世間の妨害を突破するには 常人の思考を神の認識にまで昇華させるしかない
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年10月10日】今世の乱れは、我々が法輪功真相を述べることに対する妨害が発生させました。例えば、あちらこちらに隠されているビデオカメラ、街のあちこちにいる共産党の保安隊員、そして、携帯電話で場所を特定できるソフト等多くのものがあります。いろんな手法や手段を駆使して制限され、人々の居場所がなくなり、少しの動きでも共産党当局の様々な手法や手段によって感知されます。

 大法弟子達はそれぞれ異なる法理を悟りました。「ビデオカメラに向かって、ビデオカメラという生命を大法弟子への迫害行為に参与させないように、真相を述べる同修がいました。携帯電話の妨害を否定し、携帯という生命を我々のために働かせる同修もいました・・・・・・」。異なる角度と場面で、旧勢力からの按排を否定し、大法弟子らしい役割を果たしていました。これは法理による指導に従い、常人から離脱したからこそ出来ることです。

 実は、旧勢力に按排されたこれらの妨害や迫害手段は、表面上ほとんど常人の方法で表れ、常人に向けて、常人の心に向けるものです。この点で神の心態で慈悲に対応すれば、常人のことは神にとって、何の弊害もありません。

 相応しくないかもしれませんが、一つ例を挙げます。もし心性が本当に神の境界に達すれば、原子爆弾に乗っていても爆発しないと、理解しても良いでしょう。ただ、これはこの意味を説明したいだけです。

 人間世界で、私達を妨害できるすべての物事、様々な場面は、私達の常人の観点から考えたものであるかもしれません。私達は修めなければならず、私達は向上しなければないのであり、私達は常人から神になるために、必ず乗り越えなければならないことなのです。

 一般的には異なる場面や異なる角度で、異なる妨害により、私達は多い少ないという違いはあっても、事が大きかろうが小さかろうが突破しなければならず、そうして初めて異なる境界に達します。そうして各々の境界で、我々のやるべきことをやっていかなければなりません。

 我々に対する最終的な要求は、常人のすべての考え方を、神の認識まで昇華させるしかなく、そうでなければ、我々は基準に達することができません。本当にこの境界に達することができれば、いかなる凶悪な世間にいても何も凶悪なことはなく、私達は楽園を歩んでいるかのようになります。実質上、神念による強大なエネルギー場が広がり、そのエネルギー場がカバーできる範囲内では、すべての邪悪な要素が解体され、法ですべての衆生を正します。もちろん、済度できない生命ならば自然に解体されます。

 この世の中には多くの様々な妨害がありますが、我々が向上できさえすれば、すべての妨害は結局、何の意味もなしません。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/9/12/373689.html)
 
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