1994年の師父の広州法会に参加した幸せな頃の追憶
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年10月1日】私は黒龍江省チャムスの大法弟子です。1994年、私は幸運にも師父が中国国内での最後の法会に参加することができました。法会に参加する数年前、病気に苦しんでいだ私は夢の中で観音菩薩さまが見え、「張求宇」と名付けるように言われました。どういう意味か分かりませんでしたが、観音菩薩さまの話は絶対に自分のためになると思い、言われた通りに名前を「張求宇」と直しました。

 数年後、師父の法会に参加してから、そのことが分かりました。私の人生は師父を探すためであり、宇宙の大法を求めるためだったのです!

 1949年1月に生まれた私は数々の持病がありました。内外の痔疾で2回手術したことがあり、重いリューマチで手足の骨が変形し、家事もできませんでした。紫外線に過敏に反応する皮膚炎のかゆみを伴った湿疹で赤くなり、注射しても治らず、ひどい場合は水泡状になり出血していました。その他にも、メニエール病、心臓病、胃がんなどを患っていました。特に困ったのは、薬性に抵抗するために点滴した後、薬が毛穴から滲み出してきました。病院に運ばれ、医師から「もう手遅れです。手術に耐えられない恐れがあるので、家で養生するしかありません」と言われ、死を待つしかない状態でした。

 私は以前、写真館を営んでいましたが、病気のために弟に譲りました。早くから夫を亡くし、一人息子も仕事でそばにいませんでした。毎日少しのお粥しか飲めない私は人生に絶望して、5階から飛び降りましたが、奇跡的に死なずにすみ、手に軽い傷を負っただけですみました。その後、私の自殺を防ぐために、弟は介護員を雇ってくれました。

 1994年3月のある日、衰弱しきった私は川沿いを散歩したいと言うと、弟は運転手を頼んでくれ、私を乗せてゆっくり走りました。川沿いから穏やかな音楽が聞こえてきたので行ってみると、そこは法輪功煉功でした。運転手は私をおぶって煉功場に連れて行きました。私は末期の胃がんで、「医者から余命20日余りしかない」と言われたと言いました。その中の学習者の1人に「法輪功は奇跡が起きることが数多くありますよ。まず初めに、このビデオとカセットテープで学んでみてください」と勧められました。

 弟は当時一番いい日本製のカセットレコーダーを買ってくれ、私に師父の説法の録音を聞かせてくれました。私は昼も夜も目が覚めていれば、師父の説法を聞き続けました。3日後に食欲が出てきて、卵と牛乳がほしくなりました。その後はお粥に黒砂糖を少々入れたものや、柔らかい饅頭を少し食べれるようになりました。4日目になると、私は自力で起き上がり少し歩けるようになり、川沿いの煉功場に送ってもらって、煉功することができるまで回復しました。しかし、7日目に煉功場に行かなかったので、私が亡くなったのではないかと思う人もいたそうです。ある同修が見舞いに来た時、私の命門のツボに茶碗大の大きさの塊ができ、そこから黄色い水泡が出ているのを見て、「あなたの根基が良いので、功が出たわ」と言って、私に煉功するようにと勧めてくれました。私は翌日から、朝になると煉功場に行って煉功をし、夜には学法グループに行って学法しました。私は小さい頃から親が学校に行かせなかったため、字が読めませんでした。それで同修が師父の本を読む時に、私はモノサシを移動させながら、同修の読んでいる箇所を見て学びました。

 その2カ月後、ちょうど広州で国内最後の師父が説法される講習会が行なわれることを知り、私もぜひ参加したいと思い、講習会のチケットを求めました。しかし、「師父の講習会では重病患者を受け入れません」と言われ、拒否されました。やはり末期の胃がんの私が万が一途中で亡くなると、大法に大きな悪影響を及ぼすことになるのでしょうか。私は毎日自宅で師父の説法の録音を聞き、師父の本を抱えて跪いて泣きながら、「師父、最後に師父に一目でもお目にかかれば、私は死んでも悔いがありません!」とお願いしました。今思い出すと大法を得たのに、死を考えている自分の悟性の低さを恥ずかしく思います。しかし、当時の気持ちは今でも忘れられません。

 私は自分で『轉法輪』を読めないことが悔しくて、「師父、私に字を覚えさせてください。私も皆と一緒に学法したいのです!」と毎日お願いしました。ある日の夜、『轉法輪』の中の文字が金色のコマのように、回転しながら私の頭に入り込む夢を見ました。目が覚めると不思議なことに、『轉法輪』が読めるようになっており、繫体字まで覚えていました!! 信じられないと言う同修がおり、その同修に私は繫体字を読み聞かせると、辞書で調べてみると全部の文字が正解でした。師父、本当にありがとうございます!

 1994年12月24日は広州で説法される講習会の初日です。13日の夜、夢の中である白髭の老人が出て来て、私に向かって、「機縁を見逃すな! 機縁を見逃すな! 機縁を見逃すな!」と3回同じ事を言いました。目が覚めて、どうしても理解できませんでした。そこで、この夢の事を同修の汪さんに聞かせると、彼女は驚いた表情で私に、「では、私の家に行きましょう」と言われ、その事情を説明してくれました。実は私は修煉していない夫にも講習会のチケットを買いましたが、先日、夫がある白髭の老人に「行くべき人に行かせて」と言われた夢を見たって、私に言ったの。私はあなたが行きたがっていると夫に教えると、「彼女に行かせてあげて」と夫に言われたのよ。汪さんは私を彼女の家に連れて行き、彼女の夫に紹介しました。私は自分の見た夢を汪さんの夫に聞かせると、彼は講習会のチケットを快く譲ってくれました。もちろん彼は私の健康状態に不安もあり、チケットを譲ってもらったことを内緒にして、すべてが私の自己責任であるとあらかじめ念を押しました。

