明慧法会|修煉の中で自我を放下する
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年10月5日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私はちょうど分別がつくようになった時に修煉に憧れました。1998年法輪功を学んでいることを隣人が私に告げ、とてもいいのだと言い、私にも学ばせました。隣人から数冊の書籍を借り、その時から大法の修煉に入りました。

 『大圓満法』を拝読して動作を学び、最初は第一式から第四式までを連続して行ない、師父は私のために灌頂してくださいました。この20年間の修煉を振り返って、師父はいつも私のそばにいらっしゃり、私を加護してくださり、手引きしてくださり、励ましてくださいました。私の一歩一歩の向上には師父の御慈悲が注がれていました。師父への恩を仰ぎ報いることができません! ただ精進してしっかりと三つのことを行ない、師を手伝い法を正し、衆生を済度するだけです。

 一、近在の山間地帯で真相を伝え

 大法修煉に入ったばかりの時、仕事が忙しく、自分の学法時間が少なかったために、その頃最も重視したのは集団学法や煉功に参加することで、集団学法と煉功に参加するためのすべての困難を克服できました。

 2003年娘が大学入試に直面し、私は2カ月間娘のために食事を作りました。2人の生活は比較的簡単で、時間を見つけては師父の説法一式を何遍も学びました。学ぶ過程で師父は絶えず私に法理を悟らせてくださり、いくつかのお言葉は私の頭に深く印象付けられています。たとえば「法の中に溶け込む」[1] や「真に修める」、「法を実証する」などで、師父が私に考えさせられたり、私を向上させてくださったことを私は知っていました。長い間、私の頭の中につきまとっていたのは向上についての問題でした。

 ゆっくりと向上し、悟性が上がらず、師父は「法の中に溶け込む」という真実の状態の中に私を入れて悟らせてくださいました。ある日法輪功の真相資料を配ってからの帰宅途中で、突然素晴らしい状態に入り、私は心の中で理解し、その状態こそ「法の中に溶け込む」と呼ばれるものでした。私の心の中では、世の中のすべてのすべてが皆なくなり、ただ大法と私だけがあり、私は法に包まれながら、どのような感覚もすべて自分が法の中にいると感じました。その瞬間、私はとても幸せに感じました。ここに至って私は理解し、あの中国共産党の残酷な迫害の環境の中で、自我を放下し、衆生を救い済度することだけが法の中に溶け込むことであり、それこそが本当の修煉であり、そうして初めて大法の偉大さを実証できるのです。

 その頃の大法弟子の真相を伝える方法は、主に面と向かって真相を伝え、真相資料を配るというものでした。私はOLで、週末と祝日の時間を利用し、同修と連れ立って比較的辺鄙な山間地帯へ行き真相を伝えました。道が近く、行きやすい場所は遠出できない同修のために残しました。バス通りに沿った村は、バスに乗っていきましたが、大部分の村にはバスが通っておらず、自転車に乗っていきました。時にはいくつも山を越え、さらに自転車をかついで山を登らなければなりませんでした。

 師父は人心を放下して、人々を救い済度するよう大法弟子に要求なさっており、私たちは師父のお言葉に従いました。当時の大法弟子を迫害する形勢は厳しかったのですが、私たちの心は純粋であり、早く人々に真相を伝え救い済度することだけを考えていました。一つの村に到着する度に村で正念を発し、人々が真相を理解し、救い済度されることを妨害する他の空間のすべての邪悪生命を根絶しました。

 農村の人々は町中で座る習慣があり、老人、身体障がい者、妊婦、子供もみな一緒に座って世間話をします。私たちは人々の間に座って、一緒に話し、その後、真相を伝える本題に入っていきます。素朴な農村の人々は一般的に真相を受け入れ、私たちが真相を伝えるのを喜んで聞きました。時には持ってきた真相資料とお守りが少なくて足りなくなり、もらえなかった村民が自分たちにも送るようにと言ってきました。

