法輪大法は素晴らしいと念じ 難に遭う度慶事に転ず
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年12月15日】私は2004年から法輪功を修練し始め、今年で51歳になります。師父は私の身体を浄化し、それ以降、私を病気の苦しみから逃れさせてくださいました。

 私は毎日心から敬意をもって「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と念じています。この十数年間、私は身をもって多くの危険なことに直面しました。しかし、師父の慈悲のご加護のもとで、危険な状態を好転させることが出来たことをここに書き出して、大法の超常さや、師父の偉大さをこれらをもって証明します。

 一、雨にぬれず、雹にも当たらず

 2006年4月のある日、私は自転車に乗って外出していました。帰り道の道中のことで、前方およそ2、3㎞の道のりにわたり、突然雨雲が広がり、暴風が吹き荒れ、瞬く間に天地が暗闇に包み込まれました。まるで世界の終焉のようで、私に恐怖心を抱かせました。

 続けざまに雹(ひょう)まじりの豪雨が、容赦なく真っ向から叩きつけてきました。吹きすさぶ風によって人は立つこともままならず、目を開くことも出来ず、自転車を漕いで運転するなど今さら言うまでもないことです。雹が大地を打ち、自転車からガタンガタンと音が上がり、大きな雨粒はパチパチと地上に砕け散り、道路は程なくして小さな川へと変わりました。

 私はただ目を細めて心の中で絶えず、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じながら、自転車を漕ぎ続けることしか出来ませんでした。その時、私は向かい風に逆らって自転車を漕いでいましたが、誰かが後ろから押してくれているような感覚があり、それほど苦労もなく家に到着しました。

 主人は、ちょうど私に雨合羽を届けようと用意していたところへ、私が無事に帰って来たのを見て、安心しました。私が門をくぐると、すぐに服を脱ぐように言いました。ベランダで干しているときにようやく、私の服が乾いていたことに気づいて、驚きました。また、髪を触ってみましたが、やはり乾いていました。主人は疑惑のまなざしを私に向け、とても不思議そうでした。私は「師父が私を護衛して、送ってくださいました」と言うと、主人は「なんと、神がかり的なことだ!」と何度も言いました。

 二、マチェーテ(山刀)で手を切るも 傷口がふさがる

 2011年の大晦日、私たちは姑の家に行って年を越しました。私と主人は、姑のために厨房の片付けをしていました。私は、磨き上げられたばかりのマチェーテ(※)を洗っていました。切っ先、刃ともに鋭利で、見るからに恐ろしかったのです。私は左手で刀を持ち、右手で洗っていました。それでも一瞬の不注意で、やはり手を傷つけてしまいました。右手の親指の爪の下約2㎝のところを切ってしまい、傷口はとても深く、白い骨が露骨に見えました。おそらく、傷は筋あるいは血管に達していたかもしれません。鮮血が吹き出てきて驚き、私は本能的に「うわっー!」と大声を上げ、急いで左手で傷口を押さえました。

 主人は私の手が血まみれなのを見て酷くおびえてしまい、成す術もわからなくなり、「大丈夫か、病院で診てもらおうか?」と問いかけました。私は「大丈夫。私たち二人で、法輪大法は素晴らしいと唱えましょう!」と答え、傷口を押さえながら、心の中で何度も何度も繰り返し「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と一緒に念じました。

 姑は物音を聞きつけ、すぐに絆創膏をもってきて私に貼るように言いましたが、私は「私には師父がついておられるので、大丈夫ですよ」と言いました。姑はとても心配し、頑なに貼ろうとしました。私は彼女の手を振り払えず、仕方なく貼りました。初めは傷口の辺りに激痛を感じていました。この痛みは放射状に痛み出し、指から掌、それから前腕と二の腕、そのまま肩から頭のてっぺんにまで広がり、私は心臓がバクバクと跳ねているように感じました。しかし、しばらくすると次第に痛みが薄れていき、私はビニール手袋をはめて、そのまま片付けの続きを行ないました。

