李艶秋さんは刑務所に収容され 2週間で迫害死
■ 印刷版
 

 【明慧日本2019年6月11日】遼寧省錦州市の郊外に新しいお墓ができた。それは錦州市の法輪功学習者・李艶秋さんのお墓である。さんは刑務所に収容されて2週間で、酷い迫害により死亡した。享年52歳の若さであった。

 2019年2月19日は中国の伝統的な元宵節(正月の望の日で、旧暦1月15日のことで、日本でいうところの小正月にあたる。中華圏でもその日を祝う習慣がある)である。その日、李さんは遼寧省女子刑務所に送り込まれ、第十二監区に収容された。この監区は法輪功学習者を強制的に「転向」させるために設立された。この第十二監区では十数年来、「残酷な拷問」と「圧力をかけて洗脳する」という残忍な手段を使って、多くの法輪功学習者たちを非常に苦しめている場所で有名である。

酷刑演示:暴力<span class='voca' kid='74'>灌食</span>
拷問のイメージ絵:野蛮な灌食

 李さんは強制的な「転向」に抗議するため、断食を行なった。その後、李さんは刑務所病院に連れられ、大変つらい野蛮な灌食をされた。当時、李さんの体がすでに虚弱しており、家族と唯一行なわれた面会の時にすでに歩けなくなっており、車いすのようなもので体を支えられて出て来たという。そのため、家族は病気治療のための仮釈放を強く求めたが、刑務所側に冷たく拒否された。

 数日後、刑務所は李さんの健康状態が悪化しているにもかかわらず、李さんを独房に閉じ込め、より一層の残忍な方法で迫害を加えた。

 受刑者らの話によると「李さんは服を脱がされたままで、独房に入れられた。長時間に冷たい地面に座らされた。血尿が出るようになっても治療せず、歩けない状態になった。警官らはそれでも、李さんが仮病を使っているのだと言っていた」などと言って、そのときの李さんの状況を裏で話した。

 そしてあろう事か、2019年3月4日の入所の際の身体検査では、健康だった李さんは刑務所に収容されて、わずか14日目に亡くなった。

 刑務所側が内部のことを一切隠しているため、李さんが2週間で死に至った迫害のことを隠蔽(いんぺい・故意におおいかくすこと)し、詳しくは外部には知られていないという。

 繰り返し残酷な迫害を受けた李さん

 李さんは生前に錦州市凌西ホテルに勤務し、すでに定年退職した。法輪功を学んでから、李さんは法輪功の教えの「真・善・忍」に従って自分を律し、恩恵を受けた。李さんは美人で心優しく、人助けが好きで、人気者だったという。

 中国共産党が法輪功への迫害を開始してから、当局のでデタラメな宣伝に騙されないように、法輪功の素晴らしさを人々に知らせようと、李さんは法輪功の真相を伝え続けた。しかしそのため、李さんは連行され、拘留され、労働教養処分などを受けて、ひどい迫害を受けた。

 2005年10月30日、地元の法輪功学習者2人は葫芦島市塔山派出所に連行されたため、李さんはその2人の家族とともに派出所に行き、2人の解放を求めた。しかし、警官はその場で李さんたちを逆に連行し、裁判を一切行なわず、労働教養処分2年を下し、李さんを悪名高き馬三家教養所に送った。馬三家教養所で李さんは野蛮な灌食や死人ベッドに縛り付けるなどされ、残酷な拷問を受けた。その結果、李さんは精神異常になったという。そのため、その年の年末に、李さんの家族は教養所に3000元を強請(ゆす)り取られて、李さんをやっと家に連れて帰ったという。

 2009年9月14日夜、錦州市太和公安分局と女児河派出所の警官ら数人は李さんの家に不当に侵入し、李さんの父親を連行し、テープレコーダーなどの私財を押収した。その後、女児河派出所の警官らは再度に李さんの家にやって来て、騒がした。それで、李さんは仕方なく家を離れるしかなかった。

 2013年11月3日午後、李さんはある法輪功学習者と一緒に、葫芦島虹螺峴鎮で法輪功の真相を伝えた際に、当局の法輪功への誹謗中傷の宣伝を信じた人に通報され、虹螺峴鎮派出所の警官らに連行された。その後、葫芦島留置場に十数日間拘留された。

 2017年12月21日午後、李さんは他の法輪功学習者2人と共に、錦州市華宇新城で小嶺子派出所の警官に連行され、錦州拘留所に送られた。

 迫害死した李さん

 2018年12月14日、李さんは人に法輪功のことが載っているカレンダーを配っている時に、太和区国内安全部門(法輪功迫害の実行機関)の警官らに連行され、家宅捜索され、家にあったパソコンや法輪功関連書籍などの私物を押収された。

 李さんはその後、錦州市女子留置場に送り込まれた。国内安全部門は李さんが1年前に連行されたことや室外で法輪功の功法を煉ったことを理由に、それを「犯罪の証拠」として、李さんの案件を検察庁に渡した。それから、1カ月足らずで、検察が李さんを裁判所に起訴した。

 留置場に拘留されている間、李さんは不当な拘留に抗議して断食したが、それにより、つらい灌食が行なわれた。

 2019年1月21日、太和区裁判所は李さんの家族に通知せず、留置場で秘密裏に李さんに対して不当な開廷をした。その時すでに李さんは歩けず、自分の意思を話せない状況下で、法廷に連れられて行った。裁判所に指定された弁護士は李さんに有罪の弁護をしたが、李さんは脅迫されても自身にかぶさられた「罪」を認めなかった。

 李さんの家族は李さんのために国内安全部門、検察庁、裁判所に足を運び、李さんの無罪を訴えたが、何の返事もなかった。仕方がなく、家族は弁護士を雇った。しかし、弁護士は李さんとの面会を許されなかった。2019年1月23日(旧暦)、家族は裁判所に行き、李さんのことを聞いたが、李さんはすでに懲役5年の実刑判決を言い渡されたと告げられた。

 そして、刑務所に入所してわずか2週間で、李さんは迫害死され、帰らぬ人になった。

 李さんは中国でごく普通の家庭で生まれ育ち、静かで平穏な生活を送っていた。

 李さんの故郷では、李さんの名前を知らなくても、李さんのことは「背が高くてスタイルが良く、美人で、いつもニコニコしている善良な人である」と知られていた。

 しかし、そんな善良で優しい李さんがわずか2週間で、虐殺された。遼寧省女子刑務所はその犯した大罪から決して逃れることはできない!!

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/6/8/388421.html)
 
関連文章