 昼間真相を伝える以外に、不定期に夜に山間地帯へ行き、真相資料を配りました。『共産党についての九つの論評』が発表された後、できるだけ早く人々の前で中国共産党の化けの皮を引っ剥がし、この悪魔を解体するために、私たちは『九評』を大量に制作し、配りました。その頃は夜に資料を配り、私たちの県にあるすべての市町村は、ほとんどあまねく回りました。特に冬休みと夏休み中は、さらに多くの空き時間があり、真相資料を大量に配り、出稼ぎに出ている人も真相資料を見ることができ、大法の真相がわかり、救い済度されました。

 私たちがいる場所は北方で、時には11月に雪が降り始め、冬の間雪が解けることはなく、夜資料を配るのに相当な難度を強いられます。時には日が暮れて足元が滑り、一晩に度々転びましたが、同修たちは正念が強く、倒れたてもはね起きて配り続けました。師父のご加護の下で、ケガをしたことは一度もありませんでした。時には道が遠い場所で一晩中配り、空が明るくなってからやっと帰りました。月曜日の朝になり出勤しなければならず、急いで家に帰って顔を洗い、服を着替え、ご飯を少し食べてから急いで出かけました。

 二、西に向かい西南部の省と市に電話をかけて真相を伝え、人々が争って三退する

 最近、同修たちのたゆまぬ努力により、技術的にも新しい突破があり、真相を伝える方法が多くなり、私もまた携帯電話を使って真相を伝え、衆生を救い始めました。

 西部と西南部の省と市の地形が北方とは違うということを見る機会が偶然にあり、大部分の地区が起伏のある丘陵地帯で、ある地区は高山がそびえ立ち、いくつかの大都市以外は、居住人口が分散しています。同修たちが真相を伝えるのは容易ではなく、人々が真相を聞くのはさらに難しい状況でした。そこの人々は共産党に相当ひどく毒害され、共産党の宣伝を詰め込まれ、物事に対する正常な認識は捻じ曲げられ、自分がまじめに働いて稼いだ所得を無理やり共産党に貢がされていました。誰かの家がまじめに働いて豊かになると、地元の政府がその家の玄関に共産党の旗を差し、その意味は「党」のリーダーシップの下で、初めて豊かな生活が送れるのだということでした。そのような光景を見て、私の心は重くなりました。法の中で理解し、衆生を救い済度して初めて大法弟子の来世の誓願になるのでした。師父は「大法弟子は師が衆生を救うことを手伝うという責任を持って世に降りた神であり、下界の衆生を救い済度する責任があるのです」[2] と私たちに教えてくださいました。それから、ある問題がいつも私の頭の中に浮かんできました。それは「そこの人々にはどうすればいいのか?」というものでした。どのようにすればそこの人々に真相をわからせ、大法の福音を聞かせることができるのでしょうか?

 私は携帯電話を思い出し、携帯電話で真相を伝える長所を発揮して、そこのかわいそうな人々に真相を伝え、救い済度することを思いつきました。これもこの数年怠けることなく、ずっと携帯電話で真相を伝えた原動力となりました。気が緩んだ時はいつも、この時の情景が目の前に浮かび、人々を救わなければならない、私が救わなければならないという念が心の底から出てきて、そこでまた頑張って前に進みました。私は携帯電話を4台購入し、3台で音声電話をかけ、1台は「三退」したいと話す人々に三退する名前を確認するためにメールを送り、三退したい人たちの質問に答え、人々とコミュニケーションをとるための物でした。

 さらに同修3人が私と一緒にこのプロジェクトを行ないました。私たちは1週間のうちに4日半、出かけました。出かける時はいつも、携帯電話に十数件、時には20件前後の録音文書を入れました。すべての録音文書は、ほとんど誰かが三退したいと話している内容でした。私はその録音文書をパソコンで詳しく聞き、その中で「三退」したい人の名前と脱退したい組織を記録し、次に出かける時に再びメールを送り、「三退」したい人に三退する名前を確認しました。私はこのことをできるかぎりしっかり行ない、完璧に行ないました。なぜなら、そこの人々がこのような機会を得るのは容易なことではないし、またある人にとっては、一生に一度だけの機会かもしれないからです。

