黒龍江依蘭県の警官 李艶傑さんを死に追いやる
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 【明慧日本2019年12月23日】(黒龍江省=明慧記者)黒龍江省依蘭県達連河鎮の法輪功学習者・李艶傑さん(41)と夫の宮鳳強さん(48)は、法輪功を学んでいるという理由で、20年間にわたる酷い迫害の中で、何度も連行され、実刑判決を下され拷問により苦しめられた。夫の宮さんは懲役5年の実刑判決を宣告され、刑務所で苦しめられ心神喪失になり、危篤状態に陥ったことがある。そのため、夫婦は他人が羨ましがるほどの仕事と幸せな家庭を失い、故郷を離れて転々として困窮した放浪生活をし、李艶傑さんは死亡した。

 1992年、法輪功は吉林省長春市から伝え出され、その後間もなく、李艶傑さんの農機幹部学校のキャンパスにも伝わった。学生時代の李さんは法輪功の「真・善・忍」の法理に震撼させられ、すぐに学び始めた。卒業後、李さんは幼稚園の先生になった。

 その後、李さんは夫の宮さんと結婚した。当時、宮さんは依蘭炭鉱に勤めており、給料が高く待遇も手厚かった。

宫凤强
李さんの夫の宮鳳強さん

宫凤强的女儿宫宇
娘の宫宇

 しかし、1999年7.20、江沢民は手中の権力を利用し、中国全土で文化大革命式の法輪功への壊滅的な迫害を引き起こした。李さんの生活している依蘭県でも、これらの迫害を免れることができなかった。

 依蘭県610弁公室の関係者らは連座制を導入したため、学習者であるというだけで2人は勤務先を解雇され、連行される中で夫婦は仕事を失った。李さんの産後10日目にも、警官らがまた連行しにやって来た。夫の宮さんの目の前で、警官らは出産したばかりの李さんを強制連行した。その時、姑は酷寒の雪の中で意識を失った。

 出所した後、夫婦は生計を維持するために冷麺製造の商売を始めた。李さんは誠実に客に接して良心的に経営し、冷麺の商売は繁盛していたが、迫害を避けるために、冷麺工場を閉鎖して夫婦は再び放浪生活を余儀なくされた。

 2006年、依蘭県の大規模な連行運動の中で、李さん夫婦は再度連行された。宮さんは懲役5年の実刑判決を宣告され、李さんは脱走した。刑務所でひどい迫害を受けた宮さんは、心神喪失になり危篤状態に陥った。刑務所側は責任を逃れるため、生きる望みがない宮さんを一時出所させた。その後、虫の息となった宮さんは奇跡的に生き返った。

 2019年12月7日の夜8時過ぎ、李さん夫婦が住む七台河市総合病院の東側にある旧いビル内で、激しく扉を叩く音がした。その時、「宮鳳強、お前らがここにいることはわかっている、ドアを開けなくても、俺達にはいくらでも方法がある」と外から罵声を浴びせた。

 李さんは親族に知らせようとしたが、携帯電話の通信が遮断されて送信できなかった。外の警官らは隣人の部屋をノックし、宮さんの写真を持って扉の覗き穴に向けて、「この人を知っているか? ここに住んでいるか?」と向かい側の住民に聞いた。

 向かい側の住民はどのように答えたか分からないが、扉を叩く音と足音が緊迫化したと感じられた。1階にとめてあるパトカーのライトが点滅し、廊下で警官らは鍵屋に依頼の電話をかけた。しかし、30分経っても鍵屋は来なかった。すると、警官らは現地の公安局から鋸ぎりを借りて来て、金属扉を切る音がし始めた。部屋の中の宮さん夫婦は、カーテンとシーツを割いて繋いでロープにし、そのロープを窓から下ろした。

 その時、廊下がますます騒々しくなり、もうすぐ扉が開く直前に、妻の李さんが先にロープにつかまって下りた。そして、夫の宮さんもロープを掴んで下り始めたが、4階の所でシーツで作ったロープがちぎれて落下した。

 昏睡状態から意識が戻った宮さんは、そばに倒れている妻が呼吸していないように感じ、体を押しても声かけても返答してくれず、妻に近づき触れてみると、すでに呼吸が停止していることが分かった。

(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/12/13/397006.html)
 
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