長年 気付かなかった 嫉妬心を取り除く
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文/中国 湖北省の大法弟子

 【明慧日本2018年12月19日】師父は「嫉妬心は中国ではきわめて強烈に現われており、すでに日常茶飯事になっていて、自分でもそれと感じられないほど強烈なものとなっています」[1]と説かれました。私は修煉してからすでに20年経ち、この法を何度も数え切れないほど読みましたが、嫉妬心が自分とどんな関係があるのかを悟ることができず、毎回素通りしていました。私はずっと自分には嫉妬心はなく、他人を嫉妬したこともないと思っていましたので、嫉妬心のことを気にもしていませんでした。

 今日、また嫉妬心に関する部分を読みました。師父は説かれています。「観念が違うと結果も違います。中国人の観念は人に嫉妬心を生じさせ、他人に良いことがあったら、その人のために喜ぶどころか、自分の心のバランスがとれなくなります。こういうことが起きてくるのです」[1]。「嫉妬心という問題はかなり重大です。なぜならそれは、われわれが修煉して圓満成就できるかどうかという問題に直接かかわってくるからです。嫉妬心を無くさなければ、人の修煉した一切の心が脆弱なものになります。ここには一つの決まりがあります。すなわち人間は修煉の中で、嫉妬心を無くさなければ正果を得られないもので、そうしなければ絶対に正果を得ることはできないのです。業を持ちながら往生すると阿弥陀佛が語ったことがあるのを、皆さんはお聞きになったことがあるかも知れませんが、しかし嫉妬心は無くさなければ駄目です。つまり他の方面で少し足りないところがあっても、少々の業を持ちながら往生して、再び修煉してもよいかも知れませんが、嫉妬心は無くさなければ絶対に駄目です」[1]

 今日、この数段落を読んだ時、師父のお導きなのか、あるいは、自分の次元がある程度向上したことが原因なのか分かりませんが、心が非常に痛み、とても苦しくて、知らないうちに涙が絶え間なく流れました。修煉の中で、いつも嫉妬心はないと思っていましたが、急に嫉妬心と関連することが次々と頭の中に浮かんできました。

 例えば、夫の姉の子供が大学に合格した時、私達を含めて、夫の兄弟姉妹はみな揃ってお祝いに行きました。しかし、私達の子供が大学に合格した時、誰も来てくれず、私は嫉妬しました。夫は兄弟姉妹が多く、ふだん、みんなお互いに仲良くしているのをみて嫉妬していました。特に、夫の弟と妹が幼い時、私達はあらゆる援助をしてあげましたが、今、私達が年をとり、病気を患っていても、誰一人関心を寄せてくれなかったことにも嫉妬しました。こればかりでなく、私は常に親族の中で争う心があったので、兄弟姉妹との関係を悪くしていました。

 今年の新年早々、夫と、夫の姉の子供が手術をしました。子供の方が夫より2日前に手術しました。手術は夫の方が大きかったのですが、子供が手術した時は多くの人が来て、私達や私達の子供もお見舞いに行きました。しかし、夫の時には誰も見舞いに来てくれませんでした。私は心のバランスを崩し、常に夫に愚痴をこぼしていました。そのせいで、夫も気持ちが晴れませんでした。夫も自分の家族のことなので、悪口を言うわけにもいきませんでした。それでも私は気にも留めず、自分の言うことが正しいと思い込み、意地を張り、これらのことで心の中は不満だらけでした。

 今日、『轉法輪』で「他人に良いことがあったら、その人のために喜ぶどころか、自分の心のバランスがとれなくなります。こういうことが起きてくるのです」という師父の説法を読み、私は突如夢から覚めたように感じました。私は20年も修煉してきたのに、心性を守ることすらできていないことに気付き、後悔しました。これらの行為は強い嫉妬心であり、心性が非常に低くて全く修煉者がやるべきことではありませんでした。

 20年の修煉の過程で、自分はずっとよく修めており、心性をしっかり守ることができていると思っていました。師父の説法を聞き、この20年間の自分の振る舞いを真剣に照らしてみた時、一つ一つのことが師父の要求とは違っていたのではないかと気付きました。それは闘争心、嫉妬心、疑心、恨む心、利益にこだわる心、損を蒙ることを恐れ、少しの利益まで得ようとする心など、これらの最も良くない執着心をまだ取り除いていないだけでなく、時には非常に強烈に現れ、さらには常人よりも際立っていました。

 今日、明慧の体験交流の場を借りてこれらの悪い執着心を暴露し、今後、学法する際、以前のように任務を果たすかのようにただ読むのではなく、心に留めなければならないと思いました。これらの良くない執着を徹底的に取り除くように、必ず真剣に法を学び、師父が教えてくださったように、「法を学びて法を得る 比べて学び比べて修す 事々対照し 做すところ到るは是れ修なり」[2]、このようにすべきだと悟りました。法輪大法の要求に従い、自分に厳しく要求し、着実に学び、着実に修めて真の修煉者になり、円満成就して師に従って帰ります。

 以上は、個人の認識で、妥当でないところがあれば同修の皆さんのご指摘と叱正をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「着実に修める」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/9/12/373696.html)
 
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