 もちろんこのすべてをしっかり行なうことには時間と精力を費やしました。師父は法を正す過程をここまで推し進められ、そこの人々は共産党にひどく毒害されていますが、人々が大法の福音を聞けば、人々の生命のわかっている一面が主導的役割を果たし、先を争って「三退」するのです。ある時、録音文書をかけると聞こえてきたのは数人が争って「三退」する声で、最初から最後までずっと同じでした。老若男女すべての声が入っていました。普通はパソコンでこのような録音文書をきちんと聞いて、登録するのに1時間以上かかりました。数十人に「三退」の情報をフィードバックするのに、最低でも30分前後かかりました。

 このように1日の時間はとても緊張し、いつも時間が足りないと感じました。私は生活全般の日常のこまごまとした用事を簡単にし、さらに簡単にしました。師父も私を加持し、助けてくださいました。

 この2年間、夫はずっと兄弟に用事を頼まれ、昼と夜は基本的に家で食事せず、家では私一人でした。私は師父が按排してくださったこの環境をしっかりと利用し、学法と煉功以外のすべての時間を人を救うことに投入しました。時には目で携帯電話を見ながらパソコンを見て、パソコンを見ながら携帯電話を見て実に疲労し、録音文書を聞いているうちに耳もマヒし、本当に数日休みたいと思いました。衆生のために師父が大きく費やしてくださっているのをすぐに思い出しました。あんなにも多くの人々が共産党に毒害され、真相がわかっておらず、救われていないことをすぐに思い出しました。自分の担っている責任と使命をすぐに思い出し、疲労などは全部雲散霧消しました。

 ここ数年どんな困難であろうと克服しなければならず、人々が「三退」したいと言ってきた電話にまじめにフィードバックし、三退する名前を確認して着実に行ないました。ですから音声電話を受けた人々は、音声電話の中で三退を誰かが管理しており、確かに「三退」を手助けしてくれていることがわかっていました。ですから人々は音声電話を聞いて「三退」するこの機会を大切にするのです。

 時には録音文書には、その時に人が多かった情景が聞こえてきて、さらに人々が「三退」するのをある人が仕切っていました。この司会者はまず何人脱党したかを伝え、その後に一人一人が自分の名前を述べ、名前の数を数えると司会者が言った数と一致しました。その後、何人が共青団を脱退したか、何人が少年先鋒隊を脱退したかを伝え、その後また一人一人が自分の名前を言いました。時には誰かが「自分で自分の三退をするのであり、人の代わりに三退してはいけません」と大声で説明しているのが聞こえました。さらに、他人が脱党するのをどのように手伝えばいいのかと質問しており・・・。

 みな非常にわかっている生命であり、このようにまじめに「三退」に向き合っていました。これらの録音電話を聞くたびに、すべては師父がなさっているのだとはっきりと感じ、師父は私たちのために早くから用意し、きちんと按排してくださっていました。私達にはただ衆生を救うという心があり、行ないさえすれば、師父は大きな威徳を私たちに授けてくださるのです。

 師父のご加持の下で、この数年音声電話を通じて、私が三退した人々は毎年およそ1万人以上になりました。

 三、全体に溶け込む

 修煉時間が増えるにつれて、容量を広め、全体に溶け込まなければならないと師父は悟らせてくださいました。一時期、いつもある情景が目に見えていました。それは孤峰があり、万尋の高さの壁が囲み、私は山の頂上に立っていました。しかし山の頂は非常に小さく、ただ自分の両足を置くことができるだけでした。周囲を見ると他の山はまわりになく、何もなく、生気もなく、鳥さえもおらず、一人ぼっちで、孤立していました・・・。

 その後、大法の修煉は全体で向上し、全体で昇華するものだということを師父が悟らせてくださっているのだとわかりました。全体のことを考えず、他の人のことを考えなければ、それではだめです。他の人のことを、全体のことを心に入れなければなりませんでした。

