私と妻の出来事
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 文/内モンゴルの大法弟子 巴図

 【明慧日本2019年1月5日】妻と結婚した当時、私は喜んで「この人生はうまくいき、町で嫁を見つけ、嫁の容貌も悪くない」と考えていました。しかし結婚してから妻は個性が強く、優しいところがなく、男勝りであることがわかり、話をすれば3分で私を圧倒しました。喧嘩(けんか)になると、私が話し出さないうちに、暴雨のような勢いで圧倒され、ののしられ、私がおとなしくなるとやっと静かになりました。私はムカムカし気分が悪くなりました。最もひどい時は、自分の食事を自分で作らなければならず、数日間話をしてくれませんでした。私は「この結婚は失敗だったのではないか?」と苦悩し、何度も、離婚したいと思いました! しかし、本当に離婚してしまったら先の見通しが立たず、苦しくても解決方法が見つかりませんでした。

 以前に家庭円満の方法を探したことがあり、ある人が「あなたが弱みを見せて、おとなしくへばりついいているか、さもなければ、彼女を屈服させるしかない」と教えてくれました。ある人は「夫婦ゲンカしないなんていうのはまれで、適当にやっておけばいい!」と言いました。またある人は「年齢が若いうちに離婚し、人生は数十年あるのだから、奥さんの言いなりになる必要はない」と私に提言しました。

 困惑と苦悩の中で私は1年また1年と過ごし、互いに心を痛め体調も悪くなり、薬がなくては生きていけなくなりました。時には目を閉じると、妻の欠点としゃくにさわる出来事で頭の中がいっぱいになりました。その日考えたのは、もし当時、本当に離婚していたとしても、結局、同じような不幸が私を待っていただろう、と思いました。

 そんなある日のこと、私が法輪大法を修煉するようになると、妻との戦争はだんだんと鳴りをひそめるようになりました。

 陽光がさんさんと降り注ぐある春の日に、友人の1人が法輪功を紹介してくれ、法輪功がどのように素晴らしいかや、健康に不思議な効果があることを知りました。友人は国家機関の書記で教養があり、肩書きを持っていました。私は疑問を持ちながら「あなたは中国共産党の幹部なのに、なぜ法輪功を信じるのですか?」と尋ねました。友人は「すばらしい功法だから、やってみてくださいよ」。当時まだ国は修煉を許しており、県内のどこにでも煉功がありました。そこで半信半疑ながら、9日間の法輪功講習会に参加しました。

 講習会に参加して2日目の時、不思議な感覚を覚え、身体が浄化された時に現れた症状が先生が説かれた症状と全く同じでした。9日間の講習会を終え「人はどこから来たのか?」や「どこに生命の落ち着き先があるのか?」という私が考え続けてきた人生の究極の問題の答えがわかりました。これはどんなに考えても解けなかった難問でしたが、このことが轉法輪』の本の法理の中ではっきりと説かれていました。まさに、先生が説かれた「そんな人はいったんわれわれの法輪大法を学んだら、人生の中で知りたくても答えが得られなかったたくさんの問題がたちどころに分かるようになります。思想の昇華に伴って彼は非常に感激することになります」(『轉法輪』)のようでした。自分の運命はなぜこんなにでこぼこであるのか、がわかり、結婚がなぜこんなにうまくいかないのか、がわかりました。また、あんなにたくさんの薬を飲んでも直らなかった病気が、なぜ煉功した後、消えてなくなったのでしょうか? あの病気はどこへ行ってしまったのでしょうか?

 以前は妻とケンカした時、いつも妻を変えようとしましたが変えられず、この点において、『轉法輪』の本の中ではっきりとした答えが見つかりました。例えば、何かあったら自分に原因を探すことです。また、人を思いやることです。他人の欠点を見ずに、他人の長所を見ることです。他人を理解し、包容することです。恨んだりせず、苦しみを楽しみと考えること、などの答えが見つかりました。先生は「韓信の股くぐりの話」を説かれました。私はすぐに根本的な問題を見つけ出しました。以前によく妻とケンカになったのは自分の心性が低く、妻の悪い所ばかり見ており、自分に原因を探さず、心が狭く、自我が強く、問題は自分の方にあったことを見つけました。『轉法輪』の内涵は博大で奥深くすべてを包容し、私の家庭の事情も、『轉法輪』の中の法理で解決することができます。そして、それは容易くできてしまい、心の中がすっきりして得心がいきました。

