文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年8月18日】私は大法を修煉して、いろいろとありましたが今日まで歩んで来ることができました。そこには教訓、苦悩、喜び、収穫、そしてもちろん昇華と上達もありました。今日はその些細なことで大法を実証する時に感じたことについて話します。
数年前、私は警察によって、留置所に連行されました。留置所には、大きな交通事故と開頭手術で半身不随になった男性がいて、身体が片側しか動かず、足が不自由で、一日中不潔で、悪臭がして、みんなが避けていました。私はそんな彼に心から同情しました。普段綺麗好きな私ですが、洗濯もできず、手の爪も切ることができない彼を嫌いにならなかったのです。彼のために服を洗濯したり、排泄物が付いた短パンをきれいにしたり、爪を切ったり、服を畳んだりしました。私は嫌になったことはありません。彼も身にしみて大法弟子の思いやりと優しさを感じ、感謝してくれました。大法の優しさを目の当たりにした彼は、自然に三退しました。彼が別の部屋に移動させられた後も、自分の部屋を出る機会があるたびに私の部屋に来て、真心込めて挨拶をして、私を色々と心配してくれました。廊下で出くわした時には、熱心に声をかけてくれました。彼はあまり笑わないのですが、私を見た時に見せてくれる優しい笑顔は本当に心にしみました。
私が彼にしたことは、ほんの些細なことで、ほんの小さな親切でしたが、大法弟子の優しさが彼の心に根付き、記憶に残りました。これは師父の励ましだと思います。あらゆる行動の中で大法の良さを実証し、大法弟子のスタイルや良いイメージを確立すべきです。
留置所では何歳になっても、どんなに体調が悪くても、当直をやらなければならないのです。ある時、社会保険料のことで陳情する人が留置所に送られてきたことがありました。昼寝の時に、ポケットから心臓病の薬が落ちるまで、彼が心臓病だとわかりませんでした。後から知ったのですが、彼は重度の心臓病と高血圧を患っていました。私は自分から、留置所の人に連絡して、彼の当直を代わりたいと申し出ました。留置所では、あらゆる面で精神的なストレスがかかり、日中は奴隷のような労働をしなければならないため、夜の当直は非常に辛いのです。彼が留置所を出るまで、私はずっと彼の代わりに当直をしました。彼は私を大のお人良しだと言って、とても感謝しました。彼が留置所を出る時、私の為に食べ物を注文してくれました。私はその食べ物を周りの貧しい人にあげました。彼は留置所から家に帰ったあとも、「大法弟子は本当に良い人です」とあちこちで言い、周りの人の大法や大法弟子に対する誤解がある程度払拭されました。
師父の法を常に心に留めて、あらゆる行動で自分を大法弟子と見做せば、大法の力が発揮できると悟りました。修煉は口先だけでなく、すべて行動に表われます。邪悪な刑務所の中では、大法弟子は大法に基づいてもっと自分を厳格に律しなければなりません。自分がきちんとできれば、周りの人が敬意を払ってくれるだけでなく、本当にその環境を変えることができると思いました。繰り返し「転向」を強要される中で、私は終始協力せず、そのうちかれらも静かに手を引きました。
思いが大法にあるかどうかはあらゆる思惑の中に表現されます。やはり日常の言動の中で表さなければならないと思います。普段自分の行動や言葉を意識し、真・善・忍の基準に従うことで、相手に影響を与えることができます。大法の力がどんどん発揮されることで、世の中で修煉する人はみな良い人であることが段々分かるようになります。留置所にいた時、拷問に抗議するために私は絶食を始めました。同じ部屋の人は自分が大事にしていたチョコレートをこっそり私のポケットに入れて、「絶食してもいいですが、彼らが見えるところで絶食し、見えないところで食べてね」と言ってくれました。彼らの好意は分かりますが、私は大法弟子であり、それを測るための基準があります。当然そうすることはできません。私は依然として絶食しました。その後も絶食を続け、拷問を使って迫害しようとする悪の企みを解体したのは、言うまでもありません。
留置所で、官職に就いている強気な警察官にベスト着用の協力を拒否した私は殴られてしまい、私は迷わず訴えました。暫くの間、彼は留置所に来ませんでした。その後、彼は一転して、私への態度が変わりました。そして、機会をうかがい、私を呼び出し、缶詰配りの仕事や用事などをやらせました。それは私を外出させて、散歩してリラックスできるようにさせるためでした。異次元で彼を操っていた悪が消滅され、彼にある本性の一面が明白になったと私は分かりました。
殺人罪で執行猶予付きの判決を受けた高さんは、私とは何の関係もありませんでした。しかし、私のすべての言動が彼の目に映り、気にしていました。ある日、彼は自分のことや家族のことをすべて話し、「妻と息子をあなたに託します。家族の面倒を見て頂きたいです、お願いです」という話が何回もありました。しかし、私は迫害され、6年も刑務所にいたので、刑務所から家に戻ったあと、当初の連絡方法はもうすでに取れず、探しようがなく、未だに彼の願いを叶えていません。
刑務所の中で、私を強制的に洗脳しようとするチームリーダーは、一般人の中では極端にタフな男でした。師父を誹謗中傷するようなことを言ったり、改心書を書いたりすることに私が協力しなかったことで、彼は私の首を強くつねったりしました。私はそのことを早々に気にしなくなりましたが、彼はずっと気にして、悔やんでいました。私が刑務所を離れる際、彼はわざわざ私に会いに来て「間違ったことをしてごめんなさい、許してください」と謝りました。これは一人の人間の心からの悔いと謝罪です。私は彼の誠意と覚醒を心から喜びました。
小さなことに注意を払い、小さなことで大法を実証したので、衆生を救うのは理にかなっており 、多くの人が順調に三退しました。三退名簿は様々な方法で刑務所外部の同修に渡しました。