明慧法会|明慧文章を編集した修煉体験
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文/ドイツの大法弟子

 【明慧日本2019年12月18日】

 師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 1、修煉を始めて2週間の内に慢性病が治癒した

 2000年、私と女性の同僚は法輪大法煉功を訪ねました。私たちは観念や考えを何も持たずに修煉を始めました。修煉を始めて2週間の内に、7年の長きにわたって患っていた私の慢性の腸道疾病が治療せずに治りました。修煉を始める前、医者は私を入院させ、リハビリをずっと続けさせましたが私は全く健康になりませんでした。2週間にならない内に私の健康を回復してくださった法輪大法に感謝申し上げます。

 師父は「最も顕著な変化はあなたの身体が速やかに浄化されることです。中国大陸で多くの人が知っていますが、法輪大法はとても不思議です! 修煉すれば病気がすぐ治ります。なぜでしょうか? 多くの人は病気治療を求めず、大法が素晴らしいと思って修煉を始めたのですが、病気が治りました」[1]と説かれました。

 ついに正しい道を探し当てたと私は確信しました。

 2明慧に従事する

 2000年に修煉を始めて以来、私は明慧ネットに対する敬意でいっぱいでした。私は小さいころから読書が好きでしたので、同修の修煉体験に対して非常に興味を持ちました。特に私は中国の同修の修煉体験に深く同感しました。なぜなら早くも十数歳の時に私は中国から来た多くの書籍と物語を読んでいたからでした。ある修煉体験に私が感動したら、私はその修煉体験を私たちの地元の修煉者の交流チームに持っていくことがありました。今日(訳注:2019年5月)まで私はいつもこのようにしています。

 7年前、明慧で仕事をしている1人のメンバーが修煉交流文章の校正を手伝う気はないかと私に尋ねた時、私はすぐに怒り始め、その要求をわきに置きました。当時私の職場のすべての同僚はみな私が他の人を助けたがっていることを知っていました。もし同僚たちが他の事情があり、仕事をしたくない時、同僚たちはいつも私が援助を提供するだろうと期待していました。その他に、私は時間がある時、大法を実証する様々なプロジェクトに参加しました。私にどうして明慧の校正を行なう時間をさらに見つけることができるでしょうか?

 今(訳注:2019年)振り返ってみると、当時の私は安定した修煉状態になかったことに気づきました。中国における残酷な迫害は、私を落ち着いた日常生活から呼び覚まし、私は真相を暴露することを非常に渇望したので、いつも法を実証する仕事に忙しかったのです。私はさらにインフォメーションデーを組織し、法輪功の資料を配り、中国の観光客に接触したらすぐに神韻を広める手助けをしたいと思っていました。その時私は煉功と毎日の学法を二義的な位置に置いていました。私は非常に努力し、さらに各種の活動こそ修煉であると思いました。しかしその後「私の心性はとても長期にわたって改善していない」ことを私はやっと認識しました。

 その後、私はこの高い要求の仕事に参加し、さらにその中で成長し始めました。私が文章を校正する時、自分を作者のその境地に置いて考えるようにした時、とても時間を消耗しました。今(訳注:2019年)振り返ってみて、最初の数カ月間私は1編の文章を校正するのに6~8時間かかることがありました。内容がちぐはぐになってしまった時、私はある中国の同修に助けを求めることがありました。その同修はいつも中国の状況を私に解説し、表現と行ない方を解説してくれます。その後その同修は私たちの大法のウェブサイトの翻訳の仕事も始めました。

 当初私は高いレベルで1編の文章を校正すべきだと把握できていませんでした。はっきり覚えているのですが、ある中国の同修の修煉体験は受益するところは大きかったのですが、この文章はわかりづらいドイツ語で翻訳されていました。数時間後私はやっと自分の校正に対して満足しました。私はわかりやすいドイツ語の表現を探し当てたことに気分よくなりました。しかし最終の校正原稿を受け取った時、私のほとんどの校正は、もとの翻訳に戻されていることに気づき、「私の自尊心と歓喜心が旧勢力に利用されたのか?」と少し困惑しました。そこで次の文章ではあまり編集しないようにすると、今度は「もっとうまく文章を校正すべきだ」と責任者の同修から提言されました。

 3、文章を校正する中で多くを学ぶ

 私は「死線をさ迷う同修を救い出す」という修煉体験から多くを学びました。同修は師父と法を信じて堅く正しい信念を持ち、中国共産党に迫害され、末期の肺がんになった同修の命を救い、2人の同修は師父の写真の前で一晩中『論語』を暗唱し、最後にこの大きな魔難を打破しました。私はこの堅く正しい信念に深く感動しました。

 それから私も『論語』を暗唱することを非常に重視しています。このような方法を通して私は困難な状況下で執着を見つけ出し、難関を克服しました。私の同修に対する寛容と慈悲も増しました。私たちの協調人はかつて「『論語』を暗唱することは天国の扉への懸け橋に通じることだ」と私たちに気づかせました。

