色魔を徹底的に取り除き 修煉者に立ち返った体験
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子 清醒

 【明慧日本2019年5月4日】2018年3月、私は大きな色魔の妨害に遭いました。その体験を元に、まだ色魔に妨害され続けている同修と交流したいと思います。

 私の会社は中央企業(中国共産党がコントロールする国営企業)に属しています。そして、会社の責任者は必ず共産党員であること、というルールがあります。

 2018年3月、私の勤務する会社で大きな人事異動がありました。その同僚の男性は仕事も実績も優れていましたが、共産党に入らないために左遷されました。

 同僚の男性は私が法輪功を修煉していることを知っており、邪党が大法を迫害していることも知っています。普段、私たちはほとんど接触することはありませんでしたが、仕事上、一方が困ったらもう一方が必ず助けるという程度の付き合いでした。

 今回の人事異動は彼が入党しないために左遷され、このことが会社で大きな騒ぎを引き起こしました。多くの人は彼に入党するようにと勧めましたが、彼はきっぱりと断りました。このことで、私は彼に尊敬の念を抱き、なんと「好きだ」という気持ちまで少し現れました。そして、この一念が数カ月もの間、魔難をもたらしてしまいました。

 最初の頃は彼のことが頭の中にいろいろと想い浮かび、いつも彼と話していたい、彼を見ていたい、それはまるで初恋のときの感じでした。この状態は正しくないと気づきましたが色欲心が現れ、また外部から強制的に押し込まれてきたものでもありました。発正念でそれらを排除しましたが、あまり効き目がないと感じました。私は昼休憩の時は、いつも同僚である同修の女性と一緒にご飯を食べたり、交流をしたりしていました。この日はまだ彼女に声をかけていませんでしたが、私を見た彼女は直ぐに私の場が良くない事に気づきました。そこで、私は自分の問題を彼女に話しました。

 彼女は天目が開いており、私たちは一緒に発正念しました。私の空間場をクリアにする時、私の空間場の中はその同僚の男性の姿で溢れており、私の思想を牽制しているのが天目で見えたと言いました。私の主元神が一生懸命抵抗して、その思惟を排除する一方で、旧勢力は絶えず私の空間場にその廃物を注ぎ込み続け、その「好きだ」という気持ちを強めていました。さらに、同修が天目で深く見ると、ある前世に私はこの同僚の男性と夫婦関係にあり、互いに相思相愛で、世で私は来世もまた夫婦になるという誓いをしていたそうです。

 その後も夢の中でも、その同僚の男性と一緒になりたいという念が出て来て、さらにはどうやったら離婚できるだろうか、どうすればその男性と一緒になれるか、一緒になったらどのように生活するか等々の念が次から次へと湧き出てきました。

 同時に、旧勢力は私にいろいろな現象を作り上げてきました。その男性は入党しないため左遷されましたが、普通の人には理解できませんでした。彼は同修である私とだけ話をしたがり、彼と私には共通点もあり、私に対して好意を持っていました。次第に私は、いま起きていること事態が厳しくなると感じました。この状態は肉体の苦痛ではなく、精神的圧力がとても大きく、私の修煉や仕事にも大きく影響してきました。

 私は時々刻々これらの念を排除し、これらの念に引っ張られないようにしますが、それでも私の思想は時々、短絡的な現象が現れてきました。例えば、私が人と何かを話している時、突然その男性に関わるいろいろな念が現れて来るので、その念を排除するために人との交流を途中で止めないといけませんでした。酷い時は、10の交流があったとしたら数回止まることもありました。頭の中は、彼の姿や彼と一緒にいたいなどの念が至る所に溢れてしまい、学法も出来なくなり、煉功も心が静められなくなりました。私は同修に発正念をすることをお願いし、また、師父に加持もお願いしました。私自身も発正念に力を入れましたが、大きな変化はありませんでした。

 さらに私が怖くなったことは、私が一人でいる時(夫と別々の町に分かれて住んでおり、仕事が終われば一人になる状態)、いろいろ良くない念が強く現れるようになり、自分をコントロールできないほど強くなったことです。私の主意識が絶えず自分に「私は大法弟子で、これらは全て旧勢力が押し付け注ぎ込んだ念であり、私の自分の念ではない! これは旧勢力が色魔を利用して私を妨害している」と自分に忠告する以外に、法に則ること自体も思い出せなくなりました。そして、「内に向けて探す」とかも考えることが出来なくなり、まるで常人のうつ病みたいな状態にかかって、「彼と一緒になることは私の人生にとって意義がある」という念さえ、常に襲って来るようになりました。

