明慧法会|幾多の困難を乗り越え 大法は私を強くした
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 文/山東省の大法弟子 浄静

 【明慧日本2019年6月18日】私は元中学校の体育教師で、当時健康な体が私の自慢の種でした。しかし1998年娘を産んだ後、不幸にも「関節リウマチ」を患いました。災難は重なり、両親が相次いで重い病気でこの世を離れ、悲しみの果てに病状が悪化しました。それからは、まるで生命に病苦の呪いを入れこまれたかのようで、全身の関節と一つ一つの細胞が痛み、私を長い間苦しめました。

 夫は行政機関のある街の大小の病院に私を連れてあまねく回り、さまざまな薬を使い尽くし、民間の処方や磁力療法なども試し、一縷の望み(いちるののぞみ・ごくわずかな望みのこと)さえあれば、おぼれるものは藁(わら)をもつかむとばかりに試しましたが、かえって思い出したくもないような病苦と失望がただ増しただけでした。

 全くどうにもならなくなり、迫害されるかもしれないという恐怖を冒(おか)して、2005年に法輪大法の修煉を始めました。十数年来、法輪大法のすばらしさと殊勝さを深く感じ、いつも師父の行き届いたご加護を感じ、同時に中国共産党の残虐さと邪悪さがはっきりと見えてきました。ここではその時のわずかな体験を書き、それによって師父への尽きることのない感謝の気持ちを表したいと思います!

 苦しみながら帆をあげ 師は航路を導く

 以前の私は剛直な性格で、気に入らないことがあると何でもないことでも人と口論していました。ある時、上司が誤って私を遅刻扱いにしたので、私は大声で騒ぎ激怒して、なんと事務所の窓ガラスを割ってしまいました。その頃はずっと他人が目障りで、夫に対しても厳しく、ちょっと気に食わないと、売り言葉に買い言葉で口論していました。真に修煉するようになると、私の独りよがりな性格は、大法の基準ととてつもなく大きな差があることに気づきました。自分の性格と無知のために本当に赤面しました。そこで努力して学法し、宇宙の特性の「真・善・忍」に同化し、自分の思想境地を絶えず向上させなければならないと決心しました。

 せっかちな性格はだんだんと鳴りを潜め、二度と人と言い争わず、さらに聞き苦しい話をしなくなりました。たまに夫が怒った時でも、大法の要求に従って善と忍を用いて夫に対して寛容になりました。不公平なことやくやしい思いをした時、法に照らし合わせて、正しく対処することを覚えました。師父は「われわれの法門は、人心を真っ直ぐに指すもので、個人の利益や対人関係の軋轢において、それらのことを気にかけないでいられるかどうかが肝要です」[1] と説かれました。そのため、例えどんなことに遭っても、師父を思い出し、大法を思い出しさえすれば、心がしっかりして落ち着いてきました。

 心性が向上するにしたがって、いつの間にか体の病気も良くなりました。以前は毎年何回か風邪をひき、咳が出て、胃も痛くなり、それがいつの間にか跡形もなく、なくなりました。これまでの十数年間、1粒の薬も飲まず、完全に薬と「絶縁」しました。自信と喜びがまた私に戻ってきました。

 さらに不思議なことに、娘が生まれる時「法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい」と心を込めて念じただけで、体の痛みがすぐになくなりました。これは「迷信」などではなく、純粋な心が宇宙の特性と同化した際に、正のエネルギーが体を主導し、これらは多くの人々によって実証された事実です。そのため娘は小学生から大学に上がった今まで、ずっと師父と大法のご加持の下で病気もせず、さらに品行も学力も共に優れていました。実際にウソに毒害されず「法輪大法はすばらしい」と信じた人は、それぞれが恩恵を受けます。

