山東省青島市の何立芳さん 迫害により死亡
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 【明慧日本2019年7月13日】山東省青島市の法輪功学習者・何立芳さんは2019年5月5日、派出所の警官に言われた通り、北安派出所に身分証明書の手続きをしに行ったが、そこですぐさま連行された。迫害に対して、何さんは断食をして抗議したが、6月25日、即墨区普東留置場で不当にも開廷された。当時、何さんは4人にかかえられて出廷した。そして、7月2日か、あるいは3日(詳し日時は不明)に、残忍な迫害によって死亡した。享年45歳の若さであった。

何立芳
何立芳さん

 2019年7月1日、家族は突然、普東留置場からの電話を受け、「何立芳は青島市城陽区第三病院(郷、鎮レベルの病院)に送った」と告げられた。家族は「即墨区には大病院が数軒あるのに、なぜ、わざわざ小さな病院に送ったのか」とおかしく思ったという。家族が病院に駆けつけると、何さんは全身に多くの管をつけられ、内容不明な薬を注入されている様子が見て取れた。そしてその薬を注射される度に、何さんは全身を震え上げさせ、電気ショックを受けたようにとても苦しんでいるように見えた。

 警官は家族が何さんに近づかないように指示し、家族を病院にある小さな部屋に入れ、警官数人によって監視した。翌朝、留置場の警官らは撤退したが、その代わりに、今度は即墨区北安派出所の警官らがやって来た。派出所の警官らが来ると、家族を病院から追い出した。そして、7月3日午前10時、家族は何さんの死亡を通知された。家族は何さんの遺体を引き渡すようにと要求したが拒否され、「俺たちで処理する」と言われた。

 何さんは北安街道長直院社区に住んでいた。法輪功の信仰を堅持したため、何さんは19年来、即墨区610弁公室に操られた派出所の警官らに何回も騒がされ、連行され、拘禁され、拷問されて、自白を強要されるなどの酷い迫害を受けたが、九死一生を得て助かった。何さんの姉の何淑栄さんも法輪功を学んでいるという理由で、2回労働教養処分を受けた。8日間昼も夜も吊し上げられて、ひどい拷問を受けたことがあり、心身ともに苦しめられた姉の淑栄さんは2014年4月26日に、罪の晴れぬままこの世を去った。享年50歳だった。

 2001年7月20日朝、何さんは借りた家で訪ねて来た他の法輪功学習者たちと共に、即墨区朝海派出所の私服警官らに連行された。その後、何さんたちは開発区派出所に移送された。派出所で何さんは真夏に綿のヘルメットをかぶらされ、スタンガンでヘルメットを叩かれ、鉄の椅子に縛られて自白を強要をされた。何さんは酷い拷問を受けながら、法輪功の創始者を罵るように強要されたが、従わなかったため、警官2人に靴底に法輪功創始者の名前を書き、踏むように命じられた。何さんは足を下ろさないようにしたが、警官らに足を押さえ付けられた。その後、何さんは即墨留置場に移送された。留置場で警官らが17人の受刑者を指図して、何さんを殴打させた。それで、何さんは数度も意識不明になった。それから、救急車で病院に運ばれた何さんは、医者に「手遅れで、もう救えない」と言われた。

 その後、何さんは家族に家に迎え帰宅して意識が戻ったとき、法輪功の功法を煉り続け、徐々に回復できた。当局の人員が、何さんの体が快方に向かったと知って、24時間何さんを監視し、騒がせた。それで、何さんは余儀なく家を離れて放浪生活を強いられたが、戸籍も身分証明証も取り消された。

 中国では戸籍、身分証明書がないと、仕事も電車に乗ることもできないため、何さんは親戚に委託し、身分の回復ができるように頼んだが、派出所はそれを拒否した。そして、何さんを連行するために北安派出所の所長は何さん本人が派出所に来るようにと言ってだまし、罠をかけた。

 2019年5月5日、何さんは所長の要求通りに派出所に行くと、その場で連行された。5月23日、検察官が何さんを裁判所に起訴した。情報筋によると、即墨610弁公室がいち早く何さんに対して開廷することを要求し、何さんを刑務所に送り込もうとしたという。内部の者は「証拠がないとわかっていたが、どうしても何立芳を刑務所に入れたい」と話したという。

 何さんは普東留置場で断食して迫害に抗議したが、強制的に灌食され、便を失禁するようになり、その後、危篤状態に陥った。6月5日午前、弁護士は何さんに面会しに行ったが、留置場側にいろいろな理由をつけられ、面会を許されなかった。同日の午後、家族は弁護士と共に留置場に行って、強く面会を要求した。そこで何さんは4人によってかかえられて出てきた。しかし、弁護士が何さんに話しかけても、全く反応がなかった。

 6月25日、即墨区裁判所は何さんが危篤状態にも関わらず、留置場で臨時に設けた「裁判室」で何さんに対して開廷した。警官は何さんをかかえて部屋から、いわゆる「裁判室」に連れて行き、何さんを椅子に無理やり座らせた。その間、何さんの鼻からずっと液体が出てきたが、その液体を1人の警官が拭き続けていた。

 裁判で何さんはぼんやりとした表情で、何の反応もなかった。何さんの母親は息子の様子を見て、その場ですぐに病院へ連れて行き、治療するようにと求めたが無視された。

 法廷で公訴人は2001年に何さんが「真・善・忍は素晴らしい! 法輪大法は素晴らしい!」などの横断幕をかけたことや、2015年に何さん一家が法輪功への迫害を引き起こした江沢民を告訴したこと、放浪生活をしたことなどを理由に、これらを証拠に犯罪であると訴えた。

 これに対して弁護士は法律に基づき、2001年の証人の証言の信ぴょう性を質疑(発表者・提案者に疑問点を問いただすこと)するなどして、何さんの無罪を主張した。弁護士は「信仰は思想範疇の問題であり、何も社会を脅(おびや)かすことにはなりません」と主張して、何さんを無罪で解放するようにと要求した。

 裁判を行なっている間、裁判長はいくつかのメモ紙を渡されたり、耳元でコソコソと話を聞いたりしたという。

 司法関係者らは正義と公平さを保ち、維持する仕事だが、法輪功学習者に対する迫害に関しては、全く法に則っていないし、自ら法を犯す行為をしている。

 何さんが受けた残酷な迫害の詳しい内容は「山東省即墨市何立芳さん一家が江沢民を告訴」や、「青島市の何立芳さんは罠をかけられて拘束される」、「迫害によって危篤状態に陥った何立芳さん」の中国の明慧ネットを参照されたし。

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/7/4/389560.html)
 
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