部屋を片付けることから悟った
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文/中国の青年弟子

 【明慧日本2019年9月30日】少年時代から両親と共に法を得て、修煉を始めて20年になります。絶えず 学法と宇宙の特性である「真・善・忍」の基準で自らを律していくことで、より理性的になり、段々と常人社会から抜け出し、修煉を通じて返本帰真することこそ人生の意義であることもわかりました。

 最近、部屋を片付けている時、あちこちに散乱している物を見て、ふと思いました。修煉において、これらの物は私自身の空間場の中のものであり、毎日、ほとんど不必要なガラクタに囲まれて生活していることになります。毎回の掃除で、棚や箱にしまってきれいにしますが、しばらく経つとまた、あちこちに散乱してしまうのです。

 師父は「問題に遭ったらまず自分を探すべきだ」[1]と説かれました。他人から見て一目瞭然な問題を、なぜ自分は気づかなかったのでしょうか。赤ん坊の時は純粋でしたが、学校に通い始めると、お互い競争をし始めます。党文化の教育により、社会全体が利益を重んじるようになり、子供たちも保護者の期待を裏切らないように、小さな戦士のように各分野において常に優秀な成績を収めなければなりません。また、競争の圧力により、学生は勉強のほか、他人に越されることを常に警戒しなければなりません。このような競争意識から闘争心や、嫉妬心、名利心、顕示心理、利己心、そして、嘘をつくことやずる賢い考えが生じるなど、次第にこれらの心理が習慣になってしまいました。苦を嘗めるのも自分の名利、情などの執着心を守るためなのです。そして、いつの間にかどんどん膨張していき、人を人とも思わず、横暴で道理をわきまえず、すぐに怒り出すようになりました。確かに自分は気が済みましたが、他人の気持ちはどうでしょうか? 修煉したから何もかもうまくいくと思い、金銭を浪費しただけでなく、大法にもマイナスの影響を与えてしまったのです。

 師父は「真・善・忍という特性は、宇宙の中の善悪を判断する基準です。善し悪しはそれによって量られます」[2]、「人類の道徳水準は甚だしく低下しており、世の中の風紀は日増しに乱れ、人々は利益に目がくらみ、ちょっとした利益のために人を傷つけたり、奪い合ったりして、手段を選ばずにやっています。よく考えてみてください。このような状態を続けていくことが許されてよいでしょうか? 悪事を働いている人に、それは悪事だよと注意してあげても、信じない人がいます。彼は本当に自分が悪いことをしているとは信じません。また低下した道徳水準で自分の行動を判断し、他人よりましだと思っている人もいます。判断の基準まで変わったからです。しかし、人類の道徳基準がどんなに変わろうとも、この宇宙の特性は変わることはなく、それが良い人と悪い人を量る唯一の基準です」[2]と説かれました。

 これまでの間、私は滑り落ちてきた基準で自分を量っていました。このようなことをしてはいけないと言われても私は言い訳をし、良くないとまったく信じず、他人の目に映る自分の姿を重んじ、他人の口の良さを本当の良さと見なしていました。今思い返せば、法理はすべて明白なのです。大法の修煉とは何かをはっきりと認識していないことが、なかなか向上できない一つ目の原因です。宇宙の万物、もちろん人間も含め、全てが「真・善・忍」の特性をもって自らを正さなければなりません。以前は、毎日学法することを最も重要なことと思い、必ず一定の量を勉強しましたが、普段の生活においては、自分のやり方を貫いていました。二つ目の原因は困難に遭った時、師父が説かれたように「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[2] が出来ず、いつも逃げたり、遠ざけたりしていることです。例えば、部屋を片付ける時、部屋の中はきれいになりましたが、押し入れやクローゼットの中は相変わらずごちゃごちゃに散らかっています。

 何度も反省していくことで、修煉とは、宇宙の「真・善・忍」の特性をもって社会生活において出会うすべての物事の中で自分を律していくことであり、些細なことや生活習慣でさえも「真・善・忍」の基準に合わせて行わなければならず、その中から心性を修めていくのです。自分を正していくことで次元も向上していきます。口先だけで実際の言動に移らなければ、執着心は深まっていくだけです。

 以前は修煉の意義に対する認識が浅く、修煉すれば病気にかからないから医療費が節約できるとか、執着心を少し取り除き、宇宙の基準を知れば、少しは安心できるという考えを持っていました。今、漸く修煉の厳粛性と生命の意義への重大さを真に理解した気がします。修煉を通じて心身ともに浄化され、病気が全くない健康な体を手に入れることは基本中の基本です。いかなる場合も「真・善・忍」の通りにできていれば、煩悩も、妨害もなくなるでしょう。これはお金では買えない重大なことです。

 大法は私の人生観を正してくださいました。冷静に困難に立ち向かうことができ、寛大な心で他人と接することができるようになりました。法輪大法を修煉することで自分の身に現れた変化を見て、とてもうれしく思います。師父の慈悲なる済度に感謝いたします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一八年ワシントンDCでの説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/8/23/391797.html)
 
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