文/中国の大法弟子
【明慧日本2019年11月22日】どのようにして人間の「情」から抜け出すのでしょうか? 衆生を平等に扱う事ができれば、私達を手助けして人間の「情」から抜け出すことができます。
時間について言えば、修煉者があと残りわずかな貴重な時間を「情」に用い、全身に父母への情、夫への情、妻への情、子供への情、孫への情にどっぷりと浸かり、師父が巨大な難を背負って延長されている大切な時間を、これらの情に用いては、どうやって「情」から抜け出すのでしょうか!!
爺ちゃんはいい人だ、祖母ちゃんはいい人だ、叔父さんはいい人だ、叔母さんもいい人だと、親戚や友人はあなたのことを皆「いい人だ」と言ってくれている、本当にそうでしょうか。それではあなたは人間の情に溺れているかどうかをここで検証してみてください。結婚式であなたはいい人だと言われ、お葬式でもあなたはいい人だと言われ、長寿の祝賀式でもあなたはいい人だと言われます。また、家の建築現場でもあなたはいい人だと言われていますが、あなたは自分を見直すべきです。それはなぜでしょうか。そこには多くの精力と時間が常人の事に使い過ぎていませんか? 常人のいい人を追い求めてはいないでしょうか? ここで言ういい人になるという事は、さらに高次元の高尚な生命になりたくないのではありませんか? 引いては、新宇宙の大覚者になりたくないのではありませんか?
身内の角度から言えば、例をとって言いますと、身内が三退したので、彼らは未来の神の管理下に置かれ、あなたの人心で面倒を見るよりも、何千倍、何万倍もいいのです! これこそが彼らが今生、あなたの身内になった根本的な原因なのです!
「人の心」は自分本位であり、身勝手で自己中心的なものです。私達修煉者は常人に理解してもらうことは、とても難しいのです。一方、いくら他人に自分はいい人だと言われても、自分は必ずしもいい人ではない場合もあります。他人に自分は人間味がないと言われれば、自分は内に向けて探さなければなりません。自分の修煉には、果たして慈悲心が生まれたのでしょうか? 常人に慈悲を持って接しているのでしょうか? 私達は法理を知っていますが、「情」を放下しなければ、「慈悲」を修めることは決して出来ません!! しかも「情」はそもそも自分本位であり、身勝手で自己中心的なので、心がずいぶんと狭いものです。それに比べ、「慈悲」は「無私」であり、その心は広大無辺で限りなく広々としています!!
私達ははっきりと自覚しなければなりません! 私達の修煉は最後の最後まで来ており、以前のような人間に戻る時間はもうありません。早くこの「情」から抜け出して一人でも多くの衆生を救い、衆生を連れ帰り、先史の誓約を果たしてこそ、あなたは天国の王として迎え入れられるのです。もし、ここで修煉が終わり、あなただけが人間世界に取り残されてしまえば、その苦しみの中であなたはどうやって生きるのですか?
私達は修煉者なので、もうこれ以上浪費する時間はありません。私達は常人の「情」と「私(し)」から早く抜け出し、決して、常人の中の「いい人」に執着してはなりません! はっきり言えば、常人の中の「いい人」とは修煉者ではなく、ましてや、大法弟子とは言えません! 大法弟子には大法弟子の大切な使命があるからです!
この残り少ない貴重な時間を利用して、大法の真相資料を作り、その資料を常人に配り、面とに向かって真相を伝え、一人でも多くの衆生を救い、三退を勧め、大法弟子として行なうべき「三つのこと」をさらにより良く行なう、これこそが宇宙の衆生が認める「いい人」であり、神々までがあなたは「いい人」だと言ってくださいます!
最後に師父の説法をもって同修の皆さんと今一度、勉強したいと思います。
「まだしっかり行なっていない人は今まだ終わっていないので、それなら行なうべきことにしっかり取り組んでください!」[1]
「自分自身をしっかり修め、衆生を救い済度するなか、思う存分活躍しましょう。さらに良く行ないましょう!」[2]
注:
[1] 李洪志師父の経文:『ヨーロッパ法会に参加する大法弟子の皆さん、こんにちは!』
[2] 李洪志師父の経文:『二〇一九ニューヨーク法会での説法』