明慧法会|正念で迷いを破り 自我でない部分を取り除く
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文/ニューヨークの大法弟子

 【明慧日本2019年6月15日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 1996年初めに法を得て以来、私はすでに23 年間修煉してきました。個人修煉の時期から法を正す時期までの歴程が長編として書き上げられることがあるなら、その決定的瞬間の一つ一つを私は逃すことなく経験し、自分が非常に幸運だと思います。

 修煉し始めた当初、今生を生きる目的はただ一つ、師父について家に帰ることだと思い、法を得た以上、もう常人の「迷い」の世界に迷い込んでしまうことはないと確信していました。 今振り返ってみれば、当時の私には、この迷いの世界が人々を執着させる魔力の凄さについて、深い認識がありませんでした。

 私にとって、個人修煉の時期に大きな試練がほとんどなく、トラブルに出遭ったら内に向けて探し、「比べて学び比べて修す」[1] が当時の中国本土の同修たちの普通の修煉状態でした。自我を浄化する過程はとても愉快なものでしたが、そのような日々は瞬く間に過ぎ去ってしまいました。

 1999年5月、私はオーストラリアに留学しました。留学と言っても、ただ観光して見聞を広めるつもりで、海外に居残る考えはありませんでした。なぜなら、当時の中国では大法が広く伝え出されていて、そこが世界中で唯一の浄土だと思っていたからです。外国の風土への好奇心を抱いて私は中国を離れ、思いもよらず、それが二十数年の旅になってしまいました。どんなことにも偶然はなく、私は外国で正法修煉の道を歩む運命でした。

 当時、海外では若い大法弟子が少なく、迫害が始まった直後、私は各種の真相を伝えるプロジェクトに加わり、観光スポット用の展示板を作ったり、師父のお誕生日への祝賀カードを作成したり、地元で初の法輪大法ウェブサイトを立ち上げたり、そして新唐人の記者のための拠点を設立し、真相を伝える番組の製作などをしていました。さらに時間的余裕があるときは、観光スポットに行って直接、衆生に真相を伝えていました。

 個人修煉の時期に比べて、法を正す時期の修煉はより複雑になり、各プロジェクトは常人のチームワークのように動いていて、組織化された修煉団体もなく、正邪大戦の中で、仕事の成果は個人修煉の精進如何(いかん・どのようであるかの意)と同じく重要になってきました。

 今まで修煉を怠ったことがないと思った私は、2006年に初めての大きな試練に直面した。新唐人の新年祝賀祭が初めてオーストラリアのメルボルンで開催されることになり、私は十数人で構成される協調チームのメンバーになりました。その後、協調の進捗(しんちょく・物事がはかどること)状況が遅いため、チームは解散されました。その直後、私はある夢を見ました。夢の中で、私は数人の背が非常に高くて白い光を放つ巨大な生命に囲まれて、彼らの下半身以下しか見えませんでした。その中のある生命は私を指差しながら「彼女は正念が強い。彼女にさせよう」と言いました。その後、私はもう1人の同修と一緒に、祝賀祭の総責任者に任命されました。

 このような大型の祝賀祭を行なうのが初めてですが、経験がなくても、同修たちは皆積極的に参加してきました。そうすると、取り除いていない人心が邪悪に利用され多くの妨害が生じてきて、戦略の立案から楽屋の管理まで、トラブルが絶えませんでした。例えば、許可なしで楽屋に入ろうとする同修もいれば、主催者側の知らないまま契約書に署名する同修もいて、最終的にすべてのトラブルの矛先は協調人に向かいました。機密の保持と運営規則により、多くのことは同修に知らせることができないため、普段家族のように接していた同修たちと急に対立の立場に立ちました。どれぐらいのチケットが売れるかも分からず、ストレスと情の試練で私は疲れ果てて、布団に隠れて一晩中泣くのが常でした。

