文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年8月21日】明慧ネットに掲載された「学法グループは常人の食事会になってはならない」という文章の中で、同修たちが法に基づいていない行動をしたときに「何事も起きていない」と反論することについて、2カ所で言及しました。 ここでは「何事も起こらない」を言い訳にして自分の間違いを認めておらず、その痛ましい教訓から学んだことを皆さんにお伝えしたいと思います。
不当に拘禁されて刑務所から帰宅したばかりのころ、私は同修Aさんと交流することになりました。Aさんは、私たちが囲んでいるテーブルの上に携帯電話を置いて、しかも、大きな声で話していました。 私が「電話をのけて欲しい」と言うと、Aさんは「大丈夫よ、数年前から私は交流のときでも、携帯電話を私のすぐそばに置いていても、今まで何事も起きませんでしたよ」と言いました。
私は「確かに、今まで何事も起こってはいませんが、それはあなたが警官に利用されやすいからです。そして、スマホを使って他の修煉者の情報を盗むのはスパイよりも便利だからです。あなたはスパイではないが、スパイにはできない役割を果たしていました 」と厳しく言いました。 Aさんは私の話を聞いた後、すぐに不機嫌になり、交流もせずに気まずい思いをして去っていきました。
当時、私は刑務所から出たばかりで、刑務所にいたときに自分の闘争心が激化し、私は同修の気持ちも考えずに、言葉使いが聞くに耐え難いものでした。これは私の修めるべきところです。しかし、Aさんが携帯電話を持って多くの同修に会いに行くことは、絶対に間違っています。
それから、しばらくして一晩に30人以上もの同修たちが公安局に連行されました。その事件から早1年が経ちましたが、聞いたところによると、判決を下された同修もいれば、まだ拘置所に拘禁されている同修もいます。中には、拘置所で酷く迫害されて、自分の面倒さえ見ることが出来なくなった同修もいます。 Aさんは懲役3年を宣告されたのか、それとも懲役3年3カ月を宣告されたのかを検証できませんでした。連行されなかった同修達も、この事件のせいで恐れて全体を形成することが出来なくなり、ほとんどの人が法輪功に対する迫害の実態を伝えることが出来なくなりました。
この教訓は本当に痛ましいものでした。「何事も起こらない」というのは、物事が正しいか、間違っているかを測る基準ではなく、大法がすべてのことを測る基準であり、どうして、何事かが起こってから、初めて改めるのですか?