「無漏」について、感じ取ったこと
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年8月19日】Aさん(同修)は偽りの病業が現れ、家族の人に病院まで搬送されました。私たちが彼女と法理に基づいて交流した後、彼女は病院から出てきました。彼女の家で集団学法をする時、彼女のベッドの隣に一台の高価な呼吸器がありました。同修は彼女に「大法を修煉しているのに、こんなものを使いますか? あなたに命の危険はありません」と言いました。

 このことを通して、私は身の回りに起きたことを思い出しました。ある煉功の趙さんは、偽りの病業が現れ、現在命の危機に瀕しています。趙さんは意識がはっきりしているときに、そっと私に言いました。「自分の夫があの世に行ってから、もう3年目になりました。自分は夫のところに行きたいと思います。3年前、遺影と死に装束をすでに用意しました。この事は自分の唯一の娘さえ知りません」。それから、十数年修煉した彼女の体の状況はだんだん悪くなっていきました。私が彼女に「あなたは法輪大法の素晴らしさを知っていますか?」と聞くと、彼女は「知っていますが、亡くなった主人のことを懐かしく思います」と答えました。結局、趙さんは亡くなりました。親族と衆生には茫然と戸惑いだけが残りました。

 修煉は非常に厳粛なことなのです。師父は「この領域を切り開くには、常人の観念を根底から変えなければなりません。さもなければ、宇宙の真相は人類にとって永遠に神話のままであり、常人は己の愚かな所見に限定された枠の中で永遠に這いまわるしかありません」[1]と教えてくださいました。

 常人であっても、二股をかけるのは品行がよくありません。修煉者は片手で神を握って、片手で人を放さない状態であれば、嬉しく思うのは旧勢力です。旧勢力は「成就できない人は人柄が悪いからです」[2]と決めつけています。

 修煉には基準があります。内に向かって探し、師を信じ、法を信じ、法を師父とします。同じことに対して、状態、理念、見る角度が違えば、結果も違います。これが修煉者と常人の区別です。師父は以前から説法の中で私たちに教えてくださいました。「無漏まで修煉しなければなりません。どの心もなくなり、本当に無漏になるまで修煉してはじめて、本当に圓満成就することができます」[3]

 自分は数年修煉しましたが、修煉の道でよく転んでいる原因は、やはりしっかり学法していないのが原因です。法理がはっきりしていないので、人心も放下できず、修煉することと常人のことを混同してしましました。師父は「その心を捨てることができさえすれば、その物質自体は作用をなさないもので、真に人を妨げるのはほかでもないその心なのです」[4]と説かれました。たとえば私は、色欲心を取り除いていなかったため、修煉者として絶対にしてはいけないことをしてしまいました。旧勢力に迫害される口実を与え、不法に牢屋に入れられて、大法に泥を塗りました。表から見ると、私は家族の人に通報されましたが、本当の原因は他人にはわかりにくいもので、本当に人にも自分にも災いを及ぼします。同修の助け合いと大量の学法を通して、大法修煉の中に戻り、深刻な教訓が残されました。

 普段、修煉の中で多く学法し、堅実に自分の心を修めなければなりません。修煉すれば、小さなことというのは存在せず、無意識に様々な人心が表面に出た時、それはすべて「漏れ」なのです。千里の堤もアリの一穴から崩れます。真に修煉するなら、「漏れなし」の状態に修めるべきです。

 注:
 [1] 李洪志先生の著作:『精進要旨』「論語」
 [2] 李洪志先生の経文:『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法』
 [3] 李洪志先生の経文:『北米第一回法会での説法』
 [4] 李洪志先生の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/8/11/295811.html)
 
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