 その後、妻が再び腹を立てた時、私は自分を抑制し口げんかせず、自分に原因を探し自分を改めました。トラブルに見舞われ自分に原因を探すと、忍耐することができ、一歩退くことができ、本当に「窮しても道は開ける」のようでした。先生は「平素から慈悲に満ちた、和やかな心を保っていれば、問題が起きた時には、一息おいて余裕をもって、適切にその問題に対処することができるのです。日頃いつも慈悲の心を保ち、善をもって人に接し、何かをする時にはいつも他人のことを考え、問題が起きた時はいつも他人がそれに耐えられるかどうか、他人を傷つけることはないかを考えていれば、何の問題も起こりません。したがって、煉功にあたっては、高い、もっと高い基準で自分を律しなければなりません」(『轉法輪』)と明確に教えてくださいました。

 もちろん、私が大法を修煉したからといっても妻はすぐに変わらず、妻が良くなったかどうかが重要ではなく、自分が変われたかどうかが重要です。妻の性格は相変わらずで、私を懲らしめるのも相変わらずで、感情の起伏が激しく、急に態度を変えて相手にしなくなったりしました。しかし、私の心は広くなり、度量も大きくなり、トラブルが起きても心を広くもてるようになり、墨汁をかめの中に入れるとかめの中の水は黒くなりますが、墨汁を海に流すと海水は依然として青いままであるかのようでした。私は海のような大きな度量を持っていませんが、少なくとも日日と変わり始め、日と進歩し、妻が私の心を深く傷つけた時でも私は言い争わず、それどころか笑い飛ばし、時には無理やり笑うこともありました。

 ある時、妻が台所で料理をしており、料理しているうちに怒り出し、炊事道具を床に落として大きな音を立て「疲れた」と言いましたが、私は妻に同情せずに「俺はお前の使用人じゃないぞ」と言いました。妻が私をののしる時はさらにいつも私の両親も一緒にののしりました。私の母親は早くに亡くなり、妻は私の死んだ母親をもののしり、それは私の心が深く傷つき最も良くない出来事でした。しかし私ははっきりとわかっていました。以前、妻を傷つけたことで、妻の心は氷のように凍てついてしまったのです。しかし私は信じていました。私が良くなれば凍てついた心は必ず溶け、いつか美しい花が咲き乱れる大平原に変わることを信じていました。

 家庭内のトラブルはいつも小さなことから引き起こされました。たとえば、台所の調味料のこととか、トイレットペーパーのことなど、使い終わったら買いに行かなければなりませんが、妻は買いに行こうとせず、私が買って帰ってくると「女の仕事ばかりして、誰が買って来てと言ったのよ?」と怒り出しました。それから私は反省しましたが、トイレに行かないわけにはいきません。そこでトイレットペーパーがもうすぐなくなりそうだった時、私は最後の一つを隠すと妻はトイレから出られなくなり、私に助けを求めてきました。この時私は非常に優位に立ち「お前は注意が足りないんだ。こんな小さなことも気づかないなんて、俺が補充してはいけないとお前は言ったよな? どうしたらいいのかなぁ、トイレから出れないな?」とこの時とばかりに言い返しました。それからというもの妻は相手にしなくなり、私が何を買っても何も言わなくなりました。善の心の現れは他人に影響を与え、他人を感動させます。私は妻の長所を見て短所を見ず、妻の長所を褒めました。それは妻の人間性をめることでもあり、私の寛容さに対して妻は少し良くなりました。

 ある時、郷里の弟が家を買うためにお金を借りに来ましたが、妻はお金を貸さず、さらにあれこれ文句を言いました。弟の妻は泣きながら「お金はもう借りません。貧乏人にも貧乏人の意地があります」と言いました。この時私はつらくなり、もし以前であれば大喧嘩になっていたに違いありません。今回私は怒らず、弟の妻に「妻の性格は悪いが心は悪くはないので、そんなに怒らないでください」と詫びました。私は妻を振り返って「もともとお前はいい人なのに、今日は人を傷つけてしまい、これではよくないよ」。私は妻に理解を示しながら「お金が戻ってこないんじゃないかと思っているんだろう?」。妻は「そうよ、この年の初めにお金を貸す人がどこにいるのよ?」。私は「お金を貸さないというのも悪い話じゃないよな?」。妻は自分が道理にかけているのがわかり、すぐに謝り「それなら今回はお金を出すわ」。以前ならこれらは不可能なことで、妻が誰かに謝ったことがあったでしょうか? 頭を下げたことがあったでしょうか? 全くありませんでした。

