山東の楊乃健さん 粘着バンドルで巻かれ窒息寸前に
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 【明慧日本2019年7月15日】(山東=明慧記者)山東省青島市城陽区の法輪功学習者・楊乃健さんは、6年の冤罪を終えて、2019年5月2日に帰宅したが、母親の劉秀貞さんは迫害により、2019年1月4日に冤罪が晴れぬまま、すでに他界し、息子の出所日を待つことが出来なかったことが判明した。

 2013年5月2日、青島市公安部門の70人余りの警官らが劉秀貞さん宅を包囲し、扉を壊して突入し、劉さんの全家族や友人の陸雪琴さん、李浩さん他16人を連行した。連行した理由はなんと「劉秀貞さん宅で、法輪功学習者の集会を開いたからだ」という。1カ月後の6月4日、中国共産党の中央テレビ、新華ネットなどのメディアは、一斉に「青島市警察が実施した、法輪功学習者による拷問の実演写真に関する事件を摘発」と大いにこれを報道した。そして6月9日に、逮捕令状がそれぞれの家族に交付され、「邪教組織を利用して法律の実施を破壊する」という罪名が付けられた。間もなく、警察側は上からの統一的な命令を受けたかのように、一斉に罪名を「国家政権転覆罪」に変え、家族にこれを認め、署名するように強制した。

 楊さんは惜福鎮留置場に拘束され、残酷な拷問により苦しめられ滅多打ちにされたあと、懲役6年の実刑判決を言い渡された。母親の劉さんは懲役3年、親戚の袁紹華さんは懲役4年、陸雪琴さんは懲役10年の実刑判決を言い渡された。劉さんは山東省女子刑務所に移送され、半年後に、迫害により肺癌の症状が現れて一時出所したが、警官らが絶え間なく嫌がらせを続け、恐喝される中で、冤罪が晴れないまま亡くなった。

 2014年11月11日、楊さんは山東省刑務所に移送された。3日後の11月14日、楊さんは監視カメラが設置されていない唯一の場所である風呂場へ連れて行かれ、受刑者の楊洪有に「今日は殴らず、罵らずに、お前を極限にまで挑戦させてみよう」と言われた。

 続けて迫害の担当のリーダーである受刑者の尹軍は、楊洪有、李保慶、呉克軍に指示し、 粘着ローラーテープバンドルで楊さんの両足を別々に椅子の両脚に固定させて縛り上げ、身体をしっかりと椅子に固定させて巻き付け、まったく動けない状態に固定させた。そして、楊さんが「法輪大法は素晴らしい」と叫ぶことを恐れて、先にガムテープで楊さんの口を封じた。さらに、楊さんを巻き付けた椅子を傾けさせて、縛り付けられた2本の足が地面から浮いた状態にした。その上に、椅子の後ろの2本の両脚だけで後に椅子を傾けさせるような格好にした。

中共监狱酷刑示意图:捆绑
不安定な格好で、粘不着バンドルで縛り付けられる

 それだけではなく、さらに受刑者らは縄で楊さんの頭を巻き付けて、暖房器具の柱にしっかりと固定して繋ぎ、身動き出来ない状態にした。このようにされると、楊さんの頭と身体は後ろにあお向けの状態になり、身体や首、頭がすべて固定され、頭を起こすことも出来ず、首は一定方向に向かされたままで身動き出来ず、息さえ出来づらくなり痛い上に息苦しく、口までも封じられて、楊さんは死ぬほどの辛さを味わった。楊さんにとってこの状態は1分1秒がとても長い時間に感じられ、ひどい苦痛を伴い、そのうちに段々と意識が朦朧とした状態に陥った。しかし、楊さんの心の中にはずっと「絶対に法輪功を裏切るようなことは書かない」という強い一念があった。

 まる一日中苦しめられた楊さんは、すぐに呼吸が止まりそうになって、口から白い泡を吹き出した。受刑者らは慌てて警官らに報告し、楊さんを刑務所病院に運んで緊急措置を取った。刑務所病院の医師は「今晩、何か急変があったら電話で呼んでくれ、来るから」と言って、たくさんの薬を出した。そして、立つこともできず、全身けいれんして震えが止まらない楊さんは刑務所に戻され、7、8人の受刑者らに取り囲まれて、無理やりに大量の薬を飲まされた。

 それ以来、楊さんは非常に衰弱しきった状態に陥り、全身に力がなく揺れ動くようになり、呼吸が切迫したり、息を切らしたり、そのうち息をする気力もなくなり、ぼんやりとする状態が現れてきた。ちょっと動くと嘔吐し、6階まで上がるのに3回も休まなければならなくなった。2014年11月27日、刑務所側は楊さんを刑務所病院に送ろうとした際に、ここの医師は「俺の手にはもう負えない」と入院することを拒否した。その後、楊さんは済南警察病院に送られた。

中共酷刑示意图:吊铐
拷問のイメージ図:吊り上げられる

 楊さんは惜福鎮留置場に拘禁された際に、警官らは「情報」を得るために、3日間楊さんを吊し上げた。城陽刑事警察大隊の王責任者は「お前は鉄で作られているのか、それとも鋼鉄で鋳造されているのか、城陽公安支局はいくらでも人手があるから、必ずお前の口を開かせてやるぞ」と言い張った。しかし、最後にはとうとう未解決のまま、この件は棚上げになった。

 6年間の刑務所生活は、楊さんの心身に重傷を負わせただけではなく、家族にも極めて大きな打撃を受与えた。2007年5月2日、楊さんの母方の祖父が亡くなった時、楊さんの母親も済南女子刑務所に拘禁されているため、娘として父の最期に会うことができなかった。そして2018年2月8日に、楊さんの母方の祖母が亡くなり、2019年1月4日にも、楊さんの母親・劉秀貞さんが亡くなった時のいずれも、当時、山東省刑務所に拘禁されている楊さんは、同様に最後を看取ることも、ひと目会うことさえも出来なかった。祖母は5年余り楊さんの帰りをずっと待ち望んでいた。母親の劉さんはもう4カ月ほど生き延びれば、息子に会えたのだが、残念なことに、楊さんの出所の日まで待つことが出来なかった。これは現在の中国のどの刑務所でも堂々と行なっている事実である。楊さん家族が陰湿な惜福鎮留置場の中で、2世代におよび残忍な迫害に遭った事実であり、善良な法輪功学習者に対するあまりにも残酷な迫害の実態である。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/27/387913.html)
 
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