文/香港の大法弟子
【明慧日本2019年9月16日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
1998年以前、業力に満ちた俗世間で、また、各種の欲望の支配の中で大変でした。そしてまた、迷いながら常人の苦しい境遇の中で苦労していました。子供を出産した後、各種の病気が体に現れ、たとえば、私の肝臓と胆嚢に深刻な問題があって危険なので手術を行なう必要がある、と医者から言われ、当時私はうつ病も患っており、精神科の薬も服用しなければならない、など大変でした。疾病からの解脱を求める過程で、私は幸運にも法輪大法に出会い、その時から生命の帰途に出会いました。
時間はあっという間に過ぎ、師父のご加護の下で、私は苦労を舐めて鍛え上げられながら、二十数年を歩みました。法を正す進展が前へ推し進められるに伴い、大法弟子が配慮しなければならない人を救うプロジェクトもだんだと多くなっています。私は2015年に、大法書籍を専門に扱う書店の仕事を始めました。毎朝、私は同じ地区の同修と順番で法輪功迫害の真相資料を配り、それから一緒に煉功と学法をし、再び書店の仕事をし、毎日充実して過ごしています。師父の慈悲深い按排に私は非常に感激し、法を正す進展に私は追いついています!
一、メディア広告の営業の中で向上する
2017年7月になり、独立した角度で迫害の真相を伝える新聞が香港で復刊しました。このメディアは中国伝統文化を広めることを理念として発行し、さらに広告をとるという形式でメディアを好循環に向かわせています。メディアの協調人が広告営業の人員として私を誘い、その時私は迷いました。なぜなら、私はあまり話ができない人間だからで、表現するのがうまくないのに、どうやって広告を取るのでしょうか? さらに私は毎週すでに土曜日と日曜日は書店で仕事をしており、どうして時間があるというのでしょうか?
その後考え直してみると、私は大法弟子であり、同じようなことが私の目の前にやってきた場合、すべて偶然ではありません。
はっきりと覚えているのですが師父は「あなたたちは一人をもって十人、百人に当たることができます」[1] と説かれました。新聞は広告収入に頼って経営されており、さらにメディアの人手が非常に不足していることを私も知っており、私がやらないで誰がやるのでしょうか?
私が心を調整すると、物事は順調になりました。大法弟子はみんな人を救うプロジェクトを行なわなければならず、ここ数年私も書店で仕事をしていますが、手助けしてくれる同修はずっと見つかっていません。この時、適任の同修がおり、毎週2日書店に来て手伝ってくれるよう手配することができ、それで私は2日間という時間に資料を持って、広告に走ることができました。そこで2018年11月、私は正式にメディアの広告営業に加入しました。
広告営業を始めたばかりの時、この方面での経験がなかったので、新聞を取引先に送る時、取引先の入口に着いた時に、新聞を取り出して取引先の人に渡せなかったのです。時には取引先が出した質問に直面し、答えられないことがありました。こうしている間、オーストラリアメディアの同修と経験のある香港の同修の指導とトレーニングを経て、自分の観念を変えることを少しずつマスターし、営業人員として、私たちの新聞の内容をよく知っていなければならないことがわかり、時間を見つけて読まなければならず、取引先の質問に直面した時、新聞を読んでいてはじめて気軽に応対でき、同時にまた営業人員のプロの姿を作り出すことができます。
広告を持ち帰り始めたばかりの当時は、デザインの上でいつもずっとうまくいかず、デザイナーが何度も変更し、それでも取引先には満足してもらえないのです。どうしてでしょうか? 内に向けて探し、自分に急いで成果を求めようとする心があることを探し出し、広告を作る過程の中で取引先と深くコミュニケーションをとっていませんでした。さらに同修に依頼する心があり、自分の仕事が基準に達していませんでした。幸いなことにすぐにある同修の協調と協力と善意ある提案で、問題は解決しました。学法を通じて「心を込めて行ないさえすれば、師父は縁のある人を私たちのそばに連れてきてくださる」ということを私は理解し、「心を込めて行ないさえすれば、広告が来たら自然と順調に運ぶのだ」ということを理解しました。
ある取引先は私と大きな縁があり、その取引先を見た時に、私は久しぶりに会った家族であるかのように喜びました。その取引先と取り引きしている間、その取引先も修煉と縁のある人であることがわかりました。中国共産党の毒害を受けたために、大法弟子たちの態度に対する先入観が生まれ、大法に対する誤解が生まれていました。毎週その取引先に新聞を届けに行き、2カ月以来、ずっと間接的に大法のすばらしさを伝えましたが、迫害の真相を伝える機会と、その取引先の問題を解決する機会を見つけられませんでした。
この取引先のことでイライラが高じて苦しんでいた時、取引先が私に「夢の中で大菩薩が涙を流しているのを見たのです」と言われ、「どのように理解すればいいのでしょうか?」と私に聞いてきました。そこで「私たちは前世ですでに知り合っていたのですよ」と話しはじめ、私とその得意先は毎回話をするようになり、得意先を神佛が加持してくださっているのを感じました。私は「中国共産党の邪霊は西洋の幽霊であり、人の思想を知らず知らずのうちに改変し、中国伝統文化を破壊し、無神論の嘘を注ぎ込み、中国の多くの子供に獣のしるしを焼き付けましたが、神の啓示を得られるなんてあなたはなんと幸運なのでしょう!」と私個人の理解を話しました。得意先は「この度は信じます」と言って、さらに感激の涙を流し、三退しました。得意先はさらに「現在会社は社内改革中で、これが落ち着いた後に必ず広告を出します」と約束してくれました。私の涙はこの時も辛抱できず絶えず流れ落ち、師父の無量の慈悲に感謝申し上げ、そして縁のある人をついに救いました!