 チケットを手に入れた私はとても嬉しくて、「師父が私にチケットをくださいました!」と講習会に参加する他の同修に言うと、彼女も感動して、「では、あなたの身体のことを考えて、私達は1週間ほど早めに出発しましょう!」と提案してくれました。旅立つ私を心配して、弟は4000元の費用を出してくれ、もう2人の同修にも1週間早めに同行してもらい、その他にも1箱のインスタントラーメンを買ってくれました。出発当日、私は左右の人に支えてもらい、もう1人には私の荷物を背負ってもらい、同修3人が私のために1週間も前から、広州に向かうことを手伝ってくれました。

 はるばる広州に着いた私達は、旅館として武装警察招待所に泊まりました。その日の夜、再びその白髭の老人が私の夢に現れ、「来てご覧」と私を呼び出しました。夢の中で、私は髪の毛を振り乱して、火葬場の前の列に立っており、ちょうど前から4番目でした。老人の指した方向を見ると、真っ黒な石炭を積んだ大きなトラックが5台もいました。そこで目が覚めました。起きると苦しく感じていた身体の症状が消えて、いきなり身体が軽く軽く感じ、自力でトイレに行けました。同じ部屋に泊まっていた同修が起きると、私は興奮して泣きながら、「体が良くなったわ! 自分で起きてトイレに行けたのよ! 師父が私の病気を全部取り除いてくださいました!」と、昨夜の夢を聞かせました。そして、そのトラック5台分の黒い石炭は私の業力で、師父が私を火葬場から救ってくださったと分かりました。私はまだ師父にお会いしていないのに、師父が私を救ってくださいました! 感激のあまり涙が止まらず、同修も思わず感動して泣きました。その日から、私はまるで生まれ変わったように病気がなくなり、ずっしりと重たかった全身が本当に軽く、軽くなりました。

 師父の説法される講習会がいよいよ始まりました。師父は学習者に問題があれば提出し、説法の後で回答してくださるとおっしゃいました。また、講習会の最中に、時計や現金を拾ったケースも多くありましたが、師父が壇上で発表されますと、落とし主は取りに行き、感動して泣いてしまう人達がたくさんいました。説法の他に、師父はすべての参加者を対象にして、病気治療を行なわれました。会場を真ん中から左右に半分ずつに分けられて、別々に行なわれました。先ずは自分、あるいは身内の者の病気を一つ思い起こすように言われました。師父は「一、二、三」と合図をされてから、皆は一斉に足を踏みならしました。その時、私は「師父、私の胃がんを取り除いてください! お願いします!」と思いました。当時、私は前から5列目の5番目に座っており、師父が「一、二、三」と合図をされた後、手を空中に向けて大きく何かを掴かまれ、それを床に投げられて足で踏みつぶされました。私は黒くて、虫のような生き物が師父に踏みつぶされてなくなったのが見えました。当時、私の悟性がまだ低かったので、1回では足りないと思い、反対側の人達と一緒にもう1回、同じ動作をやりました。終了後、心身ともにスッキリして、軽く感じました。以前は両足が石のように重かったのですが、その日から本当に楽々と軽やかに歩けるようになり、25年が過ぎた今でも軽く感じています。

 9日間の講習会で私はいつも寝ている状態でした。それは衣服が鼻水で汚れていても分からないほど、ぐっすり眠っていました。しかし、講習会が全部終わった時には、頭がすっかり覚めてはっきりとしていました。チャムスを離れて広州に来る時は、2人で支えられてどうにか歩いて来られた私でしたが、地元へ戻る時には、自分で歩けるだけではなく、同修の荷物まで持って手助けしました。

 師父は私の命を救ってくださり、また、善い人になり、人のことを先に考えるように教えてくださいました。大法を修煉することで、私は積年の恨みを捨てることができました。私は小さい頃から継母の虐待を受けて育ち、しょっちゅう殴られていました。9歳の時から家事をさせられ、学校にも行けませんでした。姉は15歳の時に結婚を強いられました。そして、継母が相手の家からたくさんのお米と麦子をもらい、事実上、姉が売られたのと同じことでした。16歳の兄も疲れ果てて血を吐くまで働かせられました。子供の頃から継母を憎んでいた私は、大人になってお金ができたら人を雇って、継母を殺す気持ちでいました。しかし、法輪大法を修煉してから私は継母への恨みを放下し、善をもって継母を大切にするようになりました。自立して生活が出来なくなった継母を我が家に迎え、新しい寝具を買ってあげたり、暑い時には1日で2回も身体を洗ってあげて、できるだけ快適に過ごさせました。また、師父の説法される録音を継母にも聞かせました。すると3カ月後に、継母は自宅に戻る時には体重も増え、すっかり元気になりました。

 その後、数々の重い病気から奇跡的に回復し、心身ともに健康になり、心も善良になった私を見て、周りのたくさんの親友が法輪大法を修煉するようになりました。

 時の流れは早いもので、師父にお会いしたその幸せな9日を過ごした日から、すでに25年が過ぎました。長年の修煉の過程で、私は良くできたり、良くできなかったりすることもありましたが、いつも師父に見守られていました。師父の恩恵を受けたことを思い返す度に、幸せの涙が溢れてきます。これからももっと精進し、人を救い済度するという自分の誓約を果たして、師父について本当の故郷へ帰ります!!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/7/21/390227.html)
 
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