 私たちの師父は「『轉法輪』の中の全ては「論語」に含まれています」[2] と説かれました。

 また「9年間経文を闇監獄に送り続ける」という修煉体験にも私はとても感動しました。ある女性教師の息子が法輪大法を修煉したため不当に逮捕され、懲役20年の判決を受けました。9年以上にわたってこの母親は苦労と危険を顧みず、刑務所内の息子に師父の新経文を送り続けました。初めてこの文章を読んだ時、私は泣きました。文章を校正する時、私は母親と息子のことがばれてしまう危険があると感じました。この母親は息子を助け、またその他の多くの同修の奉仕の精神に私の同情心は増しました。私は心の中で恐れました。私は母親と息子のことがばれて痛めつけられるかもしれないことを心配しました。この母親は強大な正念と法に対する動揺することのない信念に則って恐怖を克服しましたが、自由社会で生活している私はやはり恐れる心を抱きます。私がこの文章を読んだ時、転向しない中国の同修に対する理解と同情も増しました。

 「佛法修煉の殊勝さと厳粛さ」という文の中で、同修は自分の経歴を述べており、同修は釈放されて数年経ってもやはり自分がすでに大法から離れ、刑務所内の同修たちを売ってしまったことに気づいていませんでした。何度も自分の「転向」が間違っていたのかどうか問いかけ、9年後に師父の慈悲なる啓示と同修たちの無私なる援助により大法の中に戻ってきました。私はただ同修の自分自身の罪悪に対する深い後悔を推測することができるだけでした。この文章を通じて私は今(訳注:2019年)でもやはり誤った人の観念を用いていつも同修たちに対処し、さらに同修たちに対する同情の心が欠乏していることを認識しました。中国の多くの同修はどのような苦痛と悲しみを経験しているのでしょうか!

 明慧の仕事は私の修煉に大きな促進を働き、作者がしっかりと学法することを述べても、困難を克服し毎日煉功することを述べても、法の暗記に関して述べても、同修とのトラブルについて述べても、内に向けて探すことを述べても、あるいは日常生活の中で法輪大法の「真・善・忍」の法理に同化することを述べても、促進作用を働きます。

 師父は「相手の態度もちょうど修煉の機会ではありませんか?」[3] と説かれました。

 私は同修の文章を校正することを通じて、その中から啓発を受け、修煉初期に私も『轉法輪』の本を書き写し始めました。その後私も『轉法輪』を暗唱しました。

 私にとって、明慧ネットは重要な作用を働いています。明慧ネットは向上を助けてくれるだけでなく、多くの同修がウェブサイト上の全世界の大法弟子の修煉体験を通じて向上し、自分の人心と執着を見つけ出し、さらに困難と問題を克服します。私たちは最も重要な資料に基づいて中国における迫害を暴露し、これによって師父のご加護の下で衆生を救い済度します。ですから私は文章を校正する時も修煉していない常人が私たちの文章を理解できるように注意します。1編の文章を校正する前に、私は『轉法輪』を一講読むようにしています。最終校正の文章を受け取る時、私は文章を通読し、さらに改められたところをチェックしています。それから校正するために作ったドキュメントにいくつかの言葉や表現や注釈を補充しています。ウェブサイト上で修煉交流を読む時、私たちが互いに協力し合う力を感じ、作者から翻訳まで、さらに校正され、さらに翻訳文が最終校正されます。良好な協力と他のチームメンバーの信任を通じて私はチームに溶け込むことをマスターしました。

 編集するすべての修煉体験の中から、私たちは学習し自分を改善し、心性を向上させることができます。近年法に対する私の理解は非常に深まり、遭遇するすべての事柄に対して法に則って考慮することをマスターしました。師父のご慈悲にこの上なく感謝しています。私は以前は優位に立ちたがり、傲慢でしかも怒りっぽい人間でしたが、今(訳注:2019年)私の心はだんだんと善と寛容に向かい、同修の方向に向くように変わっています。私は一層平和的で友好的に変わっています。私は物事を自然のなりゆきにまかせて発展させることをマスターしましたが、それは自分がすべてをコントロールすることではありません。私は現在(訳注:2019年)「私たちの修煉の中で起きたすべては、みなよいことである」という法理を受け入れ理解することができます。その法理を理解できてから私の環境と家族の関係も改善しました。ここ数カ月来私は師父が要求されている「三つのこと」をさらに良く行なうことができています。私は明慧メンバー間の楽しいチームワークを大切にします。私はこの修煉環境を大切にします。すべての同修の支持に感謝いたします。

 最後に、この師父の「着実に修める」の詩でみなさんにアドバイスしたいと思います。

 法を学びて法を得る

 比べて学び比べて修す

 事々対照し

 做すところ至るは是れ修なり[4]

 私は早く自分の人心、観念と執着を認識し、さらにそれらを取り除くことができように希望します。

 師父に感謝申し上げます! すべての同修に感謝いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『シドニー法会での説法』
 [2] 李洪志師父の経文:『米国西部法会での説法』
 [3] 李洪志師父の経文:『カナダ法会での説法』
 [4] 李洪志師父の詩:『洪吟』「着実に修める」

 (明慧20周年法会の交流文章より抜粋、 編集)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/24/387640.html)
 
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