数カ月間得意先と連絡を取る中で、大部分の得意先の中で、一部の得意先はまだ広告を出していませんが、みな私たちの新聞の理念を支持してくれています。同時に私も多くの得意先の受け入れ能力を観察し、多くの得意先に適切に真相を伝えています。師父のご加持と按排の下で、一部の縁のある人はすでに大法書籍を読んでいます。
二、家庭の関の中で執着を取り除く
私の娘が2人目の子供を出産した時、娘の最初の子供(私の孫)はまだ2歳に満たず、娘の子供たちは人の世話をとても必要としました。私は昼間も時間がなくて忙しく、夜だけ世話をしに行きました。娘たちの家でも使用人を頼みましたが、娘の姑も忙しく、娘の姑は私に対して意見があり、娘の目の前で、私がよくない、と言い、私に対しても痛烈に皮肉ったりあてこすりをしました。
その頃私は昼間書店で仕事し、仕事が終わった後で、直接娘たちの家へ行って夕食を食べて娘と孫の世話をしました。いつも娘たちの食事の時間は決まっており、ある時私が決められた時間に娘たちの家に行くと、娘たち全員食べ終わり、テーブルの上には冷めたごはんとみそ汁だけがありました。娘はこっそりと私に伝え、娘の姑が私を待たずに先に食事したのだ、と言いました。私は口では娘を慰め「どうってことはない」と言いましたが、心の中ではやはり尊重されていないという感覚があり、とてもつらく感じました!
さらに、私の叔母が遠くからバスに乗って娘に会いに来てくれました。しかし娘の姑もいい顔をせず、叔母を見ても、また大した挨拶もせず、叔母は応接間で静かに座っているしかありませんでした。しかし娘の姑は自分の友人が来た時は、すぐに人が変わったように親切に友人を招待し、その態度は私たちに対するものとは大きな差がありました。
娘の姑がこのように私たちに接したとしても、娘の姑も苦しいのだと思い、私は毎日家庭のために、息子のために、孫のためにと思って忙しく立ち働き、名利のため、怒りのため、情のため、利益を損失する恐れのために苦悩しました。娘の姑の夫も娘の姑を尊敬しておらず、息子も娘の姑に親不孝で、さらに娘の姑は全身に病気がありました。いろいろと考え、娘の姑に対する良くない考えはすっかりなくなり、娘の姑がかわいそうに思いました。
私はある時娘の姑が気分が悪いことを知り、姑を気遣いに行き、あいさつしました。また、姑の母親が病気になり、私も見舞いに行きました。だんだんと娘の姑も現在(訳注:2019年)は私を尊重するようになり、またいつも孫の面倒を見に行くようにと私に頼みます。私が帰る時はいつも駅まで私を見送り、ニコニコしながら別れます。姑はまた私の娘に「あなたのお母さんの人柄は素晴らしく、あなたとあなたの弟さんもこんなに親孝行で、彼女は本当に福運に恵まれています」と言ってくれたそうです。今年(訳注:2019年)娘の姑一家はさらに中国に行き、私の父親と叔母に新年の挨拶をしたので、父は今年は特別に喜びました! 私はすでに何年もの間、中国に戻って父親に新年のあいさつをしていません。
三、結び
修煉の中で、私は少しずつ自分の観念を突破することをマスターし、少しずつ自分の容量を拡大し、自分を純粋にしています。この二十年来、大法は私の心を入れ替え、真人間に生まれ変わらせてくださり、業力だらけの人間から、生命の真諦を理解させてくださり、何かあれば内に向けて探すことを教えられ、他人を大切にすることができるようになり、少しずつ「真・善・忍」に同化できる大法徒に精錬してくださいました。修煉の中で毎回向上していき、いつも師父の弟子に対する慈悲深い見守りが注がれてきました。世の中の言葉を使いつくしても、弟子の師父に対する感謝の気持ちは言い表すことができません!
師父に感謝申し上げます!
同修の皆さんに感謝いたします!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法三』「大ニューヨーク地区法会での説法」
(2019年香港法会発表文章)