 2006年私は小学校に転属されて教職に就きました。初めは心のバランスがとれませんでしたが、修煉者はどこでもよく行なわなければならないと師父が説かれたのを思い出し、小学校の教職の仕事にすぐに適応し、心の底から子供たちが好きになりました。私は全力を尽くして知識を学ぶことを子供たちに教え、子供たちが良好な品行を持つように教育することをさらに重視しました。児童たちと私の関係は特に溶け合い、父兄も私のことをとても信任してくれるようになりました。さらに、ある父兄は裏取り引きをしてまで、自分の子供を無理やり私のクラスに入れようとしたほどです。

 私たちの事務所は全員女性教師で「女三人よればかしましい」とよく言われるように、トラブルや衝突が自然と起きました。私とL先生は何度も小さな摩擦を繰り返し、主な原因は私が児童に対して、よくしていることをL先生が嫌ったからです。その頃、私のクラスで女子児童が嘔吐して手や口が汚れ、急いで事務所からひしゃくで水を汲んで来て、女子児童をきれいにしました。その頃の小学校にはまだ水道がありませんでした。L先生がそれを見ていて怒声をあびせかけ、ひしゃくが汚れてしまったことを嫌がりました。翌日、私は新しいひしゃくを買って事務所に置きました。L先生は自分が前日言い過ぎたことに気づき「新しいのを買ってどうするのよ、家に持って帰りなさいよ」と言いました。L先生は思ったことをズバリと言い、口が悪いのですが、心根(こころね)が優しいことを私は知っていました。毎回L先生が何を言おうと、その頃はまだあまり修煉しておらず、闘争心やメンツを重んじる心、人にあれこれと言われたくない心を取り除くことを知りませんでしたが、修煉者は耐えなければならないと師父が説かれていたのを思い出し、L先生に対して心を打ち明けて対処しました。

 その後、ある人が上司に不満を持ち、私が法輪功を修煉していることを理由に、教育局に告げ口をしました。教育局が調査に来ると、L先生は私をかばい多くの良い話をし、私のように責任を負う素晴らしい教師は、自分が教職に就いたこの何年もの間見たことがない、と何度も言ってくれました。そして、L先生は「知らなければならないことは、彼女こそ『よい人である』と言うことができ、このような人はそう何人もいません」とかばってくれました。

 このような話はL先生にとどまらず、多くの教師や父兄が心の奥底から、私をこのように称賛していました。中国共産党の嘘に誹謗中傷され、父兄が大法の真相をあまり知らなかった時でも、調べに来た警官に、私が責任を負う素晴らしい教師であることを父兄たちは話して聞かせ、私を困らせないように警官にお願いしました。

 形勢が急変し 再び心を修める

 「迫害されるのではないか」という影に覆(おお)われることを恐れながら、私は修煉の道をよろめきながら歩いてきました。その頃、児童に「法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい」と書かれた「お守り」を渡しました。ところが父兄たちは中国共産党の嘘に深くだまされ、私を誤解し、不愉快な話をし、さらにひどい人はなんと電話で通報しました。それでも私は心に恨みを抱かず、ただ自分の行ない行き届かなかったことを後悔しました。そして恐れる心が重く、父兄たちに真相をわからせていませんでした。私は父兄たちの子供に対してやはり引き続き関心を持ち、愛護し、子供に問題がある時はすぐに父兄と話し会い、真心をこめて交流して父兄たちの誤解を解きました。今では、父兄たちは私をとても尊重してくれるようになりました。

 しかし、このことが大きなもめ事を引き起こし、教育局や国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)、610弁公室がかわるような圧力を加えられ、もともと幸せで仲睦まじい家庭が急に暗転し、暗い気持ちに包まれました。多くの圧力と不公平に直面し、夫はかんかんに怒り出し、私が「転向書」を書かないため、堂々とした男である夫がなんと床に跪(ひざまず)き大声で泣きました。そして、夫は大法書籍を隠し、煉功用のプレーヤーを壊しました。

 私は学法する環境を失いました。法の指導がなくなり、迷った子ヒツジのように泥沼に陥落し、もがくことすらできなくなりました。こうして、中国共産党はスキをついて入り込み、劫難が再びやって来ました。2015年春にノドがかれて耐えられなくなり、声を出すのも困難になり、その後、首の左側に卵大の腫瘤ができていることに気づきました。不安を抱きましたが、声が出せなくて、授業が遅れてしまうことの方を恐れました。実際、私は心の中にさらに大きな恐れを隠していました。数年前もある教師がこの症状が出て、発見が早くてすぐに手術しましたが、何度も治療を行なった後、やはりこの世と別れることになりました。