 以前の修煉を振り返ると、私は確かに全体のことを、同修のことをあまり考えていませんでした。何が原因でそうなったのでしょうか? 私が修煉を始めたのは少し遅く、大法に入った時、私の地域ではすでに多くの人が修煉していました。11人が師父の広州の講習会に参加しており、私は心の中でその人たちを尊敬しました。私自身については、自分をしっかり修めさえすればそれでいいと感じていました。全体で行なう意識は薄かったのです。切磋琢磨する時はただ黙って聞いており、努力して理解し、話したことはありませんでした。話をしなかった理由は多くの人心が邪魔していました。まず、適当ではないことを話して協調人を怒らせるのを恐れ、法に則っておらず同修に笑われることを恐れ、同修に顕示していると言われるのを恐れました・・・。さらに「自分に関係ない」などの考えがありました。

 これらの執着心は自分の「自我」に源を発していました。私は自分をびっしりと包み込んでいました。自分の修煉状態が本当に間違っていると感じ、まさに自分が見た情景の通りで、一人ぼっちで孤立した山の頂きに立ち、一人ぼっちで孤立した私でした。このことがわかった後、本当に汗顔の至りで、本当に師父に合わせる顔がありませんでした。こんなに何年も大法の中で修煉していましたが、どのように修煉するのかがわからず、こんなにも長年学法しているのに、多くの言行が法から遊離していました。師父は「無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです」[3] と私たちに教えてくださいました。私は必ず師父の教えを理解し、これらの執着心と人心を取り除き、大法に従って行ないました。そして自己を放下し、他の人について関心を持ち、全体について関心を持たなければなりませんでした。修煉したいという願望が私にあったので、師父は私の心を大きくしてくださいました。

 2008年と2009年の時、私の地域では大法弟子2、3人が旧勢力に激しく迫害され、体に重い病業状態が現れました。ある同修は乳房がただれて穴があき、家の中で膿の臭いにおいが鼻をつき、同修が三つのことを行なうことにひどく影響しました。同修の境遇に直面した私は自我を放下し、同修のことを前面に置きました。同修の家のにおいは強かったのですが、それにかまわず、私たちは学法グループをその同修の家に移し、その同修と一緒に学法して切磋琢磨し、正念を発しました。その同修の正念はとても強く、痛みに耐えながら私たちと一緒に学法し、正念を発しました。

 その同修はやはり旧勢力に迫害されて逝ってしまいましたが、大法弟子はともにこの世に来て、師が法を正すことのお手伝いをしており、私たちは一つの全体だ、という理がわかりました。私たちが圓容不破の全体を形成しさえすれば、旧勢力は私たちを妨害したり、迫害できないのです。

 昨年(訳注:2017年)の夏、私たちの学法グループの夫婦の同修で、夫の方がある日突然に体調不良を訴えました。転々として地方の病院へ行き、私たち学法グループの一部の同修だけがこのことを知っていました。3、4日後に私はこのことを知りましたが、近況は誰も知りませんでした。旧勢力がその夫婦と全体、夫婦と大法弟子を切り離そうとしているのだと感じ、旧勢力の下心が険悪だと感じました。夫婦の同修の正念が強いことを私は知っており、法輪功に対して敏感な部門の多くの人に真相を伝えて「三退」を勧め、敏感な部門に影響を与えました。大法弟子の肉体を迫害するというこのような方法で、人々が真相を理解することを旧勢力に妨害させることは、絶対にできないと思いました。私はすぐにこの夫婦の同修に会いに行かなければなりませんでした。

 私は協調をはかっている数人の同修とその他の同修に連絡を取り、翌日の朝早く車でその夫婦の同修に会いに行きました。妻の方の同修に会うと妻の方の同修は「みなさん来てくださったのですね、さっそく我々と切磋琢磨してください。我々はどうすればいいのかわからないのです」と言いました。私たちは全体を形成し、「師父は私たちに判断させ、邪悪生命は根絶した」と共に認識を高めました。同修はすぐに退院して全体に入り、大量の学法をして、すぐに健康を取り戻して、再び人を救う潮流に入りました。

