夫との聖なる縁
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 【明慧日本2019年9月17日】最近、私に対する夫(常人)の態度が悪いので、彼と一緒にいたくない気持ちになりました。例えば、彼がリビングで食事をしていたら、私は寝室に行き、リビングを離れたら、私はリビングに行きます。

 もちろん、夫には共産党の党文化と正常な社会の文化の違いを説明して善の態度で対処し、彼の態度がひどすぎることを認識させ、態度が少し直ったこともありました。

 よく「もし彼と一緒に生活していなかったら、心がもっとリラックスでき、もっと清浄になるかもしれない。もし常人の妨害がなかったら、私のいる環境は、どれほど神聖で、清らかだっただろう」と思いました。他人に対する夫のよくない習慣をどのように変えられるか分からず、私だけが一方的に雰囲気を改善する努力をしているような感じでした。

 今朝、頭の中に「夫の縁は聖なる縁だ」という一念が浮かびました。その後、急にあたりが神聖な雰囲気に包まれたようでした。以前は夫を常人として見ているだけで、彼との縁が聖なるものだという考えはありませんでした。夫はただの常人で、高次元の一部分だと認識できていなかったので、自分のいる環境の中で神聖さが現れなかったのだと感じました。

 また、「夫はまだ修煉していないが、彼も大法に救い済度されるためにこの世に来た。彼との縁について根本から考えた時、それが神聖さが現れたのではないか」と思いつきました。「夫に対して、二人がどのような縁で知り合ったのかという角度から考えて今まで対処していただろうか」とさらに内を探してみました。

 夫と妻は聖なる縁でむすばれていると意識できた後、夫と顔を合わせても全く怒らなくなり、感動しているように見え、誠実な態度になりました。今まで感じていた彼の煩わしさと脅威を感じなくなりました。

 この経験を通して、周りの人々、事物との関係をいかに定義するかを考え直さなければならないと認識できました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/7/26/\390614.html)
 
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