明慧法会|大法徒の慈悲
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 文/中国の同修が口述し 同修が整理

 【明慧日本2019年12月3日】私は1992年に重大な交通事故に遭って病院で救助され、5日後に生還しましたが、慢性外傷性脳症になり、いつも頭が割れるように痛みました。さらに、大腿骨頭壊死症、肝炎、頸椎で背中が痛み、毎日ふらふらして歩行困難になり、大量に薬を服用し、ほとんど勤務ができない状態になってしまいました。しかし、1996年1月、私は幸運にも法輪大法に出会い、修煉後、無病で全身が軽くなったばかりではなく、宇宙の中で最も幸運な生命、つまり法を正す時期の大法弟子になれたのです。

 中国共産党が大法を迫害し、人々を虚言で毒害したので、「真相を伝える」ことが「人々が大法が素晴らしいと認め、三退して救われる」唯一の方法となり、「真相を伝える」ことは大法弟子の責任と使命です。師父は「大法徒は衆生が救われる唯一の希望」 [1]と説かれました。師父の教えに従い、長い間、面と向かって真相を伝え、人を救うことを自分の生命に溶け込ませました。そして、控えめに推算しても、今までに7、8万人の尊い中国人が共産党とその関連組織から、すでに脱退しました。そして、共産党の組織に入ったことのない人達には、心を込めて『法輪大法は素晴らしい』と念じるよう伝えました。そして「衆生が救われる時に助けてもらえるのは大法の力である」ということを私は深く知っており、もし師父のご加護がなければ、私は自分さえ生きていけないのに、それでどうやって人を救うことができるでしょうか?

 今日、私は「自分が師父の法理の下でどうやって人間の情を放下し、大法徒の慈悲が出て来て、人を救うことにだんだんと力を持つようになったのかの過程」を話しましょう。

 大法徒としての慈悲が出てくる

 師父は「真相を伝えることは、つまり衆生を救うということですが、同時に皆さんの修煉における個人の向上と執着の除去、法に責任を負うこと、最後の圓満成就に向う過程で、いかに自分の世界を豊かにするかなどの要素も含まれています」 [2] と説かれました。

 そこで「真相をしっかり伝えるには、自分をしっかり修めなければならない」と思いました。そして、常人の時、私は情の重い人間で、最も重かったのは夫に対する情と娘に対する情でした。私と夫は小さい時からの幼なじみで、義母は若死にし、私たちは義弟と義妹と一緒に共同生活をしており、さらに私たちには娘2人がいて家庭は困窮し、本当に1円でも一つ一つ指を折りながら使い、ひと握りのコメを一緒に分け合って食べ、自分は節約して、できるかぎり2人の子供と夫のためにお金を使いました。そして、私たちは農村の教師で、その後、夫は大学を受験して警官になり、警察署長になりました。

 修煉を始めた時、自分のどこに執着があるのかがわからずに修煉があまり出来ませんでした。ちょうどその時、夫は浮気をしていました。私は修煉者なので心性を守り、喧嘩をしたり、大声を出したりしないようにと思っていましたが、苦しくて何度も泣きました。そして、北京に行って法を実証した時、娘が熱を出したので、オンドルの上で麺をゆでなければなりませんでした。そして、私は表に出ましたが、心はやはり家のことを気にかけており、何度も家に電話をしました。そして捕まり、警官らはまず夫を呼び出しました。夫は足を踏み鳴らして烈火のごとく怒鳴り散らし、大法と夫の二者択一を私に迫ったので、私は「両方必要です」と言いました。そしてその時、それは正しい悟りを現したのではなく、情から出た言葉でした。すると、夫は「だめだ、選択しなければならない」と言いました。そこで私は「私には大法が必要です」と言いました。そして、それは再び情から出た言葉で、共産党の圧力の下で夫に同意し、本当に「偽装離婚」の手続きをしました。

 私はかつて共産党に3回不当に労働教養を科されました。最初はわかっていませんでしたが、外面的には真相を伝えたから労働教養を科されたように見えましたが、実質的には自分の修煉に漏れがあり、特に夫に対する執着で、旧勢力にしっぽをつかまれて指摘されたのだということを、後になって悟りました。

 師父は「人間は情のために生きており、つまり、人間は情の中に漬かっており情を振り切ることができません。情から抜け出すことができなければ、修煉することもできず、向上することができません」 [3]と説かれました。

