プラスの視点から教訓を汲み取る
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年2月8日】最近、寒波が中国大陸にも襲来し、多くの市民が入院または点滴を受けています。一部の同修にも似たような症状が現れていますが、誰も病院に行かず、点滴なども受けていません。しかし身体がだるくて、仕事に支障をきたした人もいます。3~5日後にそれらの症状は消えましたが、修煉していない家族は理解できない様子でした。「法を学んで煉功すれば、病気を追い払って健康を保つことができると言っていたではないか? どうしてこれぐらいの風邪にも耐えられないの? なぜ数日間も寝込んでしまうの?」と、このような質問を前に、同修たちは返す言葉が見つかりませんでした。

 私の知る限りでは、そのうちの数人の同修は最近の修煉状態があまり良くなく、家の中や外でも心性の関を乗り越えることができていないため、邪悪による外部からの侵入を防ぐことができなかったのです。これを良いこと(向上のチャンス)として捉えて、プラスの視点からその教訓を汲み取るべきだと考えています。

 ある同修が「私の修煉状態がどうであろうと、邪悪な旧勢力に妨害する資格はありません!」と言ったのを覚えています。この話をざっと聞くと、非常に正念が強いという印象を受けます。しかし、場合によって邪悪の妨害を防ぐには少し無理があります。なぜかというと、道理はとても簡単です。邪悪な生命は虎視眈々とあらゆる隙を狙っています。もし私達がよく修煉できておらず、法の基準に達していなければ、それらは試練の名目で私たちを妨害するのです。その時にまた「邪悪を否定する!」と念じてもあまり威力がありません。もちろん、法に則って真に認識し、迅速に自分自身を正すことができれば、それでも良いのです。問題は、往々にして、複雑な人心を持っている私たちは、知らぬまに常人のものに執着していながら邪悪の妨害も受けたくない、という状況のもとで、この言葉を発するのです。そうであれば、徹底的に邪悪を否定するという目的にはまったく達することができません。

 また、よくない事に出遭えば、私たちはすぐに自分を厳しく律して精進しますが、ことが過ぎれば気を緩め、甚だしきに至っては以前の癖をまた復活させたりもします。再びよくないことが現れたらまた精進し、その後また同じ過ちを繰り返します。これは厳粛に修煉していない態度の表れです。人を欺くことは、自分自身をも欺くことになります。このように振る舞っている数人の同修は皆、その後大きな関に出遭い、根本から自分を改めた人もいれば、修煉を放棄した人もいます。

 一時的によくできていなくて、身体や周りによくない状態が現れても構いません。肝心なのは、その中で自分の修煉に対して厳粛に対応していくことです。心性を修めても修めなくてもよいと思ってはいけません!

 あとどれくらい正法修煉の時間があるか分かりませんが、長くはないと思います。毎回の心性を修める機会、衆生を救う機会を大切にし、問題を蓄積せず、真に精進し続ける心構えを持って、自分自身と衆生のために責任を負うべきです。

 個人的な体得ですが、ご参考になれば幸いです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/2/2/360338.html)
 
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