小さなことから修煉の厳粛さを認識する
■ 印刷版
 

 【明慧日本2019年5月6日】私が、小麦粉をこねて昼ご飯を作っていたとき、家族が聞いていた年末の大陸青年歌手の決勝戦の歌が耳に入ってきました。通常、私は常人のテレビを見ないのですが、耳に入ってきた歌のメロディーが気に入り、中国共産党を賞賛する内容もないと思って、家族を制止しませんでした。歌声が断続的に耳に入ってきて、それを排斥せずに家事をしながら聞いていました。

 しかし、30分も経たないうちに動悸が激しくなり、息切れや、全身に力がない症状が現れました。それで私は警戒し始めました。先日気づいたことがあり「今年の後半から口をよく修めていないこと、仕事をする事に執着心があること、心性の修煉を重んじていないこと、修煉に隙があること、それに、少し体力を使うと胸部に不快感が現れること」などです。重労働ではないのに、なぜ心臓の不快感が出てきたのでしょうか?

 少し考えてみましたが、やはり常人のこのような叙情歌を聞いてはいけないと悟りました。そして、私はすぐにMP3で、明慧ネットからダウンロードした病業を突破する同修の交流文章を聞き始めました。すると30分も経たないうちに、さっきまでの不快感がなくなり、すっかり元気を取り戻してとても気分が良くなりました。

 「本当に不思議だ。見るもの、聞くものによってこんなに違いが出るなんて!」と感激しました。この時期に、自分の体に特別にこのような敏感な反応がなければ、私はきっと悟れなかったに違いありません。修煉の厳粛さを認識することができました。師父は「人間の頭に注ぎ込まれたものは、そこに存在するようになります。人間には記憶があるのです。記憶と言っても、観念のようなものだと言われていますが、実は実在する物質です」[1] と説かれています。

 昼食後、果物を洗いました。当時の気温は-6℃で、水道の水もとても冷たかったのです。「昨日の夜、集団学法に行ったときに、たくさんの冷たい空気を吸い込んだ刺激で胸に違和感があり、今日も冷たい水で洗っているので、きっと心臓に刺激を与えるかも知れない」と思いながら、手を止めずに我慢して果物を全部洗いました。それからベッドに座って座禅を始めました。これは私の長年の習慣です。毎日、12時の発正念をしてから、昼休みの時間を利用して静功を1~2時間し、年中、このように行なってきました。

 しかし座った途端に心拍数が上がり、息切れがしてきてとても胸が苦しくなりました。「果物を洗ったとき、冷たい水で心臓を刺激したせいかな?」と思って、左腕の「内関」というツボに指を当てました。姪は医学を勉強していて、私に「このツボは心臓と繋がっている。心臓に不快を感じた時は、このツボを押してね」と何度か教えてくれました。

 ツボに指を当てて押そうとしたとき、先ほど聞いた同修の交流文章を思い出しました。「100%師父と大法を信じることができれば、一切の病業の仮相を突破できますが、99.9%ではだめです!」。私はこのツボを押すことは常人のやり方で、これは、師父と大法を完全に100%信じ切っていないことになるのではないでしょうか。

 こう考えて、すぐに手を止めました。「私は100%、師父と大法を信じます。心臓の痛みと不快な症状はみんな仮相です!」との一念を起こし、すぐに足を組み座禅を始めました。その瞬間、動悸、息切れの症状が飛んでいきました! その瞬間の変化に私自身も驚きました。いつもなら、不快な症状が現れると、内関のツボを10分間押さなければ症状が治まらなかったのですが、今日はこの一念を起こした途端に、不快感が消えました! 本当に師父が「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[2]と仰った通りでした。

 それから、静功を煉って、洗面所に行き、洗濯物の手洗いを始めました。水はとても冷たかったのですが、「私は大法弟子で、師父のご加護があり、私の肉身も高エネルギー物質で構成されており、水がいくら冷たくても肉身になんの作用も起こさせない!」との一念を発すると、洗濯が終わってからも、胸に何の不快な症状もありませんでした。2回とも冷たい水を使いましたが、念が違ったので、違った結果をもたらしました。師父は「皆さんが正しく行なう時に、師父は何でもやってあげることができます」[3]と仰っています。

 これは1日の中の小さな事ではありますが、念の違いによって体に違った状態をもたらしました。「常人のような念が動じれば、常人の理で制約を受け、痛みや病状が現れるのです。しかし、神のような念が動じれば、常人の理を超えるので、師父が私達の一切の不正なものを正してくださる」と悟りました。

 法輪大法を修めて師父に見守っていただき、私たち修煉者は本当に幸せ者です。病業の仮相に陥っている同修のみなさん、師父に面倒をなるべくかけないように、自分の一つの念、一つの考えを修めるべきだと思います! 修煉は本当に厳粛なものです!!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「二〇一〇年ニューヨーク法会での説法」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」
 [3] 李洪志師父の経文:『北米での巡回説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/2/20/382993.html)
 
関連文章