 同じような不幸に見舞われることを恐れ、師父が説かれた「相は心から生じる」[2] を知っていましたが、表面的に知っているだけで、心の中の恐怖は抑えることが難しいものでした。夏休みの時、すでに痛みで多くを話せなくなり、実際に隠し切れず、夫は私を検査に連れて行きました。3軒の病院を回り、みな同じ結果でした。鼻腔がんで手術ができず、放射線治療と抗がん剤治療ができるだけでした。

 この頃、舅が隣町の病院に入院しました。検査時の舅の心拍数は毎分150以上で、少し息苦しいだけで大した支障はなく、医者も不思議に思いました。実際は師父が舅を守ってくださったことを私は知っていました。始め舅は私の煉功に反対し、怒りに任せてひどい言葉を吐き、私と夫を離婚させようとまでしました。しかし、私は舅を咎(とが)めず、今までどおり舅たちに親孝行し、積極的に家に行って舅たちのために働き、私の言行は舅の心を動かしました。その間、舅は首が痛い時『轉法輪』を1回読み、大法の資料も読んでいました。そのために舅は恩恵を受け、すぐに健康になり退院しました。

 しかし、夫は私を省のがんセンターに強制的に入院させ、各種の検査をするだけでも、1週間という時間を費やしてしまいました。夫はさらに焦(じ)れったく思い、一方、私は苦しい思いにもがき、舌が荒れ、ノドがからからになり、腫れが痛くて食べ物や水を飲み込むのも大変でした。このような状態が続けば、私と夫はすぐに制裁を受けたことでしょう。心がきしむ中で、この関を乗り越えられないのではないかと恐れ、さらに大法に泥を塗ってしまうことを恐れました。しかし、「師父が救ってくだされば、必ず家に戻り、集中して学法や煉功をしなければならない」と、心の中ではっきりとわかっていました。

 そこで、夫や親戚たちの横やりを顧みず、私は退院して家に戻りました。

 私の状況を知った後、同修たちはすぐに法理の上から切磋琢磨して交流し、よりよく学法し精進するために、私は同修の家に1カ月以上、住みました。ちょうどその頃の私は、長年道楽にふけった腕白小僧のようで、この時になってやっと本当に大法の敷居をまたいだ気がしました。自分のすべての経歴を振り返り、本当に汗顔の至り(かんがんのいたり・たいへん恥じ入る様子のこと)であり、師父の法と照らし合わせてみて初めて、なんと自分にはこんなにも多くの執着があり、なんと自分の修煉がこんなにもよくできていなかったことがわかりました。

 今回の病業の虚像について深く反省しました。根源は自分の「恐れる心」と「安逸心」、および夫に対する「情」の執着など多くの「人心」が招いたものでした。こんな私であっても、師父がずっと守っていてくださったことを知りました。また、師父が弟子のためにすべてを請け負ってくださったことを知りました。師父の計らいの下で、ついに私は修煉の道を一歩ずつ歩み始めました。

 心を静めて学法し、正念を発し、さらに煉功する時はいつも、腫瘤のある所で法輪が回転するのを感じて、「ギシッ」「ギシッ」と音を立てるのを聞くことができました。すぐに私は声を出して法が読めるようになり、さらに法を読む時は口の中が唾液でいっぱいになり、のどはすでにあまり痛くなくなり、腫瘍の存在も感じなくなりました。学法し心を修め、煉功によって調整し、私の精神と血色はどんどんよくなっていきました。

 現在(訳注:2018年)私はまた正常に出勤するようになり、みんなが私を見てどんどん若くなるようだと言ってくれ、無情に病魔に襲われたようには全く見えないと言いました。リウマチと鼻腔がん、どちらか一つであっても快活でいられず、また何度も不当に攻撃され迫害を受け、もし法輪大法の殊勝さと超常さがなければ、私はどうなっていたか、実際、想像すらしたくありません。私はここで師父のご慈悲とご加持に深く感謝を申し上げます! 同修の皆さんの惜しまぬ応援に感謝いたします!

