師父の按排は何よりも大事
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 【明慧日本2019年12月27日】病業を乗り越えている多くの同修は、その関を旧勢力の迫害だと思い、徹底的に否定し、力を入れて発正念をし、関を突破しようとしています。すぐに乗り越えられる同修もおり、時間をかけて頑張って乗り越える同修もいます。しかし、乗り越えられず、肉身を失う同修もいます。一部の同修は病業の症状が出てきた時、それは師父が自分の身体を調整されるため、或いは自分の功が伸びるために現れた現象だと思い、師父が全てコントロールしておられるので、すぐ乗り越えられると思っているのです。しかし、私はずっと疑問がありました。それは天目が閉じている修煉者は、もし病業があれば、自分がどういう状況かを、どうやって判断するのでしょうか? もし判断が間違っていたら、関を乗り越えることについて、良くない影響を与えるのではないだろうかという疑問です。

 ある日、心臓が辛いと感じました。以前の私なら、これは邪悪の妨害だと思って、すぐ発正念をして排除しました。しかし、そのとき、私はちょうど一つの心性の関を乗り越えようとしており、自分の心の容量が足りないので、私の容量を拡大するため、師父が按排された関ではないかと思いました。このように考えると、その症状がすぐ消え、その関もすぐ乗り越えることができました。師父が按排されたことだから、乗り越えられない理由はないでしょう。そして、私はもう一つのことに気付きました。それは、もし師父が按排されたことだと認識したら、その症状自体が、重いか、酷いか、辛いか、いつ良くなるかなど、あまり気にせず、心理的な負担はありません。

 しかし、私は病業の関に関して、師父の按排か、または旧勢力の按排かについて、どう判断すればいいか分かりませんでした。ある日、学法する時、「病気だと思えば、本当に病気を招いてしまうかも知れません」[1]、「煉功者としてあなたがいつも病気のことが頭から離れなければ、それは、求めること、病気を求めることにほかならず、そうなると病気が本当に身体の中に侵入してきます。煉功者としては心性が高くなければなりません。いつも病気ではないかと怯おびえる必要はありません。病気を恐れるのも執着心で、同じように修煉者に面倒なことをもたらします」[1] の所を読んで、私は突然、自分がどう思うか次第でその結果が変わり、ポイントは自分がどう思うかだと悟りました。このように考えれば、魔難や関に遭う時、自分の考えが一番大切で、それが関を乗り越えられるかどうかのキーで、自分の修煉状況の現れであり、その考えがどうかで結果が決まるのです。

 病業以外に、中国国内で共産党が大法弟子を逮捕するとか、強制連行するなどの現象も、病業を乗り越える理屈と同じです。共産党が国内安全保衛部門や警察などを操って大法弟子を迫害する時、うまく逃れる同修もおり、ドアを開けないで抵抗する同修もいます。さらに、厳しく国内安全保衛部門や警察に、その行為は違法だと指摘し、関を乗り越えた同修もいます。しかし、連行された同修もいます。連行されて、次にどのように対応するかも関を乗り越えることです。一部の同修は、その人達が師父が按排され真相を聞きに来た人だと思い喜んでドアを開け、心を込めて真相を伝え、最後に警察官や、来た人が大法弟子の行為に感動した例も多く、さらに三退して、大法弟子を守る警察もいます。

 もしあなたが、あなたを捕まえに来た人達が単純に法輪功の真相を聞き、救われることを求めていると思う時、その関について、「身体は辛いが、旧勢力の妨害だと思わず、師父が私の身体を調整するため、或いは功が伸びるための現象だ」と思えば、恐怖感や心理的負担がなく、師父もあなたを見て、あなたにもっとも良い按排をしてくださるのです。

 しかし、やはり一部の同修は心配があります。師父は救われない人がいると説かれました。もし、来