【明慧日本2019年3月29日】「2019フィンランド法輪大法修煉体験交流会」が2019年3月17日、首都・ヘルシンキで開催された。14人の大法弟子が日ごろの修煉体験を発表し、いかにトラブルの中で内に向けて探し、如何に自分を修めて法輪功の真相を伝え、衆生を救い済度したかを発表した。
修煉状態を高め、極端に走らない
若いベトナム人学習者は、修煉して5年になる。修煉を始めた最初のころは、時間に対する執着が生じ、時間があまりなく間に合わないと思い、大法の活動に多く参加して、私生活においてやや極端になり、家族との連携があまりとれなくなった。のちに彼女は修煉の昇華に伴い、人々は修煉者の行為をもって大法を量ると認識し、そして彼女は徐々に執着を放下して、自分の行為を正し、家族と良好な関係に戻ったという。のちに彼女の父親は法輪功に対するマイナス的な考え方を改め、彼女の伯母さんも法輪功を試しに煉功するようになったという。
小さな事を通して 内に向けて探すことができるようになった
馬さんは「どうすれば真に内に向けて探すことができるのか?」と苦しんでいた。毎回、内に向けて探す時は、面子を気にする心、不平不満の心、時間に執着する心、色欲心などなどを見つけていたが、しかし表向きに内に向けて探したのであって、法理に基づいていなかったという。そのため一つの形と自動的な機制になっていなかったとのこと。
彼はあることを機会に法を暗記することに決め「私は徐々に内に向けて探すことを覚え、日常生活の中で、仕事をする中で、毎日修煉する中で、一思一念を法に照らし合わせ、法に符合していない考え、観念、行為と執着を見つけ、修煉の中で繰り返しそれを取り除きます」と述べた。
彼は例を一つ挙げた。「妻は修煉していません。しかし、彼女は修煉者の基準で私に要求してきます。ある日、私は茶碗を洗っていたが、急用のため出かけなけらばならず、茶碗を綺麗に洗っていませんでした。それに彼女は気づきましたが、何も言いませんでした。しかし妻は「床を綺麗に掃除してから出かけるように」と言い出しました。彼女はこのように、いろんな仕事を私にやらせるので休む暇もありませんでした。そのため、私は彼女に対して怨む心が生じ、不満をもって床の掃除を済ませましたが、綺麗になっていないと見た妻は、ゆっくりと私に刺激を与えないように「信じられません。これぐらいの事をできない人が、円満成就があり得るでしょうか?」と言いました。この言葉を聞いた私はドキッとして「彼女はいつ目覚めたのでしょうか? もしかすると師父は彼女の口を利用して、私に悟らせようとしていたのかもしれません。私は急いで内に向けて探し、どのような執着心があるのか? 私には焦る心、怨む心があって適当に掃除をして、真面目に行いませんでした」と言った。
他人の不足を見つけた時、内に向けて探す
董さんは強がりな性格で、仕事をする中で専門的な教育をよく行い、専門知識を持たないで商談する際には、その場を乗り切れないと思っていたという。修煉を始めてからの彼女は、これは良くない執着心だと分かり、修煉を通してこの執着心を取り除いたと思っていた。しかし、同修と付き合っているうちに、その人に強がりの心があると気づき、そして彼女は自分に問い直した。「相手が私の前での現しは、私に無関係でしょうか? 相手を見るだけで済ませていいのでしょうか? 私は内に向けて探さなくていいのでしょうか?」すると彼女自身も同様な強がりの心が、まだ残っていたことに気づいたという。
彼女は交流の中で「具体的に言えばフィンランド語の勉強に行き、フィンランド語を学ぶ最初の起点は真相を伝えるため、西洋人同修と交流するためだったのです。しかし、勉強する中でとても難しく感じ、投じた時間と精力は得られたものと正比例をなしていませんでした。時間を多く投じていれば、煉功する時間がなくなり、無力感を覚え智慧を開いた状態ではなく、身体のあちこちが辛く感じていました。そして私はこの状態について内に向けて探し、根元まで探すことはできなかったのですが、実は強がりの心が作用していました。負けを絶対に認めない、必ず良く勉強する、行う中で求める心が存在していました。自分は全く気づきませんでしたが、幸運にも同修の現れが私の執着心に気付かせ、自分を修めて、昇華する機会を見逃しませんでした」と述べた。
西洋人同修 修煉の機会を会得する
西洋人学習者は交流の中で「あるプロジェクトの任務が私に与えられた時、それは修煉の機会だと思いました。与えられたことは、できるかどうかはさておいて、やってみるべきだと思いました。もし拒否すれば、再び機会がやって来るとは限りません。衆生を救うことが私にとってとても大事な事で、分からないことは師父に手助けを求めることができると私は知っていました。考えすぎると、間違いが生じます」と述べた。
法会終了後、参加者たちは生活の中で、仕事の中で、法を実証するプロジェクトの中でよりよく内に向けて自分を探し、修煉をしていく中でさらに精進し、このようにすれば衆生を救い済度する使命を果たすことができるという。