 夫はもともと最終学年クラスのクラス主任を断り、私の世話をすることに専念したいと思っていたようでしたが、私は賛成しませんでした。私は学法と煉功をして自分の体をうまく調整しただけではなく、さらに今まで以上に、うまく夫の日常生活の面倒を見れるようになり、夫は今ではすべての精力を教職に置き、「俺も福報を得た!」と心から言いました。

 夫はまだ修煉していませんが、すでに大法のすばらしさを深く実感し、知らず知らずのうちに、「真・善・忍」の基準に基づいて自分を律し、自分の言行を正すようになりました。

 修煉の道での師父のご加護

 師父は「弟子正念足りれば 師は回天の力あり」[3] と説かれました。実際、弟子に少しばかりの正念さえあれば、師父の何万倍というご加持を得られます。

 鼻腔がんにかかった後の症状はとても苦しいと聞いたことがあります。また同修が書いた修煉前のこの症状の悲惨さを読んだことがありましたが、私にとって、この症状はそうでもありませんでした。たまに鼻血が少し出て、耳に軽度の聴力障害があり、師父が体を浄化してくださったのだと思いました。そして、私が受け入れなければならなかったのは、すでに本当にわずかなものだけでした。なぜなら、私は入院治療はしないと固く決心していたからです。これがわかり、師父が救ってくださるというこの一念だけが正しいので、その一念によって師父は弟子のために一歩ずつの按排をなさり、さらに私にすべてを受け入れさせてくださいました。

 師父はまさに「大法を学んだら、良いことにあっても悪いことに遭っても、皆良いことです」[4] と説かれました。もし今回の病業の虚像がなかったら、中国共産党の圧力の下で、私は再び常人に成り下がっていたかもしれません。今回のように意気消沈してしまった日々の中で、「制限を受けずに、毎日学法できればそれでいい」という一念が浮かびました。この一念によって、師父はずっと私のような意気地のない弟子を連れ、さらに私のために良好な学法環境を按排してくださいました。我が家は街の中にあり、多くの同修と接触でき、私が法を実証するプロジェクトにも適していました。私はまだうまく行なえませんが、師父の順序良い按排と弟子に対する見守りを感じ取ることができました。大法に満たされて、私はよくない殻を一つ一つ脱ぎ捨てなければならず、正々堂々とした使命感に燃える大法弟子に必ずならなければなりません!

 2015年「江沢民告訴の大潮流」が始まった後、私も順調に実名で江沢民に対する法輪功迫害の告訴状を提出しました。恐れる心で心がきしみましたが、「江沢民告訴」が正義の行動であることを知っており、大法弟子は正々堂々と江沢民を告訴すべきです。当時は同修がオートバイで私を郵便局まで連れて行ってくれました。しかし、行く途中で私の右ひざが痛みのために変形し、さらに曲げることができず、足はオートバイのステップを踏んでおらず、ただ下側に足を下ろしていただけでした。それでも、私は恐れる心に打ち勝ち、告訴状を郵送しました。帰りの路上では、なんと右足で簡単にステップを踏めるようになり、師父が励ましてくださっているのだとわかりました。

 またしばらく経ち、中国共産党が警官を使って狂ったように調査し、「江沢民告訴」をした大法弟子を不当に連行した時、夫は再び恐れて姉たちと協力して私に圧力を加え、私とケンカして冷戦状態になりました。試練がまたやって来たのだとわかり、このすべてを虚像だとみなし、何事にも影響されず、師父が私たちに行なわせたことは、必ず最も正しいものだと固く信じました。最後には、師父のご加護の下で私が直接に嫌がらせを受けることはありませんでした。