 その期間中はいくら法を読み、学ぼうとしても頭の中に全く入りませんでした。そして自分を抑えようと、私はイヤホンをつけて1人で公園を歩きながら法を聞き、常に3、4時間、もう歩く事が出来なくなるまで歩き続け、師父の説法を3、4講聞いてから家に帰っていました。

 この方法で1カ月位すると、状況が少しずつ改善されていきました。押し付けられた念も、そんなに強くなくなりました。その頃から私はこの念を抑えられるように感じはじめ、この時期にようやく内に向けて探せる元気が出ました。なぜ今回の魔難がこんなに強くなったのでしょうか? 深く内に向けて探すと、顕示心、安逸心、色欲心、名利心、自己中心的な心、さらにひどいのはスマホで各ニュースや、いろいろな映像を見る習慣などが見つかりました。これらに対して強く発正念しましたが、しかし、まだ徹底的には解決することが出来ないと感じました。

 その後1カ月間はできるだけ同修と交流し、明慧ネットで色欲心に関する交流を聞いたり、または他の同修の交流文章を読みました。すると突然、自分が旧勢力の妨害を認めていることに気づきました。私の習慣的な考えは「自分に良くない人心があるため、旧勢力の妨害の口実になり、妨害されたら、自分の漏れを探す」ですが、師父は「旧勢力の全てを全般的に否定してください」[1]と説いておられましたが、しかし、その通りに行なっていませんでした。

 私は師父がおっしゃた「旧勢力の全てを全般的に否定してください」[1]について、「私は師父の弟子であり、大法徒です。いかなる生命にも属しておらず、旧勢力には資格がありません。私には人心に漏れがありますが、これらは旧勢力の妨害の口実になりません。修煉している人には全て人心があり、私たちは法に従って自分を正し、全般的に旧勢力を否定します。問題が出てくるたびに人心を探し、不足を探すなどではありません。魔難の中にある自分の問題に気づき、それを除去します。これは旧勢力となんの関係もありません」と悟りました。

 前世に何かを誓って願ったことには、旧勢力が利用することではなく、この方法でこの男性との縁を結び、この世で彼を救うためです。その過程で私に現れた好意を持つということは、修煉者を惑わすための現象であり、私の理性をなくさせるためです。このことをしっかり理解すると、それからはもっと力を入れて発正念が出来るようになり、しっかりと学法もでき、徐々に自分の空間場がきれいになったように感じました。たまに良くない念が浮かんで来ても、すぐに消滅できるようになりました。

 今ではこの男性を見かけても、何の異常な感覚や考えはもうありません。普通の同僚や友達と同じような感じです。すべて正常に戻りましたが、今回の魔難は3カ月に及びました。最初は自分をコントロールできず、徐々にコントロールできるようになり、最後には徹底的に除去しましたが、一歩一歩が非常に難しかったです。あの当時は山を押しのけ、海を覆すような強くて勢いのある外からの妨害に対して、もし師父の慈悲なる啓示がなければ、そして師父の守りがなければ、どんな結果になっていたか想像できません。

 今回の魔難について、私は以下のことを認識しました。

 1、スマホに執着しません。いま私はテレビやドラマなどを見ませんが、よくスマホを見ています。現在スマホの中に色欲な物が多く、常にスクリーンに現れます。見る過程で常人の魔性なものが自分の空間場に注ぎ込まれ、それは自分が求めたためで、消滅させるのはとても難しいことです。明慧ネットに、常人のソフトを削除する知らせがありましたが、もっと深く理解することが出来ました。

 2、もし乗り越えられない魔難に遭遇したら、たとえ師父の法を思い出せなくても、自分が大法弟子であることを必ず認識します。そして、師父にご加持をお願いします。学法する時、たとえ頭の中に入らなくても本を多く読み多く聞いて、頭の中に入るまで止めずに、少しでも頭の中に入れば良いと思います。これは正邪の戦いの過程なので、良くない念を減らしながら、正念が強くなっていく過程です。もし、頭の中に入らないから読まないという念に従うと、旧勢力の按排を認めることになります。大法弟子に大法の力がなければ、それは常人と同じです。

 3、他の同修は、魔難の中の同修を手伝う時は、その同修の空間場を清めるように発正念します。そうすれば、一切の良くない生命からの妨害を削減することができます。そうすることで魔難の中にいる同修の圧力を減らす事ができ、その同修の正念を強めることが出来ます。

 4、私たちは大法徒であり、修煉中の人だから人心があるのは当然です。それは旧勢力の妨害の理由にはなりません。問題が出てきたら、私たちは大法に則って自分を正します。大法弟子として、常に自分の一念一行に注意を払うべきです。

 師父の慈悲なる見守りに感謝いたします。

 私を助けてくれた同修に感謝します。

 不足があれば、同修の慈悲なるご指摘お願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇〇三年元宵節での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/4/22/385407.html)
 
関連文章