もとても大きな啓発を受けました。私のこの問題への認識をここに書いて、同修の皆さんと共に励まし合おうと思っています。法に対する認識で曖昧なところがあれば、同修からの慈悲なる指摘をお願いします。共に精進し、最後の道をよりよく歩みましょう。

 ある日、私が『轉法輪』の第七講「病院治療と気功治療」を読んでいる時のことでした。私が「それを聞いた曹操は華佗が自分を殺そうとしているのではないかと思い」という部分を読んでいた時、突然「これはその腫瘍が言ったのだ」という念が聞こえました。私は驚きましたが、一つの扉が開かれたように、無辺の法理の中の一部の内包が分かりました。この腫瘍は債の返済を求める陰性の霊体で、債の回収に成功し、曹操を死地に置かせるたにめ、華佗が頭蓋骨を切り開いて腫瘍を取り出す手術をすることを阻止させようとしました。そこで腫瘍は曹操の頭に「彼はお前を殺そうとしている」という念を起こさせたのです。曹操は常人でこの一念が本当の自分の考えではなく、霊体が発したものだと分かりませんでした。曹操は華佗が自分を殺そうとしているのだと誤解し、華佗を牢獄に監禁してしまいました。最後にこの霊体は命を取ることに成功しましたが、そこで曹操は人を害し、己をも害してしまいました。

 肝心な時に曹操はなぜ主意識がはっきりとせず、霊体の考えに従ったのでしょうか? それは曹操に執着心があったからです。曹操の疑う心や恐れる心、警戒心、独り善(よ)がりなところなどで、主元神は埋没してしまい、それと同時に、霊体に生存の業力場を提供したのです。

 修煉者にとって病気は表面の仮相に過ぎません。実はそれは業力と執着心などのマイナス要素によるモノです。旧勢力も正にこれを利用して、破壊的な検証を行うのです。この時、旧勢力の按排を認めず、師父の按排された道を歩むべきで、発正念をするだけでは不十分です。執着心を取り除き、業力の場を除去し、法に基づいて向上すべきです。ここから私自身の次元においての病業に対する理解を述べます。

 一、病業の仮相を見抜き、動揺しない

 修煉者は病気がないことをはっきり認識し、分かるべきです。私達の身体は法を得た初期に師父が全部調整して下さいました。なぜなら病気のない身体こそ本当に修煉ができ、やっと功が出てくるからです。今のこの病業は仮相で、実は心性の問題なのです。まさに債を返済し、心性を向上させ、邪悪を除去する時なのです。しかしこの時、この霊体は旧勢力の支配下で私達の観念を利用して、私達に絶えず人心を起こさせ、手段を変えながら邪魔してきます。こちらが怖がり、疑い、辛い思いをし、恨み、正念が無くなり、大法に対して動揺し、最後は人間の方法で対応するようにさせます。だからこそ、私達はここで必ずはっきりとした態度を取らなければなりません。くれぐれも曹操のように騙されて霊体に従い、旧勢力の思いのままになってはいけません。

 二、病業を軽く、小さく見るべし

 師父は法で次のように示されました。「如来佛が手の中の鉢(はち)をちょっと向けると、あれほど大きかった孫悟空が、あっという間に小粒になってしまいます。この功能にはまさにそのような働きがあります。霊体が大きかろうが小さかろうがかまわず、あっという間に手に抓みとり、小さくします」[1]  師父はこの神通力を持った宝をすでに私達に与えて下さいました。私達は必ずこれらを駆使(くし・ 自由自在に使いこなす)べきです。常人は病気の時、他人の理解と慰めを求め、無意識のうちに病状を大げさにする場合があります。ここで常人は関心と温かさを求めますが、修煉者はこれらを一切求めてはいけません。病業を重く見れば見るほど、病業を強めることになり、そこで病業はますます深刻なものになります。一方、こちらはますます小さくなってしまいます。

 ある時、私が師父のこの法を暗誦して、魔難を小さくしたら意外にも「どれほど大きいお碗が必要なの?」という声が聞こえました。私は笑いそうになりましたが、しかし正念が直ちに生じて、その魔難がかなり小さくなったように感じました。実は魔難は何でもなく、全てが自分の人心を除去しなかったことが原因で、招いたものです。

 旧勢力が魔難を利用して私達を滅ぼそうとすれば、私達はそれを逆手に取って、これを向上するよい機会に変えます。平素から隠された多くの見つけにくい執着や観念が邪魔しに来た時、正にそれらを暴露する絶好な時なのです。自分も了見して内に向けて探し、師父からの悟らせや同修の助けもあり、正にそれらを掴んで、徹底的に除去するのです。

 三、法を正す修煉の基点に立ち帰り、内に向けて探す

 内に向けて探すことは師父が私達に賦与された一つの神通力で、それは宝です。そしてまた、生命が更新に向かう過程でもあります。内に向けて探すことは厳粛なことで、決して魔難から解放され、苦痛を解決するための工具にしてはいけません。

 私達は法を正す時期の大法弟子なので、個人修煉あるいは自分を成就させる以上に、三つのことを行う中で、生活や仕事のあらゆる面で大法を実証し、衆生を救い済度する要素を含んでいます。なぜ大法に対する堅固で破壊できない正念が必要でしょうか? なぜ内に向けてよく探さなければならないでしょうか? それは宇宙の無数の生命が大法弟子のほんの一念や、一挙一動さえも注視しているからです。私達がよく行い、正しく行ってこそ、大法に対して認識が足りない生命がやっと感服し、やっと心のバランスが取れて私達を通らせ、やっと大法に対して正しく対処し、救われるのです。法を正す時期の大法弟子が内に向けて探すことは、大法を実証することと衆生を救い済度するという使命を帯びているので、なおさらのこと厳粛で神聖なことなのです。

 四、全体で向上し、昇華する

 一人の大法弟子に大きな病業による妨害が現れたことは、絶対に個人だけの問題ではありません。関係ある同修なら皆内に向けて探すべきです。それは私達が全体で一つを形成するからです。同修を助けることは自分を助けることでもあり、同修の病業に対処するに当たって、自分の不足をも暴露する可能性が大きいからです。同修の執着が自分にも大抵あり、とても深く隠されている可能性すらあります。同修に対して責任を持つことは自分にも責任を持つことでもあります。そこで心を開き、隔たりを無くし、病業のある同修と共に歩み、堅固で破壊できない全体を成すべきです。そうすれば、邪悪は隙を突くことができなくなります。そしてそれは同じく大法を実証することになり、衆生をも救い済度するという要素が含まれています。

 病業について未だに多くの未知の要素があります。また、旧勢力によるもっと隠された按排と妨害もありますが、師父は私達に「忍び難(がた)きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[1]とおっしゃいました。私達は法を正す時期の大法弟子ですから、大法の要求通りに自分の行うべきことをよく行い、すべての執着を取り除き、何事にも不満を持たず、自分を師父に任せれば結果はどうあれ、師父は必ず私達をサポートして下さるでしょう! 大法の内包は無限ですので、同修は法を師として下さい。

 師父に感謝いたします。同修の皆さんに感謝します。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/10/1/375153.html)
 
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