 時には全体の向上に影響が及びました。それは全体の安全にかかわる大問題であり、例えば病業の問題や色欲の問題、携帯電話の安全性の問題、どのようにしっかりと正念を発するのかという問題など、私も協調人と会い、誠意を持って自分の考え方を協調人と交流しました。もし同修たちと切磋琢磨する必要があるのであれば、私はその中に参加し、協調をはかっている同修と連携し、できるだけ皆に法の上での認識を話してもらい、それを確実に実行しました。しかし、ただで同修たちの貴重な時間を浪費することはしませんでした。

 この過程で人心に触れる部分があり、認識が食い違うこともありました。しかしこのような時は、往々にして執着を探さなければならず、人心を取り除き、法に則って向上すべき時でした。

 2016年、私の地区の公安警察が各職場のリーダーや各市町村のトップ、各山間地帯の村長や書記を巻き込み、大法弟子の写真や映像などの情報を収集し、携帯電話番号を登録し、煉功しているかどうかなどを調べました。私のその時の認識はこの事はちょうど数日間に現れたことで、全県の大法弟子はすぐに力を注いで発正念し、この事をコントロールしている旧勢力の邪悪生命を解体すべきだということでした。この事は師父が按排なさったことではなく、旧勢力が無理に押し付けてきたもので、私たちは認めませんでした。これは大法弟子に対する迫害だけにとどまらず、さらに人々を操って大法と大法弟子に対して犯罪を起こさせており、人々をだまし衆生をだますものでした。私たちは大法弟子であり、強大な正念を発して他の空間の邪悪を解体しなければならず、このようことの存在は許されませんでした。ちょうど協調人が各学法グループを招集し、各市町村の協調人が切磋琢磨し、私はこの機会を借りてこの事に対する自分の認識について同修たちと交流しました。同修たちは自分の境地で法に則って悟っているため、ある同修は「何か起こるとすぐ正念を発するのは恐れる心であり、恐れる心を探すべきだ」と考えました。また協調をはかっているある同修は、私の話は次元が高すぎると言いました。正念を発することについてはこのように共通認識に達しませんでした。

 その前の携帯電話の安全性の問題を注意し、切磋琢磨した時も似たような状況になりました。ある同修は「携帯電話の安全に注意することを強調するのは恐れる心であり、正念が強くないのだ」と考えました。法会の参加を提出し、グループの学法で携帯電話の持ち込みを禁止した時、ある同修の表情は鼻であしらっており、「考えすぎだ」と考えていました。私も沈黙してしまい、どうすればいいのかわかりませんでした。ある時隣にいた同修がこの事の考え方について尋ねてきました。同修は「これは全体の責任であり、同修の責任であり、人々の責任であり、間違っていない」と考えていました。そして、行なうべきことの出発点を見るよう、私に提案しました。

 内に向けて探すと、私の出発点は間違っていませんでした。同修はまた「あなた自身に気づきにくい人心が中に混ざっていないかを見てみましたか?」と提議しました。今回の事で細かい部分を細々とフィルターにかけると、確かに人心があることに気づき、成功を急ぐ心と他人を変えようとする心がありました。携帯電話の安全に注意する問題は大きな問題であり、これは大法弟子個人の問題ではなく、全体と他の人の安全の問題に及んでいるのだ、と私は思いました。このような重大な問題を、このような緊迫した時期に、みんなで早く認識を高めて手を回すべきである、と私は考えました。学習者の認識が一つの過程であるとは全く考えませんでした。実際はっきり言うと、私は他の人に認識させようとは全くせず、ただ同意を得ようとしただけでした。