 当時、私はフルタイムで働いており、退社後は諸用件の対応に追われ、夜は寝つかず、数カ月間ほとんど不眠状態だったので、精神的にも体力的にもギリギリの限界まで来ていました。ただ、絶対成功を収めて、師父が衆生を救われるこのプロジェクトを成功させたいという強い願望に支えられて、最後までやり遂げました。チケットはよく売れて、新唐人の収益に貢献ができたとき、私が思ったのは「生きてプロジェクトを完成させることができて、幸いだった」でした。

 プロジェクトが終わった後、私は手元の仕事を一旦止めて、自分自身の問題を考え始めました。私は常人の理に立って自分の言動を正当化し、過ちを犯した他の同修に責任を転嫁しがちでした。しかし、師父は「あなたに責任があるかどうかに関わらず、あなたは自分を探してください。必ず問題が見つかります」とおっしゃっています。

 心を静めて考えていくうち、私は自分の問題が分かりました。長い間、私は常人の仕事を行なう状態に陥り、学法ができておらず、自分の悔しさに拘(こだわ)るあまり、同修に対する慈悲の気持ちが皆無になり、元々緩和できるトラブルをさらに悪化させてしまいました。また、自分の苦難の大半は、今まで取り除くことを重視してこなかった執着心が、肝心な時に邪悪に利用されてもたらされたものでした。師父の加持の下で最後までやり遂げましたが、もし当時、自分の修煉状態がもっと良ければ、より多くの同修が力を発揮することができて、祝賀祭ももっと成功裏に収めることができたかもしれません。真剣に内に向けて探した後、突然、周囲の環境に変化が現れました。一見、祝賀祭の運営の流れや要求に対して、同修たちはより理解できるようになり、一部同修と私との関係もよくなったようにみえますが、実際、それは自分自身の心性の向上によるものだと分かっていました。忙しさを理由に、長い間乗り越えることができなかった関をやっと乗り越えました。

 2011年の初め、私はもっと大きな関に出遭いました。母は 1994 年に広州講習会で師父の説法を直に聞き、古くから修煉を始めた弟子で、30歳過ぎにひどい心臓病で医師から死刑宣告を受けましたが、修煉後健康になり、大法の不思議さを家族全員に実感させました。しかし、2011 年、母にひどい病業の仮相が現れました。当時、私は新唐人の営業マンが取ってきた広告の製作で忙しく、母を助ける時間がなく、焦りと不安を感じながら、ずっと彼女に内に向けて探すよう要求し、執着を見つければ転機が現れると望み、手元の仕事を完成してから彼女の面倒をみようと考えました。しかし、プロジェクトが終わったその日の夜、母は亡くなりました。医者の話によると、母の全身の血管が破裂したそうです。その時初めて、母の詳しい病状を留学しにきたばかりの姪から聞きました。長い間、母は体がしんどくて夜眠れず、私に心配させまいと思って何も言わなかったのですが、我慢しきれないとき、密かに姪に鎮痛剤を買わせましたが、結局亡くなるまでずっと我慢していて、鎮痛剤を開封しなかったそうです。

 長い間、私は後悔と罪悪感に圧迫されていました。母が魔難に遭っているとき、私はそばにいながら何の助けもしなかっただけでなく、情に動かされて母の表面上の病状に執着し、彼女に大きなストレスを与えました。例えば、私がみるには母が時々節約しすぎて、これが執着だと言ってあげましたが、彼女は弁明しませんでした。その後、母が毎月の収入の大半を大法資料の製作に寄付していたことが分かりました。迷いの中、私は大法のプロジェクトに対して責任を負うべきことをもって、自我への執着を隠しました。かつて、智慧と善良さが備わる母は真相を伝える際、多くの常人を引き寄せることができて、大法を実証するプロジェクトの中で重要な役割を果たしていました。同修が早く世を去る損失は、本当に補い難いつらいものです。

 この痛ましい経験から、私は周りの同修と一緒に手を繋いで、ともに精進していく機縁の貴重さが分かりました。このような機縁はある日突然なくなるかもしれません。その後、他の同修が魔難に遭遇したのを目にする度に、私は寛容な心ともっとも純粋な正念で、邪悪と旧勢力による同修への迫害を否定し、彼らの人間の一面の表れに執着せず、彼らが1日も早く魔難を突破できることを期待するようにしました。なぜならば、私たちは一体だからです。

