文/中国の大法弟子
【明慧日本2019年5月23日】ある日、同修たちと一緒に街で法輪功の真相を伝えている最中に、突然、胃が痛みだし、数分のうちに私は汗だくになりました。路肩の縁石に座り、私は「法を正す師に手伝うもっとも正しい事をしているので、邪悪による一切の妨害を許さない」と発正念をすると、その後、痛みが少し和らいできました。
その後の断続的な痛みの中で、半月のうちに私の体重は10キロ減りました。何か食べれば胃が痛くなるので、昼間私は何も食べず、元気に三つのことを行ない続けました。夜12時の正念を発してからまた痛くなって、全身が震えたり、豆粒ほどの汗が出たりして、私は正念を発しながら師父の「善解」に関する説法を思い出して復唱し、徐々に寝付くことができました。
翌日の夜、痛みはまた来ました。その時、「肉体から抜け出て、それが痛むのを見てみよう」という一念が過った直後、私は本当に肉体だけがそこに横たわり、自分の意識がそれを眺めているのを感じ、胃が痛くなくなったと感じました。嬉しくなった私は「これから痛みなどを怖がらない! 痛むのはあなたで、私ではない!」と思いました。
しかし、3日目の夜、痛みがさらに増しました。きっと自分には漏れがあったと思った私は内に向けて探しました。最初、発正念をしてそれによる妨害を否定した後、痛みは昼間には消えて、夜にやってきました。しかし、元神が肉体から離れたのを見た瞬間、私には歓喜心が生じました。修煉者として、いかなる時も心が動じるべきではないので、私は自分の漏れが分かりました!
その瞬間、ある大きな手が私の胃の場所から黒いものを抓み出したのを見たと同時に、全身が楽になり、それ以後、そのような激しい痛みを感じることはありませんでした。慈悲なる師父はその黒い物質を取り除いて下さったのです。師父に感謝致します!
このようなことは常人から見れば不可思議かもしれません。しかし、修煉者である私たちの身には、このような奇跡がよく起きます。
67歳になった私は今まで毛染めをしたことがなく、髪の毛は真っ黒で顔色が良く、ますます健康になりました。知り合いは皆、私は修煉を始める前の40代頃よりも若く見えると言います。法輪大法は性命双修の功法なので、必然的に修煉すればするほど若くなっていきます。普段、身体にちょっとした不具合があれば、しばらく座禅すれば良くなります。時間がなければ、少し座るだけでも良くなります。修煉して以来23年間、私は薬を飲んだことはありませんでした。世人に真相を伝える際も、私はよくこう言います。「こんなに健康な身体があるのに、どうして薬が必要でしょうか?」。このような身体は大法を修煉し、大法の素晴らしさを実証するためにあるので、しっかりしなければ、大法に泥を塗ることになると私は思っています。
今回の関を通じて私はさらに法理に対する理解を深めました。邪悪による迫害であろうと、病業の関であろうと、生活面のトラブルであろうと、出遭ったら無条件に内に向けて探し、師父の法を以って自分を正すべきです。師父はこのようにおっしゃっています。「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[1]。「どのような具体的なことに遭っても、皆さんに教えたことがありますが、それはいずれも良いことで、それはあなたが修煉したから現れたことです。あなたが思っている如何に大きな魔難にしても、苦痛にしても、いずれも良いことです。それはあなたが修煉したから現れたことです。魔難の中で業力を消すことができ、魔難の中で人心を取り除くことができ、魔難の中であなたを向上させることができます」[2]
今回の病業の仮相を経験することによって、私はさらに大法を理解、認識し、人心を取り除き心性を向上させることができ、大法に同化して無条件に内に向けて探すこともできました。堅い信念を持って大法を修煉していく人にとっては、どんなことも良い事で向上のチャンスです。これらの魔難がなければ、どのように修めますか?
次元に限りがあり、妥当でない部分があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の経文:『二◯◯八年ニューヨーク法会での説法』