【明慧日本2019年4月18日】吉林省長春市の法輪功学習者・穆君奎さん(49歳男性)は2019年3月20日、中国の南方で行なわれた展示・注文会に参加して、長春市に戻ってすぐに警官らに長春市第一留置場に連行され。
2018年9月7日、長春市寛城公安分局と西三条派出所の警官らは穆さんを連行したとき、穆さんの頭と顔を殴った。そして、警官らは穆さんの自宅と倉庫を家宅捜索して私物と仕事用品などを押収し、穆さんを長春市第一留置場に送った。留置場に入所する際の身体検査のとき、手錠をかけられていた穆さんはまたも警官らに殴られ、手錠をいっそうきつくされた。しかし、30日に「証拠不足」で、穆さんは保釈された。
2019年2月末、穆さんは南方での展示・注文会に参加することを寛城検察庁の関係者に話し、同意を得て参加した。しかし、3月20日、長春市に帰った途端に穆さんは連行され、留置場に送り込まれた。
穆さんは法輪功を学ぶ前はよく人と喧嘩していた。ある喧嘩で穆さんは負傷して、回復が困難な状態になった。しかし、1994年、穆さんは法輪功を学び始め、真・善・忍の基準で自分に要求し、健康を取り戻した。
修煉者になった穆さんは善良で心が広くなり、苦を嘗め苦しみに耐え、困難に遭っている人にいつも手を差し伸べて助けた。しかし、1999年7.20、江沢民集団が法輪功への迫害を開始してからは、良い人になった穆さんに対して、繰り返し迫害を加えられた。
2000年10月の直前、普陽街派出所の警官ら十数人が穆さんの家に不当に侵入し、法輪功の関連書籍などを押収し、10月1日に「閲兵式」があるという理由で、穆さんを八里堡拘留所に連行した。
穆さんは長春市政府の食堂に勤めていた。1999年7.20に法輪功迫害が開始された当初、穆さん長春市政府の建物から出ないように身の自由を制限された。昼間に建物の中で仕事をし、夜になると建物の中にある保衛処で泊まるようにと要求された。このような身体拘束で、穆さんはその年の9月末に辞職せざるを得なかった。
その後、生計を立てるために穆さんはカーテンを作り、営んだ。穆さんは修煉者として、どの客に対しても公正で公平な引き取りをした。そして、同じ業界の人と利益のために争わず、商売人としての道徳を守った。2001年7月21日、法輪功への迫害制止を求めて、穆さんは北京に行ったが、その翌日に天安門広場で、北京の警官らに天安門広場公安分局へ連行され、鉄の籠に閉じ込められた。30日後、北京の労働教養所調遣処に移送され、同年9月末にまた団河労働教養所に移され、拘禁された。
同教養所で穆さんは「転向」しないため、受刑者の部屋に入れられた。穆さんは足が化膿してただれ、寒い冬でもスリッパのままで過ごした。穆さんはまた独房に入れられ、毎日手のひら大の小さな椅子に、長時間座らされ、臀部が爛(ただ)れてしまった。
教養所の警官らは穆さんを「転向」させるため、ある日、穆さんをベッドの板に動けないように縛りつけ、舌を噛まないように、細い布を口に噛ませて後頭部で縛って結んだ。それから、警官らは6本の15万ボルトのスタンガンで一斉に穆さんの足、胸、背中、額、後頭部などに電気ショックを与えた。当時、部屋の中に身体をスタンガンで焼かれた焦げくさい臭いが充満した。穆さんは歯を食いしばり、全身の痛みをひたすら耐えたが、頭が炸裂しそうな痛みで、全身汗でびっしょり濡れた。歯を食いしばり過ぎて、その後、穆さんは2週間もの間ものが噛めず、30代だというのに歯が全部グラグラになってしまったという。中国の教養所では、このような残虐な迫害が人目につくことなく、日常茶飯事に行なわれている。
(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)