 人間のレベルにおいて私が最も名残り惜しく感じ、私の喜怒哀楽に影響を及ぼすものと言えば、つまり夫と子供の事で、それはどれくらいのものだったのでしょうか? 夫が結婚の契りを裏切った時でも、まだ「夫のどこそこがいい」と考えていました。ある時、自転車で道を走っていた時、突然「夫が事故を起こした」という一念に襲われました。そこで、私は少しの間ぼんやりしてしまい、前後の見境もなくなり、よろめきながら夫の職場まで走って行くと、ちょうど夫は人と笑いながら話しており、私を見るなり、表情をこわばらせて「何の用で来たんだ? 帰りなさい!」と私を叱りました。そして、子供に対する心は、目に入れても痛くないほどかわいくてたまらない様子でした。この執着に、旧勢力がすきに乗じて、迫害しない訳がありません。

 不当に労働教養所に拘禁されていた時、ある日、最もかわいがっていた下の娘が泣きながら電話をしてきて、「お母さん、お父さんはあの女の人と結婚して、誰も私にかかわらないの。私にはお母さんが必要だから、早く帰ってきてほしい!」と訴え、娘は電話を切ってしまいました。そして、私の心はわしづかみに掴み出されたように、五臓六腑がみな壊れてしまったかのようでした。その時、私はまさに悪徒によって無理やり転向させられようとしており、体全身が疥癬(かいせん)に覆われて、膿や血が出ていました。私は1メートル、長さが2メートルの独房に拘禁されており、毎日罰として立たされ、心配と恨みと悔しさで、心の辛さに身体の苦痛が加わり、まるで師父が説かれた「百の苦一斉に降る 其の如何に活くかを看る」 [4] のようでした。そして、その魔難の中で厳しくはありましたが、人の念をきっぱりと排斥し、何度も師父に「師父、私は『転向』せず、修めなければなりません」と申し上げました。師父がいらっしゃるので、私は子供のことを心配する必要がなく、師父が見守ってくださっているので、いかに私が尽くしても、娘たちが師父から得るものとは比較になりません。そのようにして、私は師父の教えを理解していき、第三者と夫を恨まず、私に敵はないのですから人を恨まず、恨む必要もありませんでした。

 弟子が人心を排斥する時、師父は私たちのために小刻みに悪い物質を取り除き、私たちの生命を浄化して心性を向上させてくださるのです。前夫が労働教養所に私に会いに来た時、第三者(訳注:前夫の現在の妻)も来ているので私の前で気恥ずかしく思っている、と私に伝えました。そこで私は「せっかくはるばるやって来たのに、どうして会わないのですか?」と言いました。私は法輪功修煉者らしく物静かに第三者に対処し、第三者を「子供のおばさん」と呼び、私の子供の世話をしてくれていることについて第三者に感謝しました。そして、労働教養所を出所して家に戻った後、私は第三者に大法の真相を伝え、第三者は自身が納得しただけでなく、私が渡した資料を持って行って同僚にも見せました。そして、三退について、私は第三者とその同僚を見落とすことなく、第三者とその同僚を三退させました。

 その後、前夫は後悔して私に手紙を書き、私と会う約束を二度して「二度目の離婚をして、私と復縁したい」と言いました。そこで私は「第三者と第三者の大勢の親族が皆すでに大法を認め、三退し、みな救われた衆生である」ということを考慮し、大法弟子として人を救うことさえできれば、第三者の親族を反対側に追いやることはできず、この万古に二度とない機縁を失うことはできず、大法弟子はこのように行なうわけにはいかず、前夫を拒絶することを選択し、第三者を大切にするよう前夫に勧めました。

 人は皆はっきりしている一面を持っており、私たちが自分を師父の使者として衆生を師父の身内とする時、衆生はみな慈悲の力を体験し、それによって大法に済度されることへの恩に感謝して懐かしむのです。「子供のおばさん」(訳注:前夫の現在の妻)と「子供のおばさん」の同僚は「大法が素晴らしい」と言い、他の同修と会った時にも「私のことを素晴らしい」と言い、中国のちゅう共産党は私の給与の支給を止めてしまったのですが「子供のおばさん」が私のために取り戻してくれました。

