本当に法輪大法を得ることは 幸運中の幸運だ
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2019年8月1日】私は2004年に幸運にも法輪大法を得ました。この十数年間、いろんなことに遭って、決して修煉の道のりは平坦ではありませんでしたが、どんな困難に遭っても、大法を得たことが、世界中の何よりも幸運なことだと思っています!! お金や財産はあまりありませんが、大法を得たことで自分がとても裕福だと感じています。例え、全世界の財でこれと交換すると言われても、私は絶対にそのようなことはしません。

 生活の中での圧力

 私は小さい頃は勉強ができる方でしたが、体が弱くて頭がいつもぼんやりしていて、授業中によく顔を机に伏せていました。先生は私が授業の内容がわかったからだと思って、机に伏せた私のことを放っておきました。あまり授業を聞かなくても、テストの成績がよかった私のことを、賢い子だと先生は思い込んでいたようです。実は、私の健康状態が悪かったからです。大学に進学してからは、その症状がますます酷くなり、それに歯の痛みと生理痛も伴い意識を失うこともありました。そして、大合唱に参加したときに、あまりの生理痛で椅子から転げ落ちて意識を失いました。

 大学卒業後、私は小さな都市のある国営企業に就職しました。しかし、会社の経営不振で、給料さえ貰えなくなりました。そこで結婚して妊娠していた私は、夫について夫の実家に帰りました。その際に、義理の両親はまだ働いており、私たちが突然実家に帰ったので、同居したことに圧力を感じたと思います。ですから、義理の両親は私たち夫婦に冷たく、子供が産まれてからも私たちと仲良くなれませんでした。そのせいで、心が狭かった私は健康状態がさらに悪化し、義理の両親とのトラブルが多く、益々隔たりができました。私の母親は、貯金のない私のことを心配して「義理の両親につらく当たられているのではないか、虐めらているのではないか」と思って、時々私にお金を渡してくれました。しかし、その頃の私の実家も裕福ではなく、弟や妹もいて皆まだ学生で、お金がたくさん必要な時期でした。

 義理の両親は1960年代の大学生で、義母は一人子で内気な性格です。義理の両親は自分の娘たちと娘の孫には、とても優しく世話をしましたが、私と私の子供には、厳しくて冷たく接していました。私と子供は夫の実家で毎日小心翼々として暮らし、いつも怒られないようにビクビクし、一番小さな部屋にこもっていました。それでも、時々ぶつかることがありました。ある日、義母が買い物をして帰って来たとき、マンションの前で夫の名前を呼んで、「荷物を運んでおくれ」と大声で叫びました。夫の実家は5階にあるため、私たちは義母の声が聞こえませんでした。そして義母は家に入るなり、すぐに私を罵ったり叱ったりしました。それは私が夫を引き止めて、わざと手伝わないようにさせたと義母は思ったらしく、すごい剣幕で怒鳴りました。

 またある日、子供が熱を出しましたが手元にお金がないため、私は義母に「お金を貸してほしい」と頼みましたが、義母は直ぐに「お金がない」と返事をして貸してくれませんでした。仕方なく、私は知合いからお金を借り、子供を連れて病院へ行きました。病院で点滴を受けて帰ると、義理の両親は義理の弟一家とマージャンで遊んでいるのを見ました。その時はまだ、私と子供はご飯さえ食べていなかったのです。それからというもの、私は義理の両親を怨み、そのことでよく夫と喧嘩をしました。「いつかこの家から出ていく! 永遠に義理の両親と会わないようにしたい!」という気持ちでいっぱいでした。

