携帯電話を忘れたあと
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文/北京の大法弟子

 【明慧日本2020年8月6日】先日、退勤後に車を運転していました。団地の入口まで来た時、初めて携帯電話を職場に忘れたことに気が付きました。「どうしよう」。その瞬間思いついたのは、「夫も子供も家にいないし、もし何かあった場合は連絡が取れないから、職場に戻って携帯電話を取って来るべきだ」という考えでした。職場に戻る道は、帰宅ラッシュの時間帯とも重なって時間が掛かり、やっとのことで職場に戻りました。幸いなことに無事に駐車できましたが、車から降りようとしてハンドバッグを開いた途端、「しまった!」と思いました。なんと、袋に入った鍵と携帯電話を事務所に忘れていたのです。 

 その時、私は頭が混乱し始め、結局は無駄足を踏んでしまいました。誰かに頼んで会社のドアを開けてもらうにしても、電話番号を全く覚えていないし、携帯電話がないと電話もかけられないので、あきらめて家に帰るしかありませんでした。その時に思わず浮かんできたのは、問題をどうやって解決するのかではなく、どうやってこのことを家族と同僚たちに説明しようかということでした。きっと、私の話を聞いた彼らは大笑いをするだろうと思い、笑い話のネタとして人に話している表情まで浮かんできました。ここで私は、急に我に返り、「口を修め、説明してはいけないのだろうか?」と考え直しました。

 最近、いつも小人が頭の中で喋っています。何を話しているのでしょうか? いつも考えているのは、どんな言葉で、自分が出会ったことを説明するのかということでした。目的は自分がどのくらい良い人か、どれぐらい理にかなっているのか、どれくらい潔白か等々。いずれにせよ全ては、自分の名、利、情を守るためです。これは長年の習慣なので大脳は休む暇もなく、少しでも時間があれば、これらの考えに支配されてしまい、最近気になっていることを繰り返し考えていました。特に学法する時、煉功する時、発正念をする時、この考えが必ず出てきて邪魔をしました。しかも、常に人を救うためとか、内に向かって探すためなどの理由を口実にして、絶え間なく考えさせられます。気付いたらそれを抑制し、自分を守ろうとする強烈な考えを取り除きました。『轉法輪』の「開眼」まで暗唱した時に悟りましたが、その考えも生命であり、私が毎回それを認める度に、実は絶え間なくそれらにエネルギーを与え、ますます強くさせていました。その現れとしては、私個人の意志がますます強くなり、ますます他人から言われたくないし、他人から傷つけられたくなかったり、さらに焦り出すと理性を失い、自分の不満を晴らすためならどんな言葉でも口にして、全く気にしないことすらありました。後になって自分でも納得がいかず、なぜそれほど教養がなく、世間一般の身分に相応しくなくなり、大法弟子の姿からはなおさら離れてしまっているのかと思いました。実は、自我が強すぎるからです。その根源に遡ると、多くの執着心は自分を守るために生じていました。 

 そして家に帰る途中で、その執着心がまた作用し始めました。夫と子供が私を探していたらどうしよう、など一連のことを想像しました。彼らが私の友人を探し出せば、友人らも心配するでしょう。特に今、団地は許可証がなければ、自由に出入りできません。彼らは焦り出し、一晩中ろくに寝られず、翌朝、私の職場に来て私を探すでしょう、等々。ここまで考えると本当にそれが起きたかのように感じ、感情が高ぶりました。しかし、その時、急に一つの念が現れました。「大法弟子の正念は威力あるものである」 [1]。そして心の中で、「誰も私を探さず、この小人の考え通りにならないように」と師父に助けて下さるようにお願いをしました。この時になってようやく携帯電話を忘れたことは、偶然ではないと分かってきました。必ず私に修めるべき要素があります。法に基づいて修めることこそ正しい道であり、師父が要求されている道なのです。