 2013年、新唐人と大紀元が合併し、ずっとメディアの中で全力を挙げて突き進んでいた私は、急に方向を失いました。培ってきた経験がさまざまな要因で抑制されて発揮できず、私は忍耐、落胆を経験し、最後は自分の能力を疑い始めました。2016年、管理層による業務再編の際、私は2002年から取り組んできた新唐人から離れる決断をしました。

 その日の夜、私は夢を見ていて、夢の中に二つのはっきりした場面がありました。一つは、数人の同修と一緒に師父について仕事をしており、時計を一つ借りてきてと師父に言われました。その時計は仕事をしている最中に、見なくても時間を知らせてくれる機能がなければなりません。私は隣に立っているアメリカ人の警察官に聞きましたが、彼ははっきり聞こえなかったようでした。もう一度説明しようと思ったとき、師父が後ろから英語で話されたのを聞き、驚きました。もう一つの場面は、師父は数人の同修と私を連れて一緒に煉功されており、私が前の方に立っているので、師父の動作を見ようとすれば振り向かなければならず、「良く知っている動作だから大丈夫」と思いながら勝手に煉功を始めようとした途端、ある声が私の脳裏に入ってきました。「師父が何をされようとしているのか、あなたはどうして分かるの?」。私はハッと思って、すぐに後ろに下がって他の同修と一緒に、師父の動作に従って煉功することにしました。

 師父から時刻を知らせる時計を要求されたのは、時間が緊迫していること、そして勝手に煉功しようとして警告を受けたのは、すべてにおいて師父の按排があって、自分の認識で勝手に行動してはいけないことを悟りました。当時、新唐人を辞めたかった理由の一つは、英文化について深い知識がなく、英語チームで働く自信がなかったからです。しかし、夢の中で師父も英語を話されたのに、私ももっと頑張らないといけないのではありませんか? 当時の私にはこの先、何が起きるかはよく分からなかったのですが、進む方向に対する確信を持つことができました。 私は人間のいわゆる「悔しさ」を放下し、英文新唐人に加わり、プロジェクトが必要であれ、たとえ煉瓦1枚の役割しか果たせなくても、私はしっかり行なっていこうと考えました。思いもよらず、以前培った経験のほとんどが、たとえばソーシャルメディアやオンラインビデオ、広告の配信テクニック、版権規則、そして西洋の会社で長年西洋人と付き合ってきた経験までも生かすことができました。短期間で、英文新唐人の経営状況は全員の努力によって、かつてない突破と飛躍を遂げることができました。

 しかし、長く修煉していけばいくほど、人間が神へ洗浄されていく過程が、いかに難しいかが分かりました。周りの真実、あるいは幻化されたすべては、絶えずに迷いにいる修煉者を試しているのです。メディアの運営が近年の最高潮を迎えたとき、私は新たな試練に遭いました。 その表れは、上司との間に誤解が生じてなかなか解けず、プロジェクトを保護するための助言が無視され、仕事を減らされて力が発揮できず、守ってきたプロジェクトが邪悪に妨害されたにもかかわらず、私は何の力にもならなかったのです。

 内に向けて探す過程で、最初、私は自分が未だ名・利・情に囚われていて、慈悲心が足りないのではと思って、絶えず努力して突破しようとしましたが、変化がみられませんでした。旧勢力が人間の因縁関係や思惟方式に配置した機制が暗雲のように頭上にのしかかって、私はある巨大な力に抑制されて、どうしても突破できませんでした。「恐らくメディアでの任務が終ったので、もっと私を必要とする他のプロジェクトに行く時期になったのかも」という考えが絶えず頭に浮かんでくるので、私は履歴書を準備してほかのプロジェクトに応募しようと考えました。しかし、履歴書を作成する時、英語と中国語しか入力できないはずのパソコン画面に、モンゴル語しか出てこなくて、結局、履歴書の作成は無理でした。また、私生活にもさまざまな問題が現れて、私は最終的に新唐人を離れることを断念しました。しかし長い間、心に蓄積されてきたしこりが取れず、怨む心さえ生じました。

