文/香港の大法弟子
【明慧日本2019年8月31日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
一、幸運にも修煉を始め、病の苦しみから抜け出す
私は中国から香港に移民した大法弟子で、1999年3月に幸運にも法を得ました。修煉を始める前、多くの魔難を体験し、若くして全身いたる所が病気になり、20代の体はまるで4、50歳の人のようでした。当時「私の人生はどうしてこんなに酷いのか?」と私は思いました。その時は本当に生きたくないくらい絶望していました。
このように体がまったくめちゃくちゃになってしまった状況下で、私は幸運にも法輪大法を学びました。数カ月修煉した後、私の体の症状が軽減し、さらに一部の病気はすっかり治りました。当時私は「なんと法輪功は本当に病気治療と健康保持に不思議な効果があるのだ!」と思いました。このようにして大法を修煉する私の自信が増しました。
しかし、1999年7月になり、江沢民と中国共産党が互いに利用し合い、中国全土で天地を覆い隠すかのように法輪功を中傷し、抑圧し、さらに天安門焼身自殺事件をでっちあげました。私も大法の真相資料を配ったために、2001年3月中国共産党の人員に職場から不当に連行され、留置場に拘禁され、家宅捜索を受け尋問され、身内が会いに来ても面会させませんでした。
拘禁期間中、留置場の警官がさらに私を脅迫し「懲役7年になるだろう」と言いました。当時はまだ本当に人心が現れ、心では疑問を抱きました。しかし私はまた「法輪功を修煉し始めてから迫害が現れるまでのこの数カ月間、私自身は確かに法輪功を修煉することによって健康になった恩恵を受けた!」と思いました。同時に大法を学んだ後、私は思想の上で飛躍的な向上がありました。修煉を始める前、私はとても私利私欲に満ちており、感傷的で劣等感がとても強く、自分の利益が失われることを一日中心配し、ただ他人から利益を取りたいとだけ思う人間でしたので、生きていくのが苦しく疲れました。大法を学んだ後は「真・善・忍」の法理の中で着実に修煉し、性格も愉快に明るくなり、利益のことをそんなに問題にしなくなりました。私は「人として身を処することはなんとこんなにもリラックスできるのか!」と思いました。
ですから当時留置場で、ただ「真・善・忍を深く心に留め、心性を守る」という一念だけがありました。この期間、私の体は徹底的に清められ、腰椎の痛みで幾晩も眠れなかったのですが、昼間になるともう何事もなくなりました。このようにして留置場に拘禁されて数カ月になりました。そして私は不当に懲役3年、執行猶予4年の判決を下されました。
今回の魔難を経験し、私は本当に師父が説かれた「ある時期になると、功が本当に存在するのかどうか、修煉はできるものなのか、果して高い次元へ修煉していけるだろうか、佛は本当に存在しているのか、などについて、あなた自身が紛まぎらわしく思い、迷ったりすることが起きます」[1] を認識しました。
二、香港に移民し、移動真相拠点で真相を広める
数年前に香港に移民し、仕事の時間がとても長く、正午の12時から夜の10時まで、それに行き帰りのバスに乗っている時間が加わり、1日十数時間つぎ込まなければなりません。このように1年6カ月仕事をし、大法弟子が行なうべき三つのことを行なう時間がありませんでした。私のこのような状況ではだめだと師父がご覧になったのかもしれませんが、一度集団学法に参加した時、ある同修が私の状況を知り「休みの日を利用できるので、一緒に移動真相拠点で大法の真相資料を配り、衆生を救い済度しましょう」と提案しました。当時移動真相拠点の協調人もおり、私の電話番号を関係のあるグループに加え、このようにして、私はいつでもメッセージを受け取ることができました。私は毎月5日間の休みがあり、できる限り休みを利用して移動真相拠点の資料を配る活動に参加し『明慧週報』などの真相資料を配りました。そして私は再び大法弟子が衆生を救うことに参入し、師父に本当に深く感謝申し上げ、私のようなこのふがいない弟子を落とさずにいてくださったことに感謝申し上げました。
ある日私は「人がこんなに多く、同修が毎日時間を無駄にせず人を救っているが、私は時間を無駄にせず常人社会の仕事に従事している」と思いました。収入は多いのですが、人を救う時間は少ないのです。その後私は一念を発し、パートの仕事を探さなければならず、さらに多くの時間を作って人を救いに行かなければなりませんでした。考慮した後、私はまず辞職を決心し、その後再び、パートの仕事を見つけに行くことにしました。