 中国共産党に迫害されていたあの頃、教育局が再び人を派遣し、私に「保証書」を無理やり書かせようとした時、すでに真相を知っていた校長は焦り、「彼らがまた来たがどうするのか? だめなら泣いて、何も言ってはいけません」と言いました。その頃、私はクラス主任をやめ、さらに半年以上授業が止まっていました。そこで私は「泣いてはいけない、誠実さと善良さで彼らを動かすのだ」という純朴な一念を抱きました。

 するとこの一念が作用を果たし、教育局は得意満面な表情と態度から、とても心のこもった優しい態度に変わりました。さらに午後の放課後になるまで頑張り、遅くなると夫が中学校から駆けつけて来ました。私の心は少しドキドキし、教育局が夫を利用して私を責めたてるのではないかと恐れました。思いもしなかったことに、劉という主任は私の夫を見ると、なんと立ち上がり、私たちに向かって深々とお辞儀をし、「自分はただ代表しているだけであり、あなた方の家庭に圧力を加えて申し訳ない」と言い、主任は「あなたがしっかりしていることに敬服しているが、上からの指令で仕方がないのだ」と言いました。

 その後、何度も劉という主任に接触し、私は真相を書いた手紙を自分で書いて主任に渡し、主任はそれを見て深く感動しました。主任は何度も私の強さに敬服していると言い、多くの人が私が強いと言い、実際に心ははっきりしており、私の強さは大法から来るもので、師父のご加持から来るものでした。師父は何度も苦しい境遇を抜け出せるよう救ってくださり、何度も体を浄化し、心を浄化してくださいました。師父は「真・善・忍」という宇宙大法を用い「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」という法理で困難を克服する勇気を与えてくださり、迫害に直面し、巨大な魔難に直面した時に、特に気骨と堅強さを持った大法弟子に私をしてくださいました!

 深く学法する

 自分の修煉過程を振り返ると、幾多の困難がありましたが、それはみな心性を向上させるための機会でした。その過程で自分の多くの人心と執着を見つけ出し、師父は「あなたに一つの真理をお教えしましょう。絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」[1] と説かれました。実際、私が遭遇したすべては、自分の法の勉強が浅く、法を理解していないために起きたことでした。師父は私たちに「無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです」[5] と要求なさっていますが、多くの場合において、私はやはり自分が感じたことを第一に置き、この「私」を本当にしっかりと修めなければなりませんでした。

 現在(訳注:2018年)『轉法輪』を書き写し、暗記し始め、心身ともに大きく向上しました。特に『轉法輪』を書き写した時、一文字一文字が佛、道、神であり、それがわかると、一文字一文字をまじめに、きちんと丁寧に書くようになり、私の字の書き方は大きく進歩しました。

 私はいつも「法輪大法を修煉する根本的な目的は何か? ただ単に病気治療と健康保持のためなのか?」と自分に問いかけます。もちろんそうではなく、法輪大法は性命双修の功法であり、師父は修煉の中で絶えず、次元を向上させるよう私たちに要求なさっており、最終的に返本帰真に到達するよう要求なさっています。今では私の心は喜びと感謝で満ちあふれ、深く学法する中で生命の本当の意義を知り、そのため世の中の情や損得を重く見ることはなくなり、いつでもどこでも善意で人を助け、それによって私は喜びと幸福に報われています。

 「人生の変化は無常であり 喜びには常に悲しみを帯びている 良い事はいつも苦労を重ねた結果であり」[6] の師父の詩を拝読し、千万無量の思いになりました。幸運にも法輪大法に出会い、師父の済度を賜り、これは本当に幾万年にも出会えない大切な機縁です! そして、中国共産党の中傷とデマを一日も早く解体に導くことを願い、人々が大法を理解し、大法を大切にする日が来ることを願い、洪大な佛恩が全世界を照らす日が来ることを願っています!!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「大紀元会議での説法」
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」
 [4] 李洪志師父の経文:『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』
 [5] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性に漏れなし」
 [6] 李洪志師父の詩:『洪吟四』「人生の真意」

 (明慧ネット第15回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/11/12/376434.html)
 
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