 ある日、若い同修と交流する中で、彼女はメディアの仕事に携わる中で出遭った問題を発正念で解決したと言いました。「発正念って効きますか?」と私は思わず口に出して、彼女は「効果絶大です!」と言いました。彼女のしっかりした答えに私はハッと目が覚めて、自分の修煉における大きな漏れに気づきました。何も見えず何も感じないせいで、長年私は発正念を重視せず、形式的にやってきただけで、ずっと人間の強い信念だけに頼り、師父が教えて下さった神通力を心から信じたことがなく、使ったこともありませんでした。

 私は発正念に力を入れ、できる限り意識を集中させ、一切の雑念を取り払うように努力しました。複雑な思想が段々と明晰になってきて、私は師父が弟子たちに与えられた能力が、法を正し衆生を救う中で、完全に活かされるためのものであり、この能力を抑制し、妨害する一切の要素が否定されるべきだと認識しました。

 ある日の発正念で思想が空の状態になり、あるドキュメンタリーの名前が突然脳裏に現れました。当時担当していたチームのすべての業務プロセスを制定し、他に渡しても業務にまったく支障をきたさない状況下で、私は人員が不足している真相番組の制作に加わりました。以前のテレビ番組制作の経験と、中英文のソーシャルメディアで蓄積した経験を活かして、私はこの数年間の良質な中国人を対象とした、真相ドキュメンタリーを英文短編映画に改編して、自社関連の各ソーシャルメディアで大々的に流し始めました。

 修煉者全員の心血が注がれた真相ドキュメンタリーは、西洋人観客に認められ注目されました。1万人以上の観客は短編映画を称賛し、真相を知った後の感慨、および中国共産党の残虐な行為に対する怒りをコメント欄に書き込みました。ある常人は、この映画が今まで見てきたものの中で、最高の映画だとコメントしました。私自身も物語の主人公の修煉者の正念に激励され、さらに自身および他空間の邪悪による妨害を排除する発正念を強化したおかげで、真実にみえるそれらの表面的な現象に惑わされなくなり、人間社会で長く生きてきた過程で形成された観念も、すぐ識別できるようになりました。思想が明晰になったので、学法もより集中できるようになり、心がいつも清らかで平静であり、自分にとって不公平だと思われる人や物事にも、まったく怨みを感じなくなりました。以前なら絶対に乗り越えることができないと思っていた難も、ちっぽけなもののように感じ、師父が「大法弟子とは何か」の中で話された正念の威力について切実に理解しました。

 師父はこのようにおっしゃっています。「大法弟子よ、皆さんの正念は作用があるのです。一人ひとりが働いた作用が合わさると、巨大無比なものになります。それほど大きな作用が現れなかったのはあなた の信念が足らず、正念が足りないからです。これほど多くの大法弟子は同じ時間に全世 界で正念を発し、一億以上の大法弟子が全世界で同じ時間に正念を発していますが、邪悪と旧勢力にとって恐ろしいことではありませんか? 神にとっても非常に壮観な光景 です。なんと強い力でしょう!  一人の大法弟子は正念が非常に強ければ、山を切り分 けることができ、一念でやり遂げてしまいます」

 多くの常人は修煉者の日々が学法や煉功、真相伝えと仕事の繰りかしだけで、生活が簡単でつまらないと思っています。しかし、自分自身の修煉の道のりを振り返ってみると、晴れもあれば風雨もあって、すでにいくつかの輪廻を経験したようで、生や死、苦難もありましたが、豊かで絶えず向上できた道のりでもありました。どんなに苦しくても難しくても、修煉者の基準で自分を律し続ければ、必ず師父による保護を感じることができ、心の苦境から抜け出すことができます。執着を放下し、宇宙大法の中で昇華していくことの素晴らしさは言葉では言い表せません。

 個人的な修煉の悟りに過ぎず、適切でない部分があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 師父に感謝致します! 同修の皆さんに感謝します!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/26/387762.html)
 
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