しかし、退職願を提出する準備をしようとした時、私と一緒に協力した同僚が、私がいきさつを知らない状況下で、私を管理している部門の主任に、私が会いたがっている、と言いました。そして主任が私に会いに来て「何か用ですか」と私に尋ねました。その時私はとてもびっくりし、なぜなら私には主任に会わなければならない理由が全くなかったからです。私が辞職しても主任に通知する必要はなく、主管に通知すればいいのです。しかしせっかく主任が会いに来たので、私は無理して「他に用事があり、辞職してパートの仕事を探さなければなりません」と話すしかありませんでした。夢にも思わなかったのですが、私の話を聞いた後、主任は「会社は来月新しい職種を作り、パートだけを頼む仕事で、朝7時から午後1時までで、他の福利厚生は減少しません」と言い、「やりたいですか?」と私に尋ねました。
私はその時とてもうれしくなり「それでもいい」と感じ、会社に残ってパートの仕事をすれば、一度会社を出て新たな仕事を見つける必要はなく、大いに手間が省けました。私は「師父が同僚の口を借りて、主任に伝えてくださったのだ」と悟り、なぜなら私の性格では「パートの仕事を探したい」と積極的に会社に言えないだろうと察したからでした。同時に、会社がさらに昼飯を含めたので、こうして私は昼食を食べ終わってから退社し、移動真相拠点へ行って真相資料を配り、時間がちょうどよかったのです。すべて師父の見事な按排で、衆生を救い済度するさらに多くの時間ができ、私は師父に深く感謝申し上げました!
パートの仕事をして1年後、主任が私の仕事の責任を請け負い、1000元の賃金を私のために加えてくれ、私は「これは師父が励ましてくださっているのだ」と悟りました。そして、パートの仕事を2年行なった後、会社は私を昇進させ、さらに2階級昇進させ、同時にさらに給料アップも加わりました。常人から見れば、パートの仕事がなぜ昇進昇給するのか、同僚たちの中にも不思議に思った人がいました。私は「これはすべて、師父が励ましてくださっているのだ」と悟り、私はより多くの衆生を救い済度しなければならず、師父の慈悲なる救い済度と無限のご恩を無にしません!
三、真相を広める中で心性を向上させる
移動真相拠点で大法の真相資料を配ると、人心の試練にもなります。紅塵の中の衆生は、迷いの中にいるため、多くが真相資料を受け取りません。資料を配り始めて4時間でやっと『明慧週報』を1包み配り終えました。ビジネス地区たとえば中環や金鐘では、2年前は数時間で6、70部配り、本当に面白かったのです。人心が現れた時は、あまり配りたくなくてすぐに帰りたくなり、いつも資料を取ってくれる人が多い場所を探して配りたくなります。その後「私はただ数量だけを追求することはせず、1部配ることは、1人救うことであり、私はここで無駄に立っているのではなく、数十部配ったのはいうまでもありません」と思いました。もし私が来なければ、この数十人は真相資料を受け取る縁がなかったかもしれません。このように考えた時、私の心はまた平静になりました。
数年が経ち、私はさらに「移動真相拠点は1週間に5日開き、人を救うメカニズムを形成し、それぞれが都合のいい時間に加われるように同修が按排し、みんなが自分の時間を利用してより多くの人を救うことができるのだ」と悟りました。私はさらに「実際に、師父は縁のある人が真相資料を取りに来るように按排され、私たちが心を込めて行ないさえすれば、縁のある衆生はやって来るのだ」と悟りました。長期にわたって『明慧週報』とその他の真相資料を配り続けたので、すでに強いエネルギー場を形成し、だんだんと多くの人が真相資料を受け取りたがるようになったことに私は気がつきました。さらに何人かの人が私たちを支持し、時には「頑張り続けなければならない」と私たちを励ましに来ることもあります。
この間、真相資料を配っている時はいつも「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしいを覚えておけば、幸運がもたらされ、素晴らしいことがもたらされます」と人々に語りかけました。ある人はもともと資料を取りたくなかったのですが、再び顔を振り向けて歩いて資料を取りに来て、このように特別速く資料を配れました。私は「人のわかっている一面が、私たちが人々を救い済度していることを知っているのだ」と思います。私は「私たちが心を込めて行ない、頑張り続けていきさえすれば、師父は加持してくださり、さらに多くの衆生を救えるのだ!」と信じます。
以上が個人の次元の認識であり、もし妥当でないところがありましたら、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします。
師父に、感謝申し上げます!
同修の皆さんに、感謝いたします!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
(2019年香港法会発表文章)