 離婚後も、私は引き続き前夫の親族に応対し、前夫の親族も私を身内のように扱いました。舅は92歳になり、真相を伝えに舅が住んでいる町に行けば、私は舅のために買い物をしました。そして、私が「お義父さん」と呼ぶと、舅は私の手をとって私の名前を呼びながら「お前に会いたかったよ」と言いました。そして私は舅に、いつも「法輪大法は素晴らしい」と念じるように伝えました。そして、4番目の義弟の妻は「兄嫁さん、4番目の息子は毎日お義父さんの世話をしていますが、お義父さんはすぐ『あなたどなたですか?』と聞くんです。皆のことはわからないのに、お義父さんはあなたのことだけはわかるんです」と言いました。

 私たちが大法弟子として修めるものは、衆生のための正法正覚の生命なのです。もし情が少しでもきれいに取り除かれていなければ、突然、人心が湧き出てくるかも知れません。人心が出てくれば、私は排斥し、それに気づけばその時に良くない物を解体し、何度も転び、何かにぶつかってやっと目がさめます。間違いも本当に少なくありませんでした。

 娘は銀行で仕事をしており、あらゆる面で優秀で、さらに親孝行をしました。しかし、娘の夫はいつも失業し、性格も悪かったのです。そして、娘の夫が娘をののしると、私は心にしこりが残りました。しかし、私の心が動じなくなると、娘の夫もよくなり、最近は私と一緒に人を救いに出て行きたい、とまで言うようになりました。こう考えて見ると、もともと私たち自身の問題だったのではなかったのでしょうか?

 またある時、煉功していると、以前のことを思い出したので煉功をやめて、前夫と会って話したくなりました。そこで、玄関を出ると通行人が持っていた水平器を落としてしまい、その通行人は私に賠償を求め、その時になって初めて、内に向けて探すことを思い出しました。そして水平器は壊れ、バランスがとれなくなり、バランスがとれなくなった私のぽ心が厄介を招き、ポケットの中の700元(約1万1000円)の全額をその通行人に渡し、賠償しました。

 修煉とは、自分が正しいか否かを確認することが大法弟子ということで、師父がおっしゃったことをしっかり理解して「修は己にありて、功は師にあり」 [5] と修煉することです。つまるところ、師父は私たちに教えてくださり、私たちを引っ張ってくださり、私たちに新しい生命をくださり、師父に対する感謝は本当にひと言で言い表すことができず、出来るかぎりしっかりと行ないます。

 本当に心を込めて人を救う

 2005年、労働教養所から家に帰って『共産党についての九つの論評』が伝わり、三退を勧め始めたことを知りました。私の兄一家は山奥で畑を請け負って栽培しており、私が初めて外に出て三退を勧めたのが、その山に入った時でした。私は数時間、普通列車に乗って山側に駆け付け、道を聞くとまだ8キロもあり、進んで進んで行くと遠くの方に白い家が見えました。その方向に向かって歩いていくと、道をまちがえ、目の前まで来てやっとそれが白い石だったことがわかりました。そしてその後、農民の夫婦に出会いました。夫婦は親切に私を家に泊めてくれ、翌日、私を送ってくれました。そして、すぐ近くに小屋が見え、そこに泊まろうと私は決心しました。大通りはなく、困難や障害を乗り越えていくと、雑草と石のでこぼこ道で、その家の庭まで着いた時には、私の靴もなくなっていました。すると、その家の人が懐中電灯を灯してくれ、近道をして私を兄の家まで送ってくれました。家に入った時にはすでに夜の8時半でした。すると、姪と甥は驚きながらも喜び、「あら、どうやって来たの?」と言いました。そしてその晩、兄の妻と姪一家と甥はみな三退に同意し、心を込めて「法輪大法は素晴らしい」と念じました。

 次の日、姪の夫が畑を鋤(す)きに行き、戻ってくると「三退で本当に平安が保たれたので、私は法輪大法が素晴らしく、真・善・忍が素晴らしいことを信じます」と言いました。なんと、畑を鋤きに行った時、鋤(すき)の柄が急に姪の夫の胸を打ち、非常に大きな力で服が3センチほど破れましたが、本人は無事で皮さえ剥けていませんでした。秋になり、再び兄の家に行くと、姪の子供が私に「おばさん、三退で本当に平安が保たれたよ、お母さんに言えないことがあるんだけど、お父さんが四輪駆動車で稲刈り機を引っ張っていて、僕が車の上に立って支えてたんだけど、道がよくなかったから、僕は車の下に投げ出されたんだ。でもその時、突然車が止まって、お父さんは何が起こったのかわからず、車を降りてみると僕が車輪の前に投げ出されていて、驚いて顔色が変わったんだ」と言いました。

