文/米国の大法弟子
【明慧日本2019年12月26日】同修が2019年の7月中旬頃に、毎朝外で集団煉功するようにと呼びかけました。1日目は約8人でしたが、2日目には12人まで増えました。しかし、それ以後は徐々に減っていき、毎朝4人ぐらいになりました。そしてまた、1人の同修が都合により来られなくなって、結局のところ、安定して参加できる人は3人でした。
ある日、私は都合で煉功点に行けませんでした。次の日、あとの2人の同修と会うと、1人の同修は私に低い声で、「昨日は2人だけで、とても寂しかった」と言って、とても残念そうな表情を見せました。正直に言うと、私もあまり外で煉功したくないと思いましたが、メンツにかかわるのでここに来ていました。その理由としては主に時間が無駄だと思いました。全員が集まる場所まで車で5分かかり、その上、駐車するのに時間がかかることを考慮すると、往復で約20分かかります。当日行けない理由があり、心の中で良かったと思いました。後の交流でこの2人の内の1人も、「人が少ないのにこのまま続けて、何の意味があるのか」と考えていました。
公園の煉功点の正面には教会があります。最近のある朝のこと、その教会に礼拝しにやって来た白人の女性がいました。その女性の身なりを見ると上流社会の人だとすぐ思いました。彼女は私たちに「何をやっているのですか?」と聞きました。同修は「これは法輪功の功法です」と答えました。その女性は嬉しそうに「法輪大法を知っています。天国楽団のパレードを見たことがあり、その演奏はとても良いものでした。私も法輪功を煉功したいのですが」と言いました。このことで、同修はここで煉功することは衆生を救い済度することに繋がるので、必ず続けなければならないと認識しました。
別の煉功点の同修がたまに来て煉功に参加しますが、安定する人数がずっと増えていませんでした。皆の気持ちが少し落ち込んできていました。この時、師父は別の方法で私たちを励まされました。
ある火曜日、私たちは1時間の第二功法の頭の両側で法輪を抱える煉功ときに、私に次のようなことが見えました。ある30代の白い服を着た女性が私の右側のそばで煉功し、私の前には5、 6人の男性が一列に並んで、煉功しているのが見えました。私の左側にも2人の若い女性がいて、同修の左側には、十数人の中年の人が半円形に並んで煉功していました。煉功が終わると私は皆に、「今朝は、5、6人の男性が私の前で煉功していましたよ」と言うと、同修は嬉しそうに「本当ですか? なぜ、私には見えなかったのでしょうね」と言いました。私は「これはきっと別空間のことよ」と言って、見た光景を皆に話しました。もう1人の同修も嬉しそうに「それなら、私たちは寂しくないね」と言いました。
またある日、第二功法を煉功している時に、私ともう1人の同修の前に3人の古代の服装をした武士が立っている光景を見ました。彼らは背が高くて、特に両足でしっかりと立った様子は、どんな強い台風の中でも動かされないような頑丈な体格でした。彼らは鉄で造った武具を身につけ、腰には剣をさしており、非常に勇壮な出で立ちで、私たちと同じ方向に向いて立っていました。私の左側には2人の天女がいて、1人は赤色の裳(も・羽衣)を着て、もう1人は緑色の裳を着て伝統的な踊りを舞っていました。第三功法の時に、私ともう1人の同修の前に直径1メートル、高さが30メートルの白い光の大きな柱が現れ、非常に壮観でとても綺麗でした。後に、師父の説法を聞いて、それが功柱だと分かりました。そして、これは師父が励まされているのだと悟りました。
また数日後、第二功法が終わって第三功法を煉功していたところ、私は突然自分がとても大きくて、とても高くなったように感じました。肉体が中心核で、肉体の周りに一層一層の自分の体があり、煉功音楽に従って衝灌をしていました。第四功法では、両手が頭を通過する時に、両手が私の別の空間の大きな体のふくらはぎの所から通っていると感じて、手のひらで自分の髪の毛を触った時、自分の肉身を初めて感じました。別の空間の自分の体はまだ煉功音楽に従って動いており、私の心はこの素晴らしい気持ちに満たされ、体が最高の演化した状態になっていました。
