自己を修め、心を正すことは最高に素晴らしい
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年8月14日】師父は「現在からこのように行い、自分を修めるようにしてください」 [1] とおっしゃいました。師父のこのお言葉は私を大きく震撼させました。私はこの師父の説法をじっと見つめ、必ず「自分を修めるように」、そして「自分を修めることが必ずできる」という考えを心に留めました。

 すると、奇跡が現れました。この数日間、私の体は今までに経験したことのない軽やかさを感じました。以前、自分を修めるとき、辛さや難しさを感じて、いつも向上が遅かったのです。

 いま「自分を修めるように」と決心してから、すべてが新しく、上へ昇華し、一層一層を速いスピードで突破していると感じました。私がさらに驚いたのは、以前、なかなか根絶できなかった良くない考えと観念をすぐに突破でき、解決できなかった問題を正しく修正する方法がわかり、放下できなかったものを今はすぐに放下できる……、すべてが単純に、さらに明瞭で、さらに容易くでき、とても純粋になりました。

 私は再び「大道は至簡至易である」 [2]という師父の言葉を思い出し、大法の博大な奥深さを体験しました。十年の困苦と国内の複雑な環境の中で、私はこの法理を徐々に忘れていたようで、この数日間で突然「大道は至簡至易である」を新たに感受したことは、今までにないほどの素晴らしさです。

 以前、私は自己を実証し、私(し)の為の物質がミクロな生命の中にあり、修煉してから数年経って、これらを必死に取り除こうとしても、なかなか取り除けず、とても頑固なものだと感じました。 

 しかし、いま自分を修めるようにしてからは、それらの頑固な物は根元から絶たれ、表面に僅かなよくないものだけが残り、心をしっかり正せば、表面のこれらの良くないものをすぐに取り除くことができます。

 以前、私はいつも無意識的に同修の不足、常人(他人)の不足、自分が不満なところを見ていました。これは良くない、直さなければならないと分かっていながら、なにかに遭うと、特に突発的なこと、例えばある同修が警官に連行されたときに、これらの良くない考えがまた現れ、取り除けず、心を抑えられず、とても辛かったのです。いま思えばすぐ内に向けて探し、自分の不足、問題、あるいは改善と向上の必要があるところを見つければ、問題の解決も早く、簡単に処理できていたでしょう。

 以前、いくつかの問題に対して同修との意見が合わないとき、特に同修の誤解と議論に消極的になり、辛さと不満を感じ、さらに避けて遠く離れました。個人生活の問題に遇ったとき、私はいつも回り道をしてやっと出られ、ときには長引きました。

 いま、自分を修めるようにしてからは、何かにあっても、この生命の本源は、自分を修める機能に入り、この機能がまず働きます。私はさらに寛容になり、さらに穏やかに対処できるようになりました。

 私が思うには、私たち大法弟子一人一人がしっかり自分を修めれば、皆が心を正し、互いに協力し合うことができ、私達の団体は漏れがない状態になり、邪悪は隙に乗じることができなくなります。そうすれば、このすべては難攻不落ではないでしょうか!

 「自分自身を修め、心を正そう」とすることは、とても素晴らしいことです!

 この中では体験談や同修との交流などの具体例は書けませんでした。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「更なる精進」
 [2] 李洪志師父の著作:『大円満法』「1.功法の特徴」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/7/25/371570.html)
 
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