良い所取りで法を理解してはならない
文/中国の大法弟子
【明慧日本2018年8月13日】『二〇一八年ワシントンDC説法』を読んでから、一部の同修はとても嬉しくなって、肩の重荷を下ろしたかのようです。彼らは良い所取りで法を理解し「いよいよ三界から抜けて、六道輪廻から解放される。やっと、ほっと一息つくことができる。万事めでたしめでたし」と考え、ひいてはすでに世を去った同修、または修煉がよくできていない家族同修のために喜びを感じています。
皆さんは考えてみたのでしょうか? 大法には基準があって、圓満成就にも基準があります。心性が達する境地は次元の境地であり、すなわちあなたの果位です。圓満成就に達するまでの修煉の中で、「どの心も取り除かなければならず、どの心も取り除かれていなければ、即ち有漏ということになります。有漏であれば、圓満成就することができません」[1]
私たちがまだ圓満成就に達していない今、正法が終わりに近づき、中国共産党も崩壊寸前で、いつ解体してもおかしくない状況です。師父が巨大な犠牲を払われて延長して下さった時間の中で、私たちは少しも気を緩めてはいけません。「最後になればなるほど精進しなければいけません」[2]。絶対に気を緩めてはならず、怠ってもいけません。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『北米第一回法会での説法』
[2] 李洪志師父の経文:『大法伝出二十五周年ニューヨーク法会での説法』