 今回の三退を勧めたことで「師父は慈悲深く、佛法は無辺で、三退は平安を保ち、大法が説いていることはすべて本当だ」ということが私にはわかりました。

 私は悟性が悪いのですが、師父の教えを本当に守りたいと思いました。師父は「師父の法身や、正の神、大法が世間で配置した巨大な場は、縁のある人、救い済度できる人を各種の環境を利用して、あなたの前に連れてきて、その人に真相を知る機会を提供しますが、皆さんがこのことを行なうべきであり、行なわなければ、それもいけないことです」 [6] と説かれました。

 私は努力して行ない、同修が地方へ資料を配りに行けば私もついて行き、市場で真相を伝えれば私も行きました。だんだんと多くを自分で伝えるようになり、親せきや知人から真相を伝え始め、私が生まれた村や結婚した村、そして、町や県内で真相を伝えました。そして、自分が住んでいる県内から隣の県へ、さらに、下の娘が行政機関のある街で結婚したので、私はその街でも真相を伝え始めました。さらに「自分は大法弟子だ」と心の中で考えると人を救いたくなったので、しっかり行ないました。慈悲の力は最大である、と師父が私たちに教えてくださり、慈悲とは情を修煉して取り除いた後の真の善の状態であることを修煉者は皆知っています。今では1日に2回外に出て、真相を聞こうとしない人に出くわさず、共産党組織に入った人であれば、話せばすぐに三退するので、一般的には1日に数十人を三退させることが出来ました。

 2017年の7月、私が居住している県内の新幹線が古くなっており、私は電車を降りて工事現場を通って真相を伝えに行きました。2メートルの高さの路盤では、上の方に人がいたので私は這い上がり、下の方に人がいれば下の方に移動し、いたる所が角ばった石で非常に歩きづらく、ある場所はどうやっても降りて行けません。しかし、下の方には3人の人がおり、最後にその現場で知り合った人が鉄梯子を持ってきてくれたので、それで下に降りて行きました。工事現場の労働者は地元の人もいれば、山東、河南、遼寧などの他の省の人達もおり、もしここで救わなければ、再会する機会などあるでしょうか? 7キロの道のりで30人近くの人に会い、大法を認めない人は一人もいませんでした。遠くまで歩いてきて振り返ると、救った人のまなざしは本当に感謝していました。その日は日差しが強くて、コンクリートや石への日差しで焼けつくようでした。その中を私は上がったり下りたりし、最後には、めまいと吐き気がして非常に辛くてたまらなくなりましたが、師父が私たちを救い済度するのに多くの苦をなめていらっしゃることを考えると、私たちが衆生のためになめている苦は何でもないことでした。

 真相を伝えるには人を選ばず、会えば誰にでも伝えるのですが、なぜでしょうか? なぜなら師父が「全世界の全ての人々はかつて私の親族でした」 [7] と説かれたからです。それでは、出会ったこれらの人は尊いのではないでしょうか? それならば、私たちはこの人達を救わなければならないのではないでしょうか? 私が衆生を親族とみなせば、その人達も私を親族とみなすのです。

 私はいつもあるマーケットの入り口で「站大崗(訳注:店舗を構えずに、路上で顧客を獲得 して事業を行う人)」をしている人を探して真相を伝えました。すると、いつも遠くから私を見るたびに「お姉さん、法輪大法は素晴らしい!」と叫ぶ人がいました。そして、その日は8月15日で、私はその人に「こんにちは、もう月餅を食べましたか?」と尋ねました。すると、その人はため息交じりに「どこにそんな金があるんだい」と言いました。そこで私は「待ってて、姉さんが買ってきてあげますから」と言いました。そして、私は身をひるがえしてマーケットの中に入って行きました。私は朝市の道を通り、急いでミカンと果物を山のように買い、持って帰ってその人たちに分け与えました。しかし、私にとって買って来たものは気にならず、心の中はその人達のことでいっぱいでした。そして半年後、またそこに行くと、すぐに大勢の人が私を囲み、久方ぶりに会った親族のように、その人達は争うように「お姉さん、こんなに長い間来ないで、どこに行っていたんですか? 私達はみんなあなたのことを気にかけていたんですよ」と言いました。