 私は『轉法輪』の中で説かれている良い人になることの道理をいつも妻に話して聞かせ、因果応報についての昔話を聞かせています。また、六道輪廻の物語を聞かせ「他人を大切にするということは、自分を大切にすることだよ。他人を助けるということは自分を助けるということで、子供たちのためにも福を積むことだぞ。そう思わないか?」と諭しました。妻は「今一つ納得できないけどね」。私は「お前の心はきれいで、温厚で、裏表がなく、もう少し優しい性格だったら完璧なんだが」。妻は「あなたが私に教訓を与えないで、今あなたはきちんとしているけど、以前は私を怒らせたんだからね」。私は「あれは俺が悪かった。今は修煉し、どのように嫁をいつくしむのかがわかり、俺に変わるチャンスを与えてほしい。今は以前より随分良くなっただろう?」。妻は「以前のあなたはロバで、李先生がロバのしっぽを切り落としてくださったので、やっとあなたは人間らしくなったわ」

 街に買い物に行く時、妻の買い物に私がついて行きます。買い物が終わると私が荷物を持ち、私が歩き疲れると、妻が私を引っ張ってくれます。他の人が「あなた達を見ていると、本当に幸せそうね」と羨ましがられます。

 妻は点心を食べるのが好きで、街で見かけると私は妻のために買って帰ります。食事の時は、まず妻のご飯をよそい、箸をきちんと並べます。時にはご飯の量が少ない時があり、まず妻のご飯をよそい、私は冷や飯と残ったおかずを食べます。それでも、私の心は満ち足りており、楽しみはその中にありました。

 妻はまんじゅうを蒸すことが下手なのに、いつも蒸したがります。そしていつも失敗し、蒸しあがったまんじゅうは黄色くて硬くて、妻は食べたがらず、私が何回かに分けて食べます。私が数回食べた後、妻が捨てようとしたので「食べ物を捨てるのは良くないよ、先生は食事の時、残ったご飯とおかずは包んで持って帰っていらっしゃる。俺が食べるから、お前は新しいご飯を食べなさい」と諭しました。

 夜テレビを見て妻が寝てしまい、テレビがつけっぱなしでした。私はテレビを消し、妻に布団をかけてやります。妻は目が覚めて「ありがとう」と言ったので、私は「いい夢を見れたかい」と言うと、妻は幸せそうに笑いました。

 朝の煉功の時、私は電子ジャーのスイッチを入れ、妻が起きるともうご飯は出来上がっています。妻は感動しながら「あなたがこんなに優しい人だなんて、なんでもっと早く気が付かなかったのかしら?」。私は「『轉法輪』が人のことを思いやるように教えているのだから、お前のことを思いやらなければならないだろう? だけど他の同修と比べたら、まだまだだよ」。妻は「来世も私たちは夫婦になるわよね?」。私は笑いながら「お前は素晴らしいのだから、来世は他の人と一緒になれよ」。妻は「いやよ、一緒になってくれなくちゃ」。私は「俺はこの世で必ず修め遂げるのだから、来世はないだろうよ」。妻は少し寂しげな様子で「あなたが修め遂げてしまったら、私はどうしたらいいの?」。私は「お前も修煉すればいい、素晴らしいこの『轉法輪』で、誰でも修煉できるのだから、修めないなんてもったいないだろう。人としてどんなに素晴らしくても、『轉法輪』素晴らしさと比べれば、どうということはないんじゃないか?」。妻は「でも、私座禅できないし、足が上がらないのよ」。私は「大法は心を修めることに重きを置いていて、俺が20年薬を飲んでいないことを、はっきりと知っているだろう。けれど、もし修煉しなかったら、どうなっていたかわかるだろう?」

 時には、私もうまく行えず、怒ってしまう時があります。最近では、妻の方から私を落ち着かせ「無駄に法を学んでいるなら、もう学ばなくてもいいわよ。李先生はどうしてあなたのような人を弟子にしたのでしょうか?」と逆に諭されます。そのような時、私はすぐに無言になり「しまった、改めなければ! 必ず改めなければ」と心の中で言います。

