文/中国の大法弟子
【明慧日本2019年9月29日】私は週に一度、三退に賛同した常人の名簿リストを回収しています。そして自分のところに届いたリストの内容をチェックし、照合、分類、まとめ等の作業を行ってから、パソコンに入力して、そのリストを脱退表明サイトに送ります。
いま、携帯電話を使って三退を勧めている辺鄙な地区に住む同修が大勢います、同修達は月に一度の顔合わせをする時、持参した三退者リストに数百人の名前が載っていることもしばしばあります。
また、高齢の同修は携帯電話を使いこなせないため、長編のリストに三退した人の名前がぎっしりと書かれていて、入り交じって大変混乱しています。私はこれらの名前を一つ一つ確認してから、分類しなければなりません。まず、中国共産党からの脱党を宣言した人、中国共産主義青年団(共青団)からの脱退を宣言した人、中国少年先鋒隊(少先隊)からの脱退を宣言した人を取り出します。
そして、共産党と共青団、共産党と少先隊、共青団と少先隊の脱退を宣言した人を組み合わせて分類し、カウントしてから入力しなければなりません。それらの複雑な手順を繰り返しているうちに、頭痛が起きたことが何度もありました。仕事がはかどらずに、一日かけても終わらない時もありました。その時、私はつい気が苛立ってしまい「他人に対して配慮が欠けてる」と、同修に対する不満が生じてきます。
自分の心の容量(寛容さ)を増やさなければならないのだと気づき、自分の不平不満の気持を抑える努力はしたものの、読みにくい漢字や、一桁抜けている番号(三退を表明した時に、割り当てられた整理番号の事。この整理番号は統計をする時に使います)が現れると、不愉快でイライラする気持ちが頭に浮かんできて、息苦しささえ感じるのです。
またある同修は、三退を勧めた相手との会話の録音をそのまま文字に起こし、その原稿を私に渡します。原稿を最後まで読まなければ、相手の返事が分かりません。結局、賛同してくれる相手なら良いのですが、賛同しない相手も多くいます。このことが、二度手間になっています。だらだらと書かれた内容と重複して付けた偽名を読むことは時間の無駄になり、私はお手上げ状態に陥りました。
同修に「原稿を整理してから、私に渡すように」と伝えましたが、同修は私に「自分一人で全部抱え込まないで、この仕事は他の同修に頼んだらどうかしら?」と指摘されました。しかし、いったい誰に助けを求めたらよいのか分かりません。なぜなら、周りにいる同修で、インターネットを使える人が一人もいなかったからです。
私は師父のことを思い出しました。「師父、私を助けて下さい。師父にしか助けられません!」とお願いをしました。師父は説法の中で私達にこのように説かれました。「修煉者にとって内に向けて探すことは最も有効な方法です」「1]
自分に起きた問題は、すべて自分の間違いから生じたことです。私はまず、自分の態度を正さなければいけないと思いました。同修の問題に注目するのではなく、起きた問題は、私の心を修めるためのものなのです。苛立ち、煩わしいことを嫌う心はみな私心であり、最も早く取り除かなければならない心なのです。
師父が「さらに皆さんに教えますと、実際には、皆さんの以前の本性は、自らのため、私(し)のためを根本としたものだったのですが、今後、何かをするときには、まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を優先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです」[2]と仰いました。
しかし、私は自分自身の修煉を疎かにし、いつまでも同修のことを責めていました。この役目を与えられた私は、この役目を通して自身の心性を高める機会を、師父が巧みに按排されたのです。
80歳になる女性同修は「自分はいつも夜明けまで、三退した人々のリストを作っている」と話していました。携帯電話から、一件ずつ聞き取って書き下し、聞き取れない時は、最初からまた聞き直します。一人でも救われるべき人たちの名前がもれることが気がかりだと言います。この話を聴いて、私はとても感動しました。彼女と比べて、私は全く及びません。
師父は私達に「今後、何かをするときには、まず他人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を優先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです」[2]と要求されています。しかし、私は同修のために考えていないだけではなく、同修のことを責めました。甚だしきに至っては、自分から「この担当を、交代して欲しい」とまで考えました。私は私のことを信用して、私にしか任せられないと同修から信頼されました。同修の信頼に感謝し、決して同修の支持と信任に背きません。
こうして、私はやっと自分の不足に気づきました、そして、偽名を重複して付けるその同修と一緒に面と向かって真相を伝えに出かけることにしました。真相を伝える時に、真相を聴いてすぐに離れようとする常人がいました。しかし、その同修は諦めずに、相手に真相を伝え続けたのです。私はその同修のそばに立ち諦めようとしたその時、その人は同修の話を聴き、ついに同意しました。
すると、同修は相手に偽名をつけて脱退表明サイトへ送ります。例えば「平安」や「幸福」など、その名前は同修が相手を思いやり、祝福の気持ちを込めて作ったものです、ゆえに祝福の意味を込められた類似した名前がたくさん作られた訳です。諦めずに衆生を救う同修の姿を目の当たりにして、私はとても後悔しました。私が同修に対してどのような手助けができるのかと考えたことは、前もってたくさんの偽名を作っておいて、その同修に提供すればよいのではないかと反省しました。
また、だらだらと無駄に書いた同修達のことを考えてみると、それらの同修達は真面目で責任感のある行動を取っただけではないでしょうか? もっと詳しく書きたい一心で、このような形になったのだと思います。問題は私のところで起きたことなので、私には同修達から頂いた情報を補充(整理)して、円融する義務しかありません。そして同修のことを責めて、ケチをつける権利もありません。
師父は私達にこのように告げられました「修煉の中で、皆さんは良いことに出会っても、良くないことに遭っても、すべて良いことです。なぜならば、それらは皆さんが修煉しているからこそ、現れたことだからです」[3]これは師父が私の心性を高める為に按排されたものです。私の内心は少しずつ穏やかになりました。
ある日、一人の同修は私に一枚の三退リストを渡してくれました。それはきれいな文字でとても丁寧に書かれていて、しかも内容もはっきりと分類されていて、とても見やすいのです「なんて素晴らしい、これで私の手間が省ける」とその同修にとても感謝しました。また、その同修は他の同修にも奇麗に書くようにと伝えてくれました。今、私はだいぶ楽になりました。同修に私への心遣いと力添えに感謝し、師父の慈悲なる済度に感謝を申し上げます。
この仕事において、同修に便宜をはかろうと技術面のサポートの中で修正する作業に協力するため、私はノートパソコンを購入しました。恐縮に思った同修は、私にノートパソコンの携帯用バッグを手作りしてくれました。同修の皆さんに感謝を申し上げます。今、私達のこの仕事はとても順調に進み、数百枚のリストには一つの漏れもなく、間違いもなく、桁の抜けた番号もありません。しかも、これらの同修みな76歳以上であり、中には80代の同修もいます。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性に漏れなし」
[3] 李洪志師父の著作:『精進要旨(三)』「シカゴ法会」