最後のこの時間を大切にしましょう!!
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2019年7月12日】「二〇一九年ニューヨーク法会での説法」を、今まで4回読みました。実はもう一回読みたいのですが、時間が取れないので、まだこの目標にたどり着いていません。

 師父は「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」の中で、「多くのことは以前、話したくはなく、話してもいけなかったのです。言ってしまうと、難は更に大きくなり、更に厄介になります」[1] と説かれました

 今回の説法の中で、師父は蓋を開けるように直接病業や旧勢力の経由をはっきり説明してくださいました。私は個人的に「謎」がないので、残りの時間が僅かになったと悟りました。

 今までの自分を振り返ってみて、本当に法の基準に則っているかどうかと自分に聞いてみました。答えはまだまだ出来ていません。まだ多くの執着心があり、自分がまだ意識していない執着もあります。そして、多くの人がまだ救われていません。師父は「做すところ到るは是れ修なり」[2] と啓示されましたが、修煉はすでに単純な個人修煉ではなく、師父との誓約を果たし、衆生への約束を果たすことです。

 最近、多くの同修が書いた党文化にかかわる文章を見て、私も感慨深く思いました。通常の会話の中に、よく「私」をつけています。私は何かをする、私は何かをしたい、私はああだ、私はこうだ等々です。言葉自体には間違いはないのですが、しかしいつも強調するのは「私」で、他人ではありません。それは自己中心の反映ではないでしょうか。その時、単純に自分の習慣だと思って、改善したいと思っていますが、完全に改善できていませんでした。先日、大法弟子の交流文章を読むと、頭の中に「私」が爆発的に至るところすべて「私」が溢れており、大変辛いと思いました。内に向けて探すと、私は党文化の中に自己中心的な部分を見つけました中国の同修が書いた修煉体験の文章と米国の同修が書いた修煉体験の文章を比較すると、中国の同修の文章はすべて「私」から始まって、米国の同修の文章の中に、ほぼ「私」という単語が無いことに気づきました。中国出身者の私たちは党文化の環境の中で汚染されて、知らず知らずのうちに「私」を前面に出しており、物事を考えるすべての基盤になっていることに気づかされました。本当に恐ろしいことです。

 一思一念、一言一行、時々刻々に法と照らし合わせて、自分を修めなければいけません。修煉者としては、人心が完全にないとは言えませんが、一つの念が出て来る時、すぐに法で量って正しくなければ、すぐに否定して、随時に自分を修めるべきです。しかし時々、その念が正しくないということが分からないのではなく、その背後にその念を放棄したくない執着心があり、その執着心の妨害でしっかりと修めない状態に陥っています。

 師父は「意念の中で自分の思想の中の良くない念、業力と良くない観念、或いは外来の邪魔を根絶します。これらは死ねと念じれば、根絶されるのです」[3] と説かれました。

 最近、自分の「執着」や「観念」、「人心」に対して、しっかりと発正念をして排除しています。効果も現れてきました。 師父は「直接わたしの説法を聞き、功法伝授を受けられる人は、本当に……今のこの時間が最も喜ばしい時だったと、将来きっと分かることでしょう」[4] と説かれました。以前、これは師父の説法を直接聞いた同修のことを指しているのだと思っていましたが、まだ師父に会ったことがない大法弟子も含んでいると悟りました。師父が直接に衆生を救い済度されることは最も幸運なことではないでしょうか! これ以上の幸運なことが他にありますか! 師父の無量の慈悲は私たちの言葉では表現できません。私たちの念が法の基準に達すれば、その難関はすぐに乗り越えられます。師父は私たちのどれほど多くの業を消去してくださいましたか。

 師父が与えてくださった最後のこのチャンスを大切に、大切にしましょう!! この万古の機縁はすぐに消え失せてしまいます。

 浅い悟りですが、不適切なところがあれば、ぜひご指摘をお願いします。合掌。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「着実に修める」
 [3] 李洪志師父の著作:『導航』「二〇〇一年カナダ法会での説法」
 [4] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/6/27/389247.html)
 
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