 私が改めれば改めただけ、家庭のトラブルは少なくなります。また努力すればしただけ、夫婦の仲は良くなる、ということに私は気づきました。妻が忙しそうにしているのを見て、時に私は「人は何のために一生を送るのだろうか? 若い時、私たちは何度もケンカをし、お互いに傷だらけになり、今は知らないうちに妻の頭は白くなり、顔にはしわが寄り、これが人の一生なのだろうか? 生命は修煉してはじめて活路が開け、永続する福を得ることができるのだ」と思いました。

 家庭内のどんな小さなことでも、私は妻と相談します。例えば、子供が結婚してしきたりに従い、私が何か話をしなければなりませんでした。そんな時にはいつも大法はこんなにも素晴らしく、修煉の内容を話して、親せきや友人に福報を与えなければならない、と私は思いました。しかし心配なことは、中国共産党が私たちに圧力をかけ、法輪大法が素晴らしいことを話せば、警察官を招くことになることを私は恐れました。すると妻は「『真・善・忍が素晴らしい』ことを話しなさいよ、他の人も聞けばわかるはずよ」と促しますので、私は妻の言う通りに行いました。子供の結婚式の日、私が「真・善・忍に従い身を処せば・・・」と話し始めると、拍手が起こりました。その後、妻が「あなたが話をした時、私は後ろで『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と念じ、あなたを応援していましたよ」。その言葉に感動した私は、妻の変化と妻の素晴らしい未来のために安らぎを感じました。

 私が大法を修煉することを妻は支持してくれます。時に私に家事を手伝ってもらいたい時でも、私が法を学んでいるのを見ると、静かに1人で家事をこなしました。子供が家に帰ってきた時も、妻は静かに「お父さんは煉功中だから、邪魔しないようにしなさい」と注意をします。

 ある時妻が「以前に離婚寸前になった時、私は人に占ってもらい、あなたが40歳になればよくなる、と占いで言われ、本当に当たっていたわ」と当時を振り返りました。私はすぐに「俺が大法を学んだから良くなったのであって、占いが当たっていたわけではない。大法を学ばなければ、俺たちの暮らしはどうなっていたかわからなかったぞ!」と正しました。妻は「どちらにしても、あなたは今はとても優秀になったわ」。私は「お前の変化も大きかった。ますます良くなり、優しい心を持っている」。妻は「もともと私は悪くないのよ、あの頃はあなたが怒らせたのよ」。妻のこの話を私は認めました。あの頃の私は問題が多く、夫婦喧嘩は言うまでもなく、外で女性に会っていたことなどは話す値うちすらなく、何も恐れていなかったのではないでしょうか?

 以前の喧嘩では、思い出すとどうでもいいことのために、さらには言葉や表情など、気に食わないことがあると怒り出し、その結果どんどん大きな喧嘩になりました。今はそういうことはなくなり、妻が何を言っても私は理解でき、妻を評価します。例えば、家事をしている時、妻が何かの歌を歌っていれば、私は静かに聞き、歌い終わった後で妻が「私の歌どうだった?」と聞くと、私は「特色があったよ」と言いました。妻は「どんな特色?」。私は「脳みそが爆発するような、全身に鳥肌が立つような特色だよ」。妻は「ばかばかしい」と笑い転げました。私は「法輪大法は素晴らしいを歌ったほうがいいよ、それならもっと明るくなるだろう」と促しました。

 ある時健康食品を買い、妻に食べさせて「俺は大法を修煉して健康だから、これはいらないよ」と言うと、妻は「だめよ、あなたも食べてよ、じゃなきゃ損でしょう」。しかし私が食べずにいると、妻は茶碗を持ちながら、家中私を追いかけ怒りながら「もし、おしゃれな小娘があなたにあげたら、それでもうれしくないの?」。私は「俺にはそんな小娘はいないよ」。妻は「知ってるわよ、もしいたらの話よ。もしいたらその小娘の口を引き裂いてやるわ」。私は「もし、大法を修煉せずに自分を変えなかったら、俺が何をしようとお前はどうしようもなかっただろう」と思いました。人が悪くなったら、誰が止められるでしょうか? もし人が良くなろうとすれば、必ず神佛が助けてくれます!

 私の話は一般的な話ですが、人の性格がどんなに悪くても、夫婦仲がどんなに悪くても、心から法輪大法をしっかり修め、自分を修め、自分を変えさえすれば、数年かからずに好転することを私は保証します。私にはそのことがはっきりとわかっており、家庭が穏やかになり、夫婦仲がよくなります。信じられなければぜひ試してみてください!!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/5/16/346765.html)
 
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