心の枷を突き破り、勇猛精進する
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2019年12月13日】すべての人心と執着は、私達の真の自分(主意識)を拘禁する刑務所です。それらは私達を騙し、迫害し、傷つけ、真の自分に取って代わっているにもかかわらず、私達はそれらを真の自分だと勘違いし、それらに従い、妥協し、守ろうとしています。私達は世間の刑務所、留置場、中国共産党、警察などの形あるものを警戒し、恐れていますが、心の中にある形のない刑務所(それは真の刑務所で、もっと邪悪な場所)を軽視しているのではないでしょうか。そのため、私達は精進することができず、前進することが出来ません。 

 最近、刑務所から出所したばかりのある同修と一緒に法を学び、交流しました。彼は刑務所で10年間も服役し、その前に2年の労働教養も強いられ、留置場に拘禁されたこともありました。彼の話では、自分が行っていない迫害拠点はないという事でした。修煉してからの二十数年のうち、彼は十数年も刑務所で過ごし、迫害を受けました。私は同修に同情し、彼の為に悲しく思いました。しかし、改めて考えれば、その同修は今でも修煉を放棄しておらず、法を学び続けていることは、幸いではないかと思いました。 

 1999年7.20に迫害が開始されてから、すぐに修煉を放棄した人、途中で放棄した人達を思うと、彼らこそ、本当に可哀そうな人ではないかと思います。彼らは連行されたり、拘禁されたりする心配がなく、自由自在に生活しているように見えますが、彼らの真の自分、主意識は邪悪に拘禁され、人心という枷(かせ)に縛られ、迫害を受けているのではないでしょうか。また、一部の世間の人々は中国共産党の虚言に騙され、眞実を知ろうとせず、甚だしきに至っては大法の真相を拒否しているのですが、彼らは形神全滅という恐ろしい結末に直面するかもしれません。彼らこそ最大の被害者で、彼らの境遇こそもっとも悲惨ではないでしょうか。これらの事を思うと、私は同修のことを悲しまなくなりました。世間の損得はちっぽけなことで、私達が放下すべきものは執着です。もちろん、私達は旧勢力の按排と迫害を決して認めません。正念を持ってそれらを一掃しなければなりません。 

 世間の刑務所、留置場は最も恐ろしい場所ではありません。人の思想、魂、真の自分、主意識が人心という枷に縛られることは、最も怖いことです。そして、世間の様々な誘惑の中で自分を見失い、墜落し、中国共産党の虚言に騙され、大法の真相を信じず、大法に救われる機縁を失い、神に永遠に見捨てられてしまうことこそ、生命にとって、最も怖くてもっとも悲しい事ではないでしょうか?

 心の枷は邪悪が私達を迫害する手口です。それは真に自分を縛るロープで、次元を高める障害物であり、我々を迫害する本当の刑務所です。

 心の枷を突き破れば、はじめて明るい未来を迎えることが出来、はじめてもっと精進することが出来、はじめて解脱して自分の家に帰ることが出来、はじめて昇華して幸せになれるのです。

 心性の向上を重視し、内に向けて探し、自分の一思一念に気を付け、人心に動かされず、人心の虜にならないで、はじめて心の枷を突き破ることができ、勇猛精進することができるのです。

 法を正す時期の大法弟子として、私達は衆生を救い済度する偉大な使命を背負っています。大法弟子がやるべき三つのことをしっかり行なうことは、絶えず心の枷を突き破ることになります。三つのことをしっかり行なえば、もっと速く、もっと徹底的に心の枷を突き破ることができ、偉大な圓満成就を成し遂げることができるのです。

 不適切な所があれば、ご叱正を宜しくお願いします。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/18/395901.html)
 
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