 夫の実家があるこの地方では仕事があまりなく、1999年に生活のために、私たち一家は大都市に引っ越しました。それから私は懸命に仕事をし、残業ばかりしていました。会社のリーダーが私の仕事ぶりを見て称賛し、人材という形で私たち一家3人にこの都市で暮らせるように、戸籍を獲得させました。そして子供は順調に入学でき、ローンを組んで家も買いました。しかし、その頃から私の体の健康状態が悪化し、背中がいつも痛むようになりました。夫が毎日、長時間マッサージしてくれないと私は寝ることもできませんでした。そして、毎朝目が覚めてからは、硬くなっている体をよくほぐさないと動けなかったのです。当時、小学生の子供もよく病気をしていました。

 大法に出会ってから、どんどん幸運になる

 2004年、私と子供は病気治療のため、病院に通っていました。そこで、ある医者が法輪大法を紹介してくれました。最初、中国共産党の法輪大法に対する誹謗中傷した宣伝の影響で、私は法輪大法を受け入れなかったのですが、その医者は繰り返し、私に法輪大法のことを話してくれました。面子があるために、私はその医者から渡された法輪大法の書籍やDVDを受け取りました。帰宅して、夫にそのことを話しました。しかし夫は、「僕は、法輪功のことをよく知っている。以前の勤め先では、多くの人が法輪大法を煉っていたし、会社のエンジニアたちも学んでいたよ」と話してくれました。そして、私たちはもらったDVDを観ました。中国共産党が偽りの天安門焼身自殺をでっち上げ、法輪功に罪を被せたことを知りました。それを見て当局に騙されていたことに、私たち夫婦は本当に腹が立ちました。偽りの天安門焼身事件について、夫は「中国共産党は本当に極悪非道な連中だ。これらの事はやりかねない!」と叱責しました。

 その1カ月後のある日、ある外国企業が夫に連絡してきました。個人経営の企業で働いており、給料がとても低く、休日もなかった夫が嬉しいことにスカウトされたのです! 新しい会社は週休二日制で、給料も前の会社より数倍も高い良い条件でした。今、このことを考えると、夫は法輪大法に正念を持って、肯定していたから福報になったのだと思いました。

 大法の本をまだ半分しか読んでいなかったある日、夫は私に「この数日、背中をマッサージすることを全然求めなくなったな」と言いました。「そうだ、なぜか背中が痛くなくなってる!」と私も気づき、本当に嬉しかったのです。しかも、私は大法の本を読むとき、背中がドライヤーで当てられたように、温かく感じることがありました。あれから、私は今日まで一度も病院に行ったことがなく、薬も飲んだことがありません。不思議なことに、体は20代のときよりずっと、ずっと健康です。

 大法を学んでから、人間がなぜ病気になるのか、苦難に遭うのか、幸福があるのかが分かりました。人間は生々世々に積み重ねた業力のせいで、魔難を生じるのです。2005年のお正月に、私は義理の両親と夫の兄弟たちを我が家に招きました。義理の両親は私に対して「以前にしたことは申し訳なかった」と謝りました。私はそのことを許しており、今はもう全然気にしませんでした。義母、姪、甥たちは我が家で師父の説法のビデオを観ました。義母が自宅に帰ると、近所の人たちに「若くなった」と言われたそうです。

 法輪大法を学ぶ前、当時は電話代が高かったので地方にいる親戚たちとは、いつも会社の電話を使って話していました。大法を学んでからは、「得ようとするには失わなければならず」という理がわかりましたので、それ以来、私は私用のために、会社の電話を一度も使ったことはありません。

 法輪大法を煉るようになってしばらくして、社長も私の変化に気づきました。ある日、社長が私の担当部門の技術部に来て、同僚に「何々さん(私のこと)は変わったし、きれいになったね」と言いました。以前の私は顔色が悪く、性格もよくなかったのです。以前は、もし何か言われたことが私の間違いでなければ、最後まで自分の潔白を言い続け、言い争っていました。例えば小さな事だったのですが、私は社長とトラブルがあり、それからの数日間は社長と口を利きませんでした。その後、社長が自ら私に話しかけてくれて、やっと社長と話をするようになりました。しかし、私は大法を得てからは、本当に幸せを感じ、誰のことを見ても親近感を感じ、誰と話しても心から喜んで話しました。心の底から幸せが湧き上がり、私の表面もきれいになったのだと思います。