 道を歩いていると多くの人を見かけ、私は「ありがとうございます、師父。こんなにも多くの人を救いました」と申し上げました。駅には人が多く、夏に法輪功の真相を伝えに行きました。一時期、駅には戒厳令が敷かれ、黒いパトカーが停まっており、拳銃を持った特殊警察部隊が行ったり来たりしていましたが、私は「これは私とは関係ない」と思い、1時間の間に数十人を三退させることが出来ました。

 私は真相を伝えても奥深いことは話すことは出来ません。それは師父の教えに基づいたものであり、そして先に脱党のことを話してはならず、まずその人についての事情を聴き、世間話をしてから、中国共産党とは何か、大法とは何か、その人にとっての三退の重要な意義を実際の世間話の中に入れていくと、その人は三退しますが、ごくまれに反対に遭うこともありました。ある時、その人は携帯電話を手にとって、私のことを通報する、と言いました。そこで私は「お兄さん、そのような悪いことをしてはいけません、私は本当にあなたのためを思っているのです」と伝えると、その人は携帯電話から手を放しました。すると、頭の中に「もう話したくない」という念が浮かんできて、私はそれに気づくと「あなたは旧勢力の妨害を受けており、あなたが自らを守ろうとするのは私心です。私はあなたの言葉を聞きません。私は師父の言葉だけを聞き、衆生を救い済度しなければならないのです」とすぐさま排斥しました。すると、恐れの物質はすぐに取り除かれ、続けて真相を伝えて人を救いました。

 お正月になると、常人は団欒を待ち望みます。お正月になって子供が休みになり、私は子供にお父さんと継母に付き添うように勧め、私は1人で留守を守りました。そして、簡単に食事を済ませると真相を伝えに出かけ、7日間で数百人を三退させました。三退した人達は喜び、私も喜びました。

 私の叔父の家に同居しているいとこと、その家族3人は大法を認め、みな三退しました。春に種をまき、もう少しでまき終わるところで、上空でかみなりが鳴って雨が降りそうになりました。いとこ夫婦は「大法の師父、私たちを助けてください、種をまきが終わってから、雨を降らせてください」と師父に懇願しました。そして、頭上で雷が鳴っても2人は引き続き種をまき、やっとまき終わって家に戻ると、雨が「シャー」と降ってきました。また、雨の日のぬかるんだ道は「四輪駆動車」の車輪も空回りして進まず、いとこ夫婦はまた師父にお願いすると、車はダッダッと音を立てて動き始めました。そしてまた、いとこ夫婦の息子が外でアルバイトをして、高いところから転落しました。息子は「法輪大法は素晴らしい!」と叫びました。すると、息子はゆらりゆらりと落ちて行くような感覚を味わい、ちょうど下にあった野菜貯蔵室に落ちましたが、どこもケガをしませんでした。師父は本当に弟子と衆生のために苦労をしていらっしゃいます。そして、いとこの一家は私に「姉さん、大法の師父は本当に私たちに関わってくださっています」と言いました。また、いとこの村には大法弟子がおらず、いとこは私を連れて戸別に真相を伝えて人を救い、真相を理解した衆生はみな自分の位置を決めることが出来ました。

 私が真相を伝える主なものは面と向かって伝える方法で、1年365日のうち、360日以上、外に出て真相を伝えており、1年のうちに1日か2日を除けば、毎日真相を伝えに行きました。春に風が強くても、夏に日がカンカンに照っていても、冬に寒風が骨身を突き刺しても、私は怠ることなく人を救いました。そして、私はどこかに行けば真相を伝え、バスに乗ればバスの中で真相を伝え、歩いている時は通行人に真相を伝え、買い物に行ったり野菜を売りに行った時にも真相を伝え、ご飯を食べなくても食堂の人に真相を伝えました。東北地方の厳寒の候は零下30度以下になり、町には何人も人がいなくても出かけ、1日に10人か8人しか三退できなくても、出かけます。最も三退人数が多い日は新年の期間中で、私と同修は大きな山の村に行って、福の字と掛け軸を渡して真相を伝え、一軒一軒歩き、空が暗くなってから帰ります。私が覚えている三退名簿は107人で、中国共産党組織のどこにも入っていない人は数に入れておらず、みな法輪大法が素晴らしいことを認めて、救われた生命でした。私が自分で決めたのは、1日最低30人に三退を勧めることで、ほとんどが30人を越えていましたが、わざわざ人数を数えたりはしませんでした。そして、同修は私に「1年で三退した人数だけで1万人はいるはずだし、この数年で三退した人を加えれば7、8万人になるでしょう」と尋ねました。

