文/中国の大法弟子
留置場で発正念をしていたら、警官は受刑者のボスに「この法輪功の奴は功を煉っている。思い切り奴を蹴飛ばせ!」と命じました。受刑者のボスは大法の真相が分かっているため、私の足に軽く当たって蹴るふりをしました。
労動教養所に送られる途中、車中で正念を発したら、警官は「こいつはずっと功を煉っている」と叫びました。労動教養所の中で、目を閉じて発正念をしようとしたら、監視役の受刑者がすぐに来て妨害をしました。
「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」 [1]と暗唱した時「この刑務所の中では、もし正念が強くなければ、きっと守勢の立場に立たされるだろう」と思い、そこで、私は「目を開けたまま発正念をしよう。師がおられ、法もあるから、私は必ずうまく行く」と一念を発しました。
目を開けたまま発正念をするのは決して簡単なことではありません。大部屋は人が多くてうるさいし、休憩所にはテレビがあり、夜中までテレビを見る人もいます。私はテレビをまったく見ないで、時間があれば、法を暗唱しました。
目を開けたまま発正念をするのは、正しく師父が説かれた「視ても見ざれば 迷わず惑わず 聴いても聞かざれば 其の心乱れ難し」 [2]、その通りでした。
師父のご加持の下、私は目を開けたまま発正念をしました。労動教養所の大部屋、或いは休憩所、どんな状況下でも、私は妨害されることはありません。時間さえあれば、毎回30分程発正念をしました。
同修の話によると、労動教養所では長年、印刷工場から製本作業が委託されており、仕事が始まると休憩時間も与えてくれず、怒鳴り声も絶えません。また、元旦の日以外、一年中まったく休まずに働かされると言っていました。
目を開けたまま発正念をした年に状況が変わりました。12月28日から休みに入りました。1月2日の朝、受刑者のボスが「印刷工場から電話があった。今日、紙が届く」と皆に言いました。私は座って発正念をし、頭に「大法弟子の正念は威力あるものである」 [3]との師父の言葉が浮かびました。「もし、もう少し休みがあれば、ここの大法弟子たちは発正念の時間を多く取れて、もっと多くの邪悪を一掃することができる」と思い、そこで「今日、紙が届かないように、1月5日に届くように」と発正念をしました。結果、4日の午後、労働教養所の職員が「印刷工場から電話があった。紙は5日に届くそうだ」と知らせてきました。
印刷工場から送られてきた紙の量は明らかに少なくなりました。受刑者のボスの怒鳴り声も聞こえなくなりました。ある日の休憩時間に、受刑者のボスが怒鳴っている時、私が発正念をすれば、ボスはすぐやめてしまいました。ボスは受刑者たちに「法輪功は素晴らしいのだ。お前らは皆法輪功の学習者に学べ」と言いました。
ある日の昼頃、私は紙の量がいつもより多いと見て、早めに発正念をしました。不思議だったのは、大法弟子を除けば、他の人は皆机に伏せて寝ていました。受刑者のボスが入って来て「仕事の時間だ。お前らよく寝ていられるな!」と怒鳴りましたが、その後、彼は「まあ、寝ていろ、寝ていろ」と独り言を言いながら、外に出て行きました。
夜6時になると、受刑者のボスが「もう顔を洗う時間だ」と叫び、私の発正念を妨害しました。そこで、私は早めに発正念をして、彼を制止するよう、彼が動かないようにと発正念しました。すると、その時間、ボスは本当に来なくなりました。
ある日の夜、私は労動教養所ですべての警察官に『九評』を紹介している夢を見ました。師父は私を励ましてくださったのです。
以上は私が不当に拘禁された際、目を開けたまま発正念をした体験でした。適切ではない所があれば、同修達の慈悲なるご叱正を宜しくお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「道の中」
[3] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「大法弟子の正念は威力あるものである」