 ある日、私は市場で魚を買い、おつりをもらうとそのままポケットに入れました。野菜を買った際に50元を支払うと、偽札だと言われました。私は魚を買った時のおつりのお金だというと、「その魚屋さんは、何回もこんなことをやっている」と教えてくれました。私はそのお金を持って魚屋に行き、その事を話しましたが、偽札のことを認めませんでした。隣の人が「あなたもその偽札を使ってしまえば」と勧めましたが、私は真・善・忍という法理を思い出して、その場でその偽札を破り捨てました。

 法輪大法を煉る前は損をしないように、騙されないようにと常に心掛けていたので、とても疲れていました。修煉してからは「本当に自分のものなら失わず、自分のものでなければ争っても自分のものにならない。他人のものを得たら、他人に相当な徳を与えなければならないし、大きな業を作ることになる。人の病気やトラブルなどは、みな業力によるものである」という理がわかるようになりました。

 私は会社では技術ファイルの管理の仕事をしていました。その後、技術の翻訳担当者になりました。職場を離れてからは、私はいろいろな仕事をこなして塾の先生もやりました。それらの仕事は少し見て学ぶだけで、すぐできるようになりました。学生のときには、これらのものは勉強してもわからなかったことばかりです。私の指導を受けた子供たちは全員大きな進歩があり、多くの保護者はわざわざ私の所にやって来て、子供の指導を頼んできました。

 家族も大法の恩恵を受ける

 息子は、以前は体が弱くて歩くのもつらいと感じていました。その時分の息子は5歳の妹より、長く歩けず、また、歩く速度も遅く、早く歩けませんでした。ある日、私が大法の本を読んでいたとき、息子は自分の教科書を持って来て私に見せました。教科書に当局が作った天安門焼身事件のことが載っていました。当時、息子はまだ8歳でしたが、私が大法の本を読んでいるのを見て心配してくれました。息子に「教科書に書かれたことは嘘で、でたらめよ」と本当のことを教えました。中国共産党は本当に邪悪で、こんな小さい子供まで騙すのです。それから息子は放課後に大法の本を読むようになり、知らないうちに鼻炎が治っていました。息子は「階段を上るときは、誰かに後ろから押されているようで、疲れないよ」と言いました。

 息子は人を助けることが好きです。学校で本などが配られると、いつも皆がもらうことを優先させ、自分は一番最後に受け取ります。息子はパソコンが得意で点数の入力、名前の入力など先生のお手伝いをします。勉強ができる息子は、よく同級生たちから電話がかかってきて、わからない宿題を聞かれ、教えています。息子は熱心に説明して教えますが、それらのことで自分の勉強に悪い影響はありません。小学5年生になると試験を免除され、しかも学業が1位であることを授与されました。

 私は息子がまだ子供なのに大法の本を読んで、自ら大法の法理に従って自分に要求することに驚嘆しました。これは大法の威力だと分かっています。中国の学校は年々ますます「文明人」になるという教育指導を行なっていますが、社会の道徳は逆にますます悪くなる一方です。大法だけが人を内心から変えられるのです!!

 私が大法の修煉の道に入ると、息子も夫も恩恵を受けて元気になり、病院に行くこともなく、薬も飲まずに、これまで元気に過ごしてきました。いつもこれらのことを思うと、心から大法と師父に感謝の気持ちでいっぱいになります。息子は知恵を授かり賢くなり、塾などに行ったことはないのですが、成績が良く、推薦で有名な大学に進学しました。

 私の母親も修煉の道に入り、患っていた重いメニエール症候群と心臓病が治り、穏やかな性格になりました。

 私は今生、大法の徒になって、本当に言葉では言い表せないほどの幸運中の幸運を掴むことができました。心底より、偉大な師父に感謝いたします!!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/1/385150.html)
 
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