心性の関を乗り越える中で向上する
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文/台湾の大法弟子

 【明慧日本2019年5月9日】2年前から、夫は急に私に対する態度を変え、ややもすれば大声を上げてかんしゃくを起こします。彼が一言を言えば、私は二言を言い返し、彼が声を上げれば私も同じようにしました。なぜなら、彼が大声で私に話すのは全く理不尽だと思っていたからです。例えば、彼は私に「未払金を全部支払ってもらったか?」と聞かれ、私は「まだだよ!」と答えました。その直後、彼は怒り出しました。私は「あなたは変よ。私も怒ってるわよ。しかし、お客さんだって私達から物を買って、計算を間違えてしまうこともときにはあるわ。計算し直して払ってくれればそれでいいし、そんなに興奮する必要があるの? 支払ったかどうか調べれば分かるはずよ? 私はあなたよりも怒っているのよ」と言いました。事後、内に向けて探すことはするものの、悔しいと思うときはやはりこっそりと涙を流しました。

 息子も同じく、ちょっとしたことで私に対してかんしゃくを起こします。ある日、彼は私に「隣の土地はどう分けられているの?」と聞きました。実はその土地の半分が他人のもので、残り半分はウチのものですが、何の標識も付けられていないので、私もよく知りませんでした。そこで、私は「区分されていなくても構わないわ。彼らとは仲良しなので、ときどき草抜きも手伝っているわよ」と答えました。私が言い終えるや否や、息子は急に表情を変えて罵声を上げ始め、そして私のもっともお気に入りの茶碗を手に取り、私の目の前で地べたに投げつけ、細かい破片が部屋中に散らばりました。私は一言も言いませんでした。彼は上の階に走って上がりました。しばらくして様子を見に上の階に上がって行くと、目の前の光景にびっくりしました。彼は私が炒ったばかりの5キロほどもあるソバを全部地べたに、撒き散らしていました。私は何とも言えない心情でした。これを見た夫が機嫌を損なうことを恐れて、私はすぐにソバを掃き集めて袋に入れ、階下の目立たない場所に置きました。

 息子に対して私は恨みも憎しみもなく、ただ師父の説法の一段落を思い出しました。「修煉するにあたって、具体的なトラブルに対処する時、誰かに辛く当たられたりした場合は、たいてい次の二つの状況が考えられます。一つはおそらく前世にその人に対して何か悪いことをしたのかも知れません。あなたは、『どうしてわたしにこんなひどいことをするのだろう?』と言って心のバランスをくずすかも知れませんが、しかし、あなたはなぜ前世でその人にあんなことをしたのですか? 『あの時のことは知らない。現世は前世と関係ない』とあなたは言うかも知れませんが、そういうわけにはいきません」[1]

 2年来、このようなトラブルは頻繁に、絶え間なく起こっていました。私は人間社会で生きるのがあまりにも辛くて、心残りなことは何もないと感じました。私は必ず自分を良く修め、師父について家に帰ります。

 師父はこのようにおっしゃっています。「修煉は、錬磨の中でこそしなければなりません。常人の持っている七情六欲を放棄することができるかどうか、それらに対して淡々としていられるかどうかが問題です。どうしてもそれらのものに執着するのであれば、修煉を成就することはできません。すべてのことには因縁関係があります。人間はどうして人間でありうるのでしょうか? それは人間には情があり、人間は情のために生きているからです。肉親同士の情、男女の情、親の情、感情、友情など、何をするにしても情が重んじられ、情を切り離しては何ごともできません。やる気があるかどうか、気分が良いかどうか、愛しているのかそれとも憎んでいるのか、とにかく人類社会のすべてのことが情から出ています。この情を断ち切らなければ、修煉することはできません。情から抜け出すことができれば、誰もあなたを動揺させることができず、常人の心があなたを動かすことは不可能となります。それに取って代わるものは慈悲の心であり、より高尚なものです」[1]

 長い間の魔難を通り抜けて、私は彼らへの情を徹底的に放下し、慈悲とは何かも分かりました。しかし、私には依然多くの執着心があるので、トラブルもまだ続いています。

 日々、一生懸命に真相電話をかけ続けている私のために、師父は心性を向上させるよい機会を按排して下さいました。学習者の胡国艦さんを救出するために、遼寧省に真相電話をかけ始めた初日の早朝、夫にあれこれと憎々しげに言われて、私は本当に腹が立ってなりませんでした。修煉者である私は彼と口論してはならず、まして家出もできず、丸一日の間、誰とも口を利かないことにしました。

 夜の集団学法で「修煉の心得を言って下さい」と言われて、私は「心性の関を乗り越えている最中で、心はとても辛く、内に向けて探しても何も見つかりません」と言うと、ある同修は「このような情況に置かれたら、私はいつも大声で法を読み上げるようにしています」と言われ、「私は法をまるごと暗記したいです」と答えました。

 家に帰った後、私は他の空間による妨害があると感じて、師父の写真の前で助けを求めました。以前なら対立がある度に、内に向けて探せば3分間で事が静まりました。今回はなぜダメなのでしょうか?  その上、法輪功の真相電話で衆生を救うことにも影響を及ぼしています。

 その後、私は電話チームの同修と長時間の交流を行ない、気持ちがパッと楽になりました。そこで私は心を静めて、実に多い執着心を次々と探し出しました。一つ目は彼を「軽蔑する心」です。それはまさに「嫉妬心」ではありませんか? また、「闘争心」、「怨む心」、「利益に拘(こだわ)る心」(彼は金の管理が緩い人で、いくら儲けても無駄に使ってしまうので、私はずっとそれが気になってなりませんでした)があって、さらに口も修めず、子供の前で彼の欠点を指摘したがっていました。もう一つの根本的な執着は、円満な家庭と幸せな生活への強い憧れでした。

 これらの心を探し出してから、不思議なことに、夫は礼儀正しく私に話しかけるようになり、息子もかんしゃくを起こさなくなり、家庭は睦まじくなりました。

 私は再び法を暗記し始めました。十数年前に法を暗記したことがあって、途中でやめました。今回の感覚は以前とまったく異なります。以前は法の暗記が非常に難しいと感じていましたが、今回はすいすい進み、より多くの法理を理解し、一心不乱に法を暗記することができ、ずっと暗記し続けていきたくて、とっくに前から法の暗記を始めるべきだったと感じました。法理に対する認識が高まって、初めて三つのことをしっかり実行できると思いました。

 最後に、師父の法を拝借して、同修の皆さんと励まし合いたいと思います。「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[2]

 法理に符合しない部分があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 師父に感謝致します!

 同修の皆さんに感謝します!

 合掌!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の
著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/8/11/372321.html)
 
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