大法が僕の人生を変えた
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年11月5日】

 苦難とともに成長する

 僕は中国南西部の人里離れた小さな村で生まれ、常に飢えに苦しめられながら成長し、きちんとした教育を受けていません。幼い頃に父親を亡くし、頼るものは何もなく、村の人たちにも見捨てられてしまいました。身体の弱い母は幼い僕と兄を連れて、トウモロコシを育てて何とか生きてきました。

 7歳の時、僕は村の生産隊で牛の放牧の仕事につきました。貧しいため、布1枚で下半身を覆い、裸足で広い野山を歩き回り、蚊に刺されたり、暑さ、寒さに耐えたり、苦を嘗め尽くしました。喉が渇いた時は湧き水を飲み、お腹が空いた時は田畑の落花生やサツマイモを食べていました。それが誰の家のものか考えたことはなく、盗みの概念もありませんでした。7歳の僕は餃子を食べるため、28キロメートルの山道を歩いて、姉の家まで行ったこともありました。夢や理想も知識もなく、17歳の時、お腹を満たすために入隊し、村を出ました。

 師父が家族全員の人生を変えてくださった

 僕の天目はずっと開いた状態です。以前、天目で多くの人々の病気などを透視したことがあり、地元では少し有名でした。ある日、「法輪大法の師父が法を伝えにここに来ておられるらしいが、お前はその人が見えるか」と同僚に尋ねられました。「その方はあまりにも高い次元にいらっしゃるから、僕には見えません」と答えると、「それなら、会いに行こう」と言われ、友人を誘って僕たち5人は1994年、師父が国内で開催された最後の講習会―広州の講習会に参加しました。

 それ以来、僕の人生はガラリと変わりました。長年の胃の病気やリウマチが治り、ずっと老けて見えていた自分が若く見えるようになりました。そして、非常に不思議なことに、僕がまだ家に帰り着いていないのに、妻の喘息やリウマチ、神経衰弱など全て消えてなくなりました。そして、全家族が大法を学び始めました。更に喜ばしいことに、僕の身体に現れた変化を見て、以前一緒にほかの気功をしていた人たちも、次から次へと大法を修煉し始めたのです。

 僕は社内の人気者

 以前、僕の職場の電話オペレーターが家庭の事情で首吊り自殺をしました。会社が辺鄙な場所にあり、街灯がなく、夜は歩きづらいのです。若いオペレーター達は怖がって夜勤を嫌がり、「夜になると、よく泣き声が聞こえてくるよ」と言っていました。彼女たちは僕が法輪功を修煉しているのを知っていて、僕が出勤すると喜んで、「董さんがいると、安心するし、勇気も出てくるね」と言っています。そのため、僕が宿直する日は、同僚が車で迎えに来てくれ「くれぐれも会社を辞めないでくださいよ!」と言われたこともあり、僕は社内の人気者になりました。

 大法を修煉してから、師父が智慧を授けてくださり、僕は他の人より頭の回転が速くなりました。ある時、充電器が故障しましたが、メーカーを見つけることができず、すぐに取り替えられませんでした。しかし、充電できなければ、一部の地域の通信機能が麻痺するので、焦った上司はその任務を僕に任せました。仕事が増えたためさらに忙しくなり、報酬など気にせず、家にも帰らず修理しました。問題解決後、上司から褒められ、同時により良い修煉環境を作り出すことができました。

 ある日、「610弁公室」のリーダーから、各職場に法輪功修煉者の名簿を提出するよう要求されました。社内のすべての人は僕が大法を修煉しているのを知っており、隠し通せることでもありません。他の人を守るため、上司は僕の名前だけを告げましたが、リーダーは「あいつの名前はいらない!」と言いました。師父が僕のことを守ってくださったのです。

 「忍の心」を持つべし

 僕は社内で10歳ほど年下のある係長になぜか嫌われており、この会社に入ってから十何年もの間、ずっと罵られてきました。また、汚い仕事や疲れる仕事をよく押し付けられていました。週末のある日、係長が主催したパーティで、突然停電し、その日は僕が当番ではなかったのに、僕のせいにされ「お前はここに来る資格はない! 早く直してこい!」と皆の前で怒鳴られました。

 僕は我慢して何も言わず、停電の原因を突き止めて修理し、その後、パーティに参加せず、そのまま帰宅しました。修煉する前の僕なら、兵士出身なので、きっと彼に手をあげていたでしょう。

 ある日、社員全員にストーブを配ると言われ、倉庫に行ってストーブをもらいました。朝の会議中、係長は僕が倉庫のものを盗んだと20人以上の社員の前で濡れ衣を着せ、十数分間罵りました。担当者に何か言ってほしかったのですが、彼はずっと寝た振りをしていました。仕方なく、僕は最後まで我慢しました。会議終了後、皆に同情の眼差しで見られていましたが、僕は何も言わずに仕事に戻りました。怒りも悔しさもなく、全く動揺しませんでした。

 社員全員、僕が一級の給料をもらうことに賛成していましたが、翌日、係長は僕に「耿さんがお前の一級の給料を欲しがっている」と言いました。耿さんの夫は権力のある官僚で、係長は彼の恨みを買うのを恐れていました。「分かりました」と僕はその場で応じ、何カ月か後にやっとこのことを妻に伝えました。

 それから何カ月か経過し、耿さんの夫が大法弟子を迫害し、家族がその報いを受け、耿さんは亡くなりました。よく僕を罵っていた係長も脳卒中になってしまいました。僕は係長に同情し、妻と2人で大法の真相を伝えました。救われた係長はごちそうすると言ってきたので、安心してもらうために誘いに応じました。僕と係長との怨念はこれで解決しました。

 偉大な師父が「忍の心」を教えてくださいました。慈悲をもって人と接してこそ、衆生を救うことができるのです。僕はかつての大願を果たすべく、しっかりと「三つのこと」を行ない、衆生を救い、師父と共に元に帰りたいと思います!

 偉大な師父に感謝いたします! 同修の皆さんに感謝します!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/9/13/389108.html)
 
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