 大法の修煉に必要なものは すべてそろっている

 大法弟子のお金は大法の資源です。同修は『共産党についての九つの論評』を作るのにお金がないので、金のイヤリングと金のネックレスを売りました。私は離婚後、手元に残った価値のあるものは家だけで、私は家を売りたいと思っていました。ちょうど前夫が人からお金を借りていたので、前夫を助けたいと思っていました。そして、上の娘も家を買いたがっていました。そして最終的に、前夫の債権者が私の家を買い、借金の分として1万5000元(およそ23万4000円)を差し引き、私に5万元(およそ77万8000円)をくれました。上の娘に1万5000元を渡してこまごました借金を返し、さらに3万元残ったので、すべて『共産党についての九つの論評』に使いました。

 普段、私の退職金はほとんど大法の資料のために使いました。師父が代わってくださっていたので、私には生活上の憂いはありませんでした。そして、2人の娘婿も大法が素晴らしいことを認めていました。また、2人の娘も私のお金を使わず、下の娘は逆に私にお金をくれました。また、私自身の生活はとても簡単で、みそうどんで食事を済ませました。同修がカップ麺を買って来た時に、私は「こんなに高いモノを買って、同じお金で干しうどんを買ったら何回食事ができるかしら」と言いました。ある時、ある同修が駅で真相を伝えるのに私を連れて行き、40人以上を三退させた後、その同修はケンタッキー・フライドチキンで飲み物を2杯買って来て「1杯8元です」と言ったので、私はとても心が痛みました。しかも、私はこのような飲み物を今まで飲んだことがありませんでした。ある時、1足185元のサンダルが気に入り、2回見に行きましたが買うのがもったいないと思いました。しかし、資料拠点では資金が必要で、いくら使っても惜しくはありません。サンダルを買うお金は資料拠点で使うべきだと思いました。

 同修は私に、外観を気にするように注意しました。私もパーマをかけ服装に気を配るべきだ、と言いました。しかし、私自身が真相を伝えた経験では、見た目が整っていればそれでよく、高級な服を着たり、おしゃれをする必要はなく、人を救うのに肝心なことは心を込めることでした。しかし、衆生を救い済度する中で、実際は師父が行なっておられ、師父は何でも私たちに教えてくださり、慈悲の力をお与えになり、加持してくださっています。私が最も希望することは、師父に対して出来るだけ恥じないようにすること、そして、私たちに対して期待を寄せる衆生にもっと申し訳が立つようにすることです。

 今、私に家はなく、貯金もなく、娘2人は自分たちの家に住んでほしいと思っていますが、私は衆生を救い済度することを主としており、バックパック一つに簡単な服を入れ、歯磨きセットと法輪功の資料を入れて、必要があれば真相を伝えに行き、どこに行ってもその場所で真相を伝えています。そして、同修が持っている空き家や親類の家、小さな宿、地下室など、私はどこにでも住みました。

 はっきりと覚えているのですが、労働教養所と刑務所の隊長が私に「法輪功を修煉して、あなたは何を得るのですか?」と尋ねたことがありました。そこで、私は笑いながら「何もかも得ています」と言いました。今生で大法弟子となり、神の使者となり、私には最も偉大な師父がいらっしゃり、『轉法輪』という貴重な書籍があり、救われた衆生がおり、師父はこの上ない栄光と未来のすばらしさを私たちにくださり、私はさらに何を希求するというのでしょうか? ありがとうございます、師父!! ありがとうございます、師父!!

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「唯一の希望」
 [2] 李洪志師父の著作:『導航』「ワシントンDC国際法会での説法」
 [3] 李洪志師父の経文:『北米第一回法会での説法』
 [4] 李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」
 [5] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [6] 李洪志師父の著作:『各地での説法七』「米国首都法会での説法」
 [7] 李洪志師父の経文:『二〇〇三年元宵節での説法』

 (明慧ネット第14回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/10/356200.html)
 
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