第二式の功法の煉功についての考え
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年8月19日】この度、煉功音楽の新しいバージョンが発表され、第二式の功法は1時間になりました。私は、おそらく多くの大法弟子が煉功を重視せず、法の要求通りに煉功していないので、身体が高エネルギー物質に転化していないため、全体の修煉や衆生の救い済度に影響を与えたからだと思いました。

 1時間の第二式の功法を煉功すると、時々、自分が煉功音楽の中に溶け込み、一つ一つの音符を聞いて、心地よい素晴らしい感じが現れ、完全に以前の第二式の功法を煉功した時の辛さを感じませんでした。

 ある日、私は同修の家族と一緒に検察院に行くことを約束していました。警官が違法に大法弟子を連行していることを通報するためです。しかし、約束より2時間前に、自分の状態が良くないと感じ、この状態で行っても、うまくいかないと思い、行く前に第二式の功法を煉功しようと決めました。

 第五式の功法の構えの中に、「心には慈悲を生み」[1] という言葉があります。私は煉功する時、いつもこの言葉を気に留めていませんでしたが、きょう煉功する中で、「心には慈悲を生み」の状態になり、毎分毎秒もこの状態を保ち、そして、「顔は祥和の意を帯びる」[1] ようにして、1時間の煉功が終わったとき、安らかな場に包まれているように感じました。

 私たちは省の検察院に行って、通報の手紙を提出して事情を説明したところ、受付の係員は、法輪功と聞いて、びっくりしました。すぐ立ちあがり、ドアまで行き、警備を呼んで、私たちを捕まえると叫びました。

 私はずっと落ち着いていて、心も平常で少しの動揺もありませんでした。通報の手紙を提出したので、私たちは通常どおり立って、心が平常なので、その場も平常で、妨害が全然ないので安全検査門を通り、検察院から出ました。私は検察院の前に立って、受付の人と警備員を見て、心で、「私は『善』をあなたたちに残したいのです」と念じました。この時、その受付の人と警備員は先程の緊張した表情は消え、目に『善』が現れ、同情の表情に変わりました。

 私は、「大法弟子の心境は周りの環境と周りの人の心境を決めることができる。自分をしっかり修めることは衆生に責任を負うことになり、今、自分はどんなことを感じたにしても、それは常人に対して感じたもので、師父は私たちに全てを与えてくださったが、その中には自分がまだ意識していないところもあるのだ」と悟りました。

 家に帰って、今後、公安局、検察院、裁判所に、どのように真相を伝えるかについて考えました。検察院は法輪功が迫害されていることは分かっており、彼らも救うべき衆生だと思います。しかし、公安局、検察院、裁判所の人達について、真相を伝えるのは大変難しいと感じました。私は空を見て、目の前に、大法弟子が一層一層降りてきたという大法弟子の描いた絵を思い浮かべました。大法弟子は宇宙の奥深いところから、神の光輪を帯びて、一層一層降り、だれでも自分の天体の主と王で、師父を手伝うという使命や神の威厳を帯びて、空に現れたように感じました。その一瞬、私が感じた難しさや無援の感情は常人の次元のものだと悟り、取り除くべきものだと分かりました。なるほど、私を阻んでいるのは、自分の思惟が常人の次元に立っていることだと意識しました。常人の次元で法を実証するのは難しいと無援を感じ、さらに、孤独や、辛さ、不平、互いに指摘しあい、互いの間隔にまで発展します。

 最近、中国国内の各地に、大法弟子への迫害事件が多く現れました。もし、私たちの思惟が常人の次元を超え、大法の立場に立てば、大法弟子の内心に、大法への正しい信念、迫害への否定、及び大法から修めた慈悲は、現れた迫害を衆生が救われる方向へ発展させることができると思います。私たちはただ素直に師父の説法通りに行なえば、結果も師父の説法通りになり、必ずそうなります。

 私たちが今、神のように自分の能力を発揮できないのは、私たちが人為的に自分の神の面を抑えているのです。皆さん、試してみてください。煉功音楽の中で師父が言われている通りに動作を行ない、師父の要求通りに学法し、如何なる意念もなければ、必ず、「柳暗花明又一村」のような殊勝と美妙を感じ、私たちは人類の主役になり、人類社会の全ては大法弟子に従います。邪党は何ものでもないのです。

 自分のわずかな悟りなので、不適切なところがあれば、ぜひご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『大圓満法』「二、動作図解」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/8/11/391317.html)
 
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