その後、また不思議な光景を見ました。その日、私の目の前に天地が濃霧で覆い被さっているような景色が現れました。濃霧の中から7、8個の石の杭の上半分が露出しており、高さは1メートルぐらいで、低い所から高い所まで弧を描いたように長く伸びているのが、濃霧の中に見えました。すると、人々が地面の濃霧の中から出て来て、音楽のリズムに従って石の杭に上って、一歩一歩注意深く上の石の杭に向かって歩いていました。するとさらに上の方に、師父の法身が石の杭の曲がり角に立っておられ、黄色の袈裟を着ておられました。足は濃霧の中で見えず、体を前に傾けて表情が険しく、少し疲れたご様子で人々を見守っておられました。この時に大音量で音楽が急に流れて来て、師父が両手を広げて一群の人達を送り出されていました。その人達の目前で濃霧が両側に二つに分けられて上に向けて巻き上がり、この人達をさらにもっと高所の濃霧の中に押し上げられ、このような場面が繰り返されていました。ちょっと高い所に難民のような感じの人が、4、5人で車座に座り、心配そうに悩んでいる顔つきで、服装も乱れていました。やっと逃げて来て少し興奮ぎみの表情もあり、何か相談しているみたいでした。少し時間が経つと、もっと高い次元が見えました。その高い次元の所は濃霧の色が薄くて白く、数人が石の杭から出て来ました。体は大きくて笑顔で、引き続き前に進んでいます。もっと高い場所には、ある人物がはっきりと見えました。その人は観光地で真相を伝える同修でした。私の悟りでは、観光地で真相を伝える同修が天国への道の一番先頭を歩いていました。彼らの次元はとても高い所にありました。
振り返って考えると、この4回見えた別の空間の光景は、すべて1時間の第二功法を煉功していた時でした。最初、30分の第二功法を煉功していましたが、何も見えませんでした。1時間の第二功法を煉った僅か数回の煉功で、私は4回も別の空間の光景を見ました。
勉強会の時、皆と交流しました。同修達はこれは1時間の第二功法を煉功するようにという、師父の励ましだと言いました。私は家で1時間の第二功法を煉っても、別の空間の光景を見たことがありません。だから、師父が私たちに外で煉功するようにと促され、そして、1時間の第二功を煉功するようにという励ましだと思いました。師父はこの時点で1時間の第二功法を発表されて、なおかつ異なる要素を与えておられます。私たちは師父に必ずついて行こうと思いました!
その時から、私たちの煉功場では毎日1時間第二功法を煉功しています。現在、第二功の音楽が鳴ると、私はいつも自分が奥深く、広大な他の空間に入ったかのような感じがします。音楽のすべての音節がみな異なる意味を表しているように感じ、音楽のすべての旋律がみな、師父が音楽によって説法なさっているように感じ、そして私は(聞くのではなく)耳で法を「読んで」います。心を静めてその荘重で美しい音楽の境地に入りさえすれば、ある種の荘厳で、荘重で、慈悲深い感覚が全身を貫き、師父が大慈大悲に苦しい境遇から衆生を救い出していらっしゃることを感じます。これが始めから終わりまで、私がこの第二功法の音楽に対する一種の感覚です。その異なる音節がみな、私の頭の中に異なるさまざまな記憶としてうっすらとかすかに現れ、異なるさまざまな光景として目の前に浮かんでくることがあります。それは師父が古の歴史の修煉物語を説かれておられるかのようです。また師父が深みのあるお言葉で、私たちに言い聞かせてくださっているかのようです。人類はすでに危険な境地に入っており、早く危険な状態から抜け出すように、人々に啓発してくださっているかのようです。第二功法の音楽のリズム感ははっきりとしており、澄んでいて耳に心地よい楽曲です。師父が手を使って、法理の真珠を一粒一粒人間世界にまき散らしておられるのが見えます。法理の真珠が玉の皿の中で動いて駆けめぐり、この素晴らしい音楽を演奏しています。そのあたかも揺らめくような清新でやんわりとした音楽が人の心をたたいています。呼び覚まされた人々が急いで俗世間から逃れ、美しい天国世界へ向かっているかのようです。この時私は、自分の心臓がこの音楽の影響を受け喜び、震えているのを経験することができました。それは強い電流が通過したかのような感覚でした。このような感覚が出て来てから長い時間ではありませんが、私は毎日真剣に聞き、注意深く読み、音楽の中のすべての音符を体験しながら、体全体がこの旋律の中に入ります。上にあげたその両手は自然に形成された軌道の中を運行し、一種の漂手勁(ピアオショウジン・訳注:手を伸ばして緩めた時、その手が自ら漂うように戻る状態)を本当に経験し、とても気持ちがいいのです。
外での煉功の時間が長ければ長いほど、もっと多くの大法の法理が美しい煉功音楽の中で、私に現れてくると思います。そして、私の法への理解がこれでもっと深くなると思います。『轉法輪』を読んでいる時のように、最初は表面から理解していき、さらに徐々に、徐々にもっと奥深い法理を理解できるようになるのだと思いました。
法輪大法は性命双修の功法です。外で煉功する時、自分の機制を強められるし、本体を高エネルギーに転化していると同時に、また師父は音楽で表し、じゅんじゅんと教え諭すようにされています。そして、耳で法を読むこともできます。外で集団煉功することは、一石二鳥であるとともに、事半功倍(じはんこうばい)で、堅持しない理由はどこを探してもないでしょう。
以上は、私の最近の体験と悟りです。不適切なところがあれば、同修の慈悲なるご指摘お願いします。