 このような強い人心、このような強い自我があったのでは、人に言われるのは当たりまえでした。この時になって初めて私は「人心があり、執着があれば、行なうことがどんなに良いことだと思ったとしても、師父はその執着心をさらけ出させ、取り除かせるのだ」ということがわかりました。なぜなら、私たちの修煉は永遠に内に向けて探して向上するもので、他人を変えて向上するものではないからです。他の人のことを細かく詮索することは、同時に、自分の自我を強大にさせ、まったく向上することができなくなるのです。

 この時私は「寛容」と「圓融」という二つの言葉を思い出しました。寛容にしろ、圓融にしろ、古人は「海は無数の川を受け入れるからこそ、あれだけの大きさを持っている」と説きました。私は自分の容量を大きくしなければなりませんでした。師父は私にこの二つの言葉を思い出させてくださり、これは私に対する悟りであり、これが私が努力する目標なのです。

 四、全体を圓融し、黙々と補う

 今年(訳注:2018年)7月以来、私の県でまた警官が大法弟子を訪問し、写真を撮り、ビデオを撮り、録音し、電話番号を聞き出すなどして騒ぎを起こし始めました。ある大法弟子は正念正行で、警察の要求に従わず、ある警官はふだん着を着て各部門の人に変装し、いくつかのでたらめな話をでっち上げ、大法弟子をだまして玄関を開けさせました。このような状況に対して、私は数人の同修と真相シールの内容を考え、地元の人々に警察の悪行を暴露しました。同修たちは正念正行で、各市町村から大きな街まで、大通りから路地裏まで貼り、共産党を強く震え上がらせて払いのけました。

 旧勢力は悔しがり、公安局のリーダーを再びコントロールして、若い警官に命令させ、街頭の監視カメラの映像記録を調べさせ、大法弟子を迫害しようと試みました。協調をはかっている同修と交流しましたが、同修たちに正念を発してもらうことについて、同様に共通認識を得られませんでした。自分の前に並べられているものは、自分が修煉しなければならないものなのだ、とわかりました。自分の前に並べられていることは、自分がしなければならないことなのです。私の心は平静であり「私は全体を圓融すべきであり、同修たちが行なわないことを私が黙って補い、しっかり行なうべきなのだ」と思いました。いくつかのことは緊急を要しており、同修たちの認識が一致するのを待ってから行なったのでは、すでに時が移り、事情が変わってしまうかもしれませんでした。

 私は座禅して掌を立て「公安警察をコントロールして大法弟子を迫害し、人々の未来を破壊しようとする旧勢力と中国共産党の黒い手と共産邪霊を徹底的に解体する」と正念を発しました。私は大きなエネルギーに包まれていました。この時、自分のエネルギーが非常に大きいと感じ、「小さな共産党なんてものの数ではない!」と感じました。本当に共産党が小さくて取るに足りないものだと感じました。私は自分の行ないが正しいことがわかり、師父が加持してくださっていることがわかりました。1人の大法弟子が法に則り、共産党を一掃し、衆生を救い済度したければ、大法のエネルギーは万能なのです。

 グループ学法の時、グループの同修とこのことで切磋琢磨し、同修たちは「他の空間の邪悪が人々をコントロールして、大法と大法弟子に対して犯罪を犯させ、人々をだますことは絶対に許さない」と感じました。正念で除去すべきでした。大法弟子を迫害しようとするたくらみは雲散霧消しました。

 ここ数年の修煉の中で「自我という物質はとても頑固だ」ということに私は深く気づきました。「心を開く」と古人は言いましたが、心とは何でしょうか? 心とは扉です。しかし自我はあなたの心の扉を開かせようとせず、心の扉を閉めようとし、あなたの心を独占しようとするのです。あなたが自我を心から追い払いさえすれば、あなたの心の扉を開くことができ、そうして初めて「同修」が入ってくることができ、「全体」が入ってくることができ、「衆生」が入ってくることができ、「宇宙の天体」が入ってくることができます。

 師父にお礼を申し上げます! 師父、ありがとうございました!

 法に合致しないところがあれば、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします。同修の皆さん、ありがとうございました!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「法の中に溶け込む」
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性に漏れなし」

 (明慧ネット第15回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/11/12/376534.html)
 
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