 午後になると、傷口付近に針を刺されたような痛みが生じました。そこで私はようやく、絆創膏は常人が貼ることで効果を発揮するもので、私は修煉者であるから、常人の方法を用いてはならないことを悟りました。私には師父がついておられます。そこで姑が見ていない隙きに、絆創膏を剥がして捨てました。

 その際、不思議なことに手は全く痛くありませんでした。傷口は時々熱を帯びるような感覚があり、みるみるうちに傷口はふさがり、それはとても心地のよい感覚でした。夜になり、餃子を作る頃には、私は餃子の皮をつくり、いつものように鍋やお椀などを洗うことができました。どんな家事も支障をきたすことはありませんでした。さらに不思議なことに、後になってわかったのですが、傷口の部分には傷跡さえ残っておらず、私自身でさえ傷口の正確な部位を説明できないほどでした。

 三、バイクと共に階段から転落するも無事

 2016年8月のある早朝およそ4時前後の頃に、私は地下室から外に向かってバイクを押していました。階段が急勾配な上に、私のバイクが重たいせいで最後の階段を登ったとき、ペタルが階段に挟まり、私がいくら力を入れてもビクともしませんでした。その時、私は足を滑らせて、バイクもろとも「ドカン」と音を立てて転がり落ちてしまい、重量のあるバイクが私の上に叩き付けるように落ちて来て、頭を階段の手すりにぶつけました。その際、私は目がくらんで頭がふらふらし、目の前には星がいくつも見えたのですが、後ろへ向こうとした時に腿(もも)と足をくじいてしまい、力を入れても座ることすら困難でした。

 朝早すぎたために人々はまだ起きておらず、周りには誰もいませんでした。私は心の中で師父に向かって「お願いです師父、弟子をお救いください! 法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と発したこの時、私は本当に師父が来てくださったのだと感じました。師父は私を地面から引き上げられました。私はこの時に、頭のてっぺんからつま先まで一陣の熱い流れを感じました。私はいじめられた子どものように、泣きじゃくりました。

 しばらくして、私は自分の頭をさすってみましたが腫れておらず、身体のどこも痛くありませんでした。私はバイクを起こして、どこも壊れていないことを確認して、心の中で「大法は素晴らしい!」と念じ、いとも軽やかにバイクを地上に押し上げました。

 四、椅子の上から投げ出されるも無事

 数日前、私は入浴をすました後、ワードローブ(衣装戸棚)を整理しようと準備していました。うちのワードローブはとても高く、天井まで届きます。私が椅子に乗り、つま先立ちしても届きません。私が背伸びした時、椅子の上の座布団が滑って落ちてしまいました。私は地面に投げ出され、仰向けになり、転倒したショックで頭が真っ白になりました。私が気が付いた時に、まず初めに「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と念じました。

 その際に、すさまじい音を聞きつけた主人が急いで私を起こして、心配そうに「どうしたの、打ちどころは悪くないか?」と尋ねました。私は手足を動かしてみましたが、どこも痛みを感じなかったので、「大丈夫、師父が私を守ってくださいました」と言いました。

 椅子を見てみると4本の足が天を向き、壁に小さな穴が二つ開いており、幅木がへし折れ、別の壁の壁紙が一部ぶつかった衝撃で剝けており、どれほど重く打ち付けられたのかを物語っていました。どれほど凄まじい出来事だったかしれません。しかし、師父の見守りのもとで、髪の毛の1本たりとも傷ついていませんでした。

 このような出来事はまだまだ多くあります。すべて私の身に実際に起こったことです。これらの忘れがたい経験を思い出す度に、私の心の中は師父に対する、大法に対する無限の感謝と畏敬の念で胸がいっぱいになります。同時に私は世の中に人々に「『法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!を心に刻めば、凶に遭えば吉と化し、難に遭えば慶事(めでたい事)に転じる」と伝えたいのです。

 ※ マチェテ(「マチェーテ」「マシェット」とも言い、中南米の現地人が使う「山刀」のスペイン語による呼称である。この種の刃物は広く世界的に分布し、その呼び名もまちまちである)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/22/392486.html)
 
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