  そして、私は自分の内面を注意深く観察しました。私は、携帯電話をいつも肌身離さず持っていました。ご飯を食べる時は「明慧週刊」を読んだり、或いは「神伝文化」の録音を聞いたりしながら、毎回携帯電話をすぐ横に置くと落ち着き、電話を受けたり、ついでに何かを調べる時にも、便利なので自然と携帯電話を探していました。今は携帯電話がそばにないと、広い部屋の中には私一人だけで、少し寂しく感じます。そして「明慧週刊」を読むのはやめて、部屋の中に何か音が欲しかったので、「神伝文化」の録音を聞こうと思いました。いつも片付けを終えて寝室に戻る時も携帯電話をずっと持っていたので、携帯電話がないと手の動きも変な感じでした。ベッドに座って学法をしようとすると、普段は学法しようと思えばすぐに始められるので、しばらく休んでから学法しようと思うと、すぐに携帯電話を見ていました。今、携帯電話がそばにないため、すぐに学法することが少し強制的に感じられ、不快感を覚えました。普段は学法が終わって発正念をするまで少し時間があるので、レシピを見たり、迫害の実態を伝えるのに役立つ内容を検索したりして時間を潰していました。朝6時の発正念は、いつも携帯電話のアラームに頼って起きていましたが、今回は半分起きている状態でしたが、携帯電話のアラーム音が聞こえなかったため、目を開けませんでした。結局、6時半に発正念をしました。いずれにせよ、携帯電話がないと日常生活が乱され、心のバランスも失ってしまっていました。 

 職場に向かう途中、私は内に向けて探しました。師父は、私にどのような心を求めておられるのでしょうか? ここまでの自分の一連の反応を振り返ってみると、突然怖くなって冷や汗をかきました。携帯電話に対して、非常に強い依存心があったからです。もう数年間テレビも見ず、一般の文章も読んでいないし、ウィ―チャット(WeChat)も止めたので、自分は中国共産党(以下、中共)による思考回路を根絶できていると信じていました。そんなものを見なければ、中共にエネルギーを盗られることもないと思っていました。しかし、携帯電話は通信のために欠かせない物で、自分なりに自分が受け入れられる使用範囲を決めていました。しかしこの数年間、知らないうちにそれが私の思想を左右し、多くの貴重な時間を奪って行き、精進しようとする意志すら弱め、寂しさを癒す物になっていました。

 翌日、私は意識的に頭の中の小人を抑制しました。するとそれは強く反発し、私の頭の中で、まだ完全に放棄できてない執着心を猛烈に叩き込みました。私は気落ちせず、気付くたびに「この考えは私ではない、認めず、消滅し、排斥し、否定する」。こういう一念を発しました。 

 師父は「入静できない原因は、思考が空になっておらず、次元がまだ低いからです。それは浅いところから徐々に深まっていくもので、次元の向上と表裏一体となっているものです」 [2]と教えて下さいました。

 執着心に対する抑制を強化するべきです。携帯電話も同じで、必要以上に見ないようにするべきで、わずかな時間は正しいことに費やし、場合によっては発正念をしたり、師父の最近の説法を読んだり、大法弟子が制作した音楽を聞いたりしても良いのですが、暇な時間に携帯電話を見て過ごすことはやるべきではないのです。

 今回、内に向けて探す経験をしてから、私の二十数年にわたる修煉過程を振り返ってみました。師父は数え切れないほど私を悟らせ、私が向上するように助けてくださいました。私が遭った様々なトラブル、また家族や同僚、友人が私の前で表した私の気にいらない状態は、本当に私自身の影でした。しかし、私はずっと悟ることができず、修煉の角度から考えていなかったばかりか、いつも一般の人の理で量り、対処していました。そのため修めなかった執着心が次第に大きく、強くなっていきました。実はそれらは全て私が向上できる関門であって、私が内に向けて探し、法に基づいて修めれば向上できるのです。

 着実に修める中で、慈悲なる師父はずっと私の手を引いて、高い次元に導いて下さったと感じました。次元ごとに私が生々世々に犯した債務を利用して、私に浄化の機会を按排してくださり、さらに恩怨のバランスを取ってくださり、同時に私のためにたくさんのことを受け持ってくださいました。しかし、私はこの二十数年の間、足元を固めることができず、失敗を繰り返しながらここまで歩んで来ました。今回は、比較的冷静な状態で最初から自分を修煉者として、法に則って修めることができました。些細なことのように見えますが、多くの収穫があり、本当に向上できました。確かに修煉には小さいことなどありません。同時に、初めて修煉は難しくないと感じました。

 この文章を書いたのは、落ち着いて自分の執着を探すためであり、同時に、私と同じ状況に陥っている同修に、携帯電話の危害について注意を与えるためです。

 もう一つの体験ですが、着実に法を暗記することで私はいつも法の中に溶け込み、積極的に大法の洗礼を受けることができました。毎日大法を通読する時、気が散らないように注意し、あの小人が隙に入ってこないようにすることができました。この過程は執着心をなくす過程でもあります。そして名、利、情に対する執着により構成された小人のエネルギーがなくなり、ますます弱くなって、抑制しやすくなりました。表面的には自分の心がますます静かになり、主意識がますます強くなり、どんな人でも、どんなことでも私を簡単に動じさせることができなくなり、極端に走らず、慈悲と憐れみの心をもって、彼らを救いたい心があるだけでした。全ての考えが大法に同化すると大法の威力が現れます。そして求めずとも自ずから得る結果になります。この間、私はずっとこのような状態にいます。

 もう一つ話したいことがあります。数年前、職場に新しい同僚が入りました。当時、私は師父の新経文を読み終えたばかりでした。この説法で師父は、救われることを望んでいる人たちがいますが、その人達は今、25歳ぐらいだとおっしゃいました。この新しい同僚と彼女の夫はが二人とも25歳だと聞いた時、師父の按排だと分かりました。私は少しずつ法輪功迫害の実態を伝えました。そして一年後、彼女は中国共産党から脱党三退)しました。しかし、彼女は毎日ウィーチャットに夢中になっていて、中共に対する認識がはっきりせず、三退のことも少し私をいい加減にあしらっていたと思います。成功者としての彼女の夫の観点も、彼女に影響していました。そして、私は彼女の執着に沿って話し、話しが通じない時は会話を止め、チャンスがあれば再び話しました。少しずつではありますが、たゆまずやり続けました。

 疫病が蔓延してから彼らは非常に怖がっていました。しかも、彼女の夫の事業も閑古鳥が鳴いていました。私はこの機会を借りて、彼らに詳しく法輪功迫害の実態を伝え、彼女の夫に三退を勧めました。その後、彼女の夫が彼女に「三退したのか?」と聞いたようです。彼女がもう三退したと答えると、彼女の夫は焦りだし「なぜ自分だけ三退して、私のことを心配してくれないのか」と言ったそうです。しかし、疫病の感染状況が弱まるにつれて、彼女はまた中共の宣伝の影響を受け、中共は素晴らしいと言いました。しかし、私は即座に彼女を否定しませんでした。この間、彼女の夫は他の地区へ行って、会社を立ち上げないといけませんでした。しかし、3歳の息子は父親が出かけるのを嫌がり、もし外出したら悪い事が起きる、と言い出しました。彼女の夫は、子供が冗談など言うわけがないと思って怖くなり、外出を恐れてしまいました。

 この間、私は人を救うことしか考えておらず、心は穏やかでした。そこで彼らに心からの九文字法輪大法は素晴らしい! 真、善、忍は素晴らしい!」と念ずるように伝えました。また、中共は命を大切にせず、歴史上統治のためにどれほど多くの中国人を殺害してきたかを伝えました。また、中共が疫病状況を隠蔽したため、疫病が全世界に蔓延し、こんなにたくさんの人が死亡したにもかかわらず、中共はまた責任を転嫁しようとし、それによって人権を重んじ生命を大切にする西側諸国の怒りを買いました。彼らはこれまで、経済利益のために中共の人権侵害に対して黙っていましたが、今は中共に害されたため、必ず中共に償いを求めて来ます。そうなると中国人の一般市民は巻き添えになってしまいます。天が示した救われる方法は確かなものです。この疫病は中共を狙ったものです。中共ウイルスと呼ばれているのではないでしょう? すべて偶然ではありません。

 彼女は私の話を聞いた後、夫に「それじゃどうする? 行くのか、行かないのか」と聞きました。私は「行くべきなら行っても構いません。ご主人はもう三退したので、心からの九文字を念ずれば、神様が保護してくださいます」と伝えました。私はそう言い終えて、心から師父に感謝いたしました。師父の教えの下で、私は人を救うチャンスを掴むことができました。今日、彼女の夫は汽車で出発しました。私は彼にメールを送り、予想外の出来事に遭遇した場合は、あの言葉を念ずることを忘れないようにと伝えました。彼は、分かりましたと返事をくれました。

 師父の洪大な慈悲に深く感謝致します。大法弟子は必ず小さいことから自分を着実に修め、世の人々に対して寛容な心を持ち、根気よく迫害の実態を伝え、毎回人を救う機会を無駄にせず、歴史的使命を遂げましょう。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨(二)』「大法弟子の正念は威力あるものである」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/5/3/404693.html)
 
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