遼寧省営口市の教師一家が受けた迫害の真実
■ 印刷版
 

 明慧日本2019年3月21日】遼寧省営口市の法輪功学習者・王愛雲さんは、1990年代に王さんの住んでいた地域に法輪功が広まった時、王さんの家族は皆で法輪功を学び始めた。そして、皆心身ともに健康になった。しかし、1999年7.20に中国共産党が法輪功迫害を引き起こし、王さん一家は残酷な迫害を受けた。そのため、王さんの夫は迫害によって死亡し、王さん自身も迫害によって、寝たきりの状態になってしまった。

 王さんは同市の熊岳镇勝利小学校の教師だった。法輪功を学ぶ前、自律神経失調症、めまい、無気力、食欲不振などの症状があり、いろいろな病院で検査をして治療を受け、療養所にも入所したことがあり、他の気功も習ったが、どれも効果がなかった。

 しかし、1995年、王さんは法輪功を学んでから体の状況が徐々に改善し、そのうち奇跡的に病状がなくなった。法輪功を学んで王さんは新たに命を与えられ、家族もみんな喜んだ。

'从左至右分别是王爱云的外孙儿、王爱云、丈夫怀抱孙子'
元気になった王さん夫婦と孫たち

 しかし、1999年7.20、江沢民が法輪功への鎮圧を開始した。王さんは「法輪功への迫害が始まってから、我が家では穏やかな生活が出来なくなり、24時間ずっと監視され、家宅捜索を頻繁に受けました。公安分局の警官らが我が家に嫌がらせにやって来るのは、日常茶飯事となりました」と話していた。

 そんなことがあって、王さんは夜よく眠れなくなり、パトカーのサイレンを聞く度に、心臓がドキドキするようになった。王さんの夫は持病があり、警官が毎回家宅捜索をした後、持病の心臓病が悪化し入院しなければならなかった。

 1999年末、営口市公安局と熊岳公安分局の警官らは王さんの家に行き、王さんを拘留所に連行して15日間拘留した。

 2003年8月、同市ハツ魚圏区の警官ら4人は王さんの家の壁をよじ登って庭に入り、不当に家の中に侵入した。そして、警官らは下着姿のままの王さんをハツ魚圏区公安局に連行した後、留置場に送った。

 留置場で王さんは食事も摂れず、2回も意識を失った。2回目の意識不明で目が覚めると、全身に痛みを感じたが、警官は「声を出すな。お前が死んだら、外に捨ててやる。これは上の命令だ」と脅した。

 その10日後、健康状態が悪化した状態の王さんは1年の労働教養処分を下され、悪名高い瀋陽市の馬三家労働教養所に送られた。馬三家教養所で王さんは薬物の迫害により、脳出血の症状が現れ、半身不随になって、自立生活ができなくなった

'王爱云老师被迫害致残照片'
迫害で寝たきりになった王さん

 王さんの次男・孫世成さんは2000年11月、法輪功迫害停止を求めるため、北京に行った。しかし、北京の陳情弁公室に着くと、その場で連行された。その後、熊岳公安局の警官らによって地元に送還され、手錠をつけられ、ベッドにつながれた。立つことも座ることも出来ず、そのまま一晩置かれ、両手に傷を負った。

 その翌日、孫さんは蓋州市公安局に送られ、15日間拘留された。帰宅して1週間後、熊岳公安局の警官らは孫さんの家から連行して営口市教養所に送り、2年間拘禁した。

 2003年12月7日、熊岳公安局の警官らは再度に孫さんを連行し、営口市洗脳班に入れた。

 王さんの娘婿・畢世君さんは北京に法輪功の陳情をしたため連行され、留置場に15日間拘禁された後、営口教養所に送られ、3年間拘禁された。

 2004年7月8日、畢さんはハツ魚圏区公安局の警官らに連行され、同区の留置場に15日間拘留された。2009年9月23日、畢さんは再々にハツ魚圏区公安局の警官らに連行され、2010年に懲役7年の実刑判決を宣告され、大連刑務所に収容された。

 王さんの娘・孫麗さんは2009年、夫の畢さんと同じ日に連行され、2010年7月に懲役5年の実刑判決を言い渡された。麗さんは自分が無罪だと思って、瀋陽女子刑務所に送られたとき、車を降りようとしなかったが、営口留置場に連れ戻され、吊し上げられた。王さんは娘に面会に行ったが、拒否された。

 麗さんはその後、瀋陽女子刑務所第7監区に拘禁された。真冬に服を剥がされ、裸足のままで窓のそばに立たされた。警官らは受刑者に指図して、よってたかって侮辱して苦しめた。そのせいで、麗さんは重い心臓病の症状が現れ、何回も危篤状態に陥った。

 畢さん、麗さん夫婦の息子は小学生だったが、世話する人がいなくなり、田舎の年老いた祖母の家に行き面倒をみてもらった。

'毕世君、孙丽的小儿子'
畢さん、麗さん夫婦の息子

 2009年9月23日、王さんの娘夫婦が連行された後、警官らは家宅捜索をした。同年12月1日、警官は再度、王さんを連れ出して、家の写真を撮った。

 王さんの息子で知的障害のある一番下の息子、次男、娘、娘婿の全員が不当な拘禁、労働教養処分、実刑判決の宣告を受けた。

 王さんは労働教養所の残忍な迫害で半身不随になっていたが、娘の解放を求めるために杖をついて、雨の日も、風の日も、一歩また一歩と歩いて何回もハツ魚圏区裁判所に行った。

 そして、肉体的にも精神的にも酷く苦しめられた王さんは、やがて歩けなくなり、完全に寝たきりの状態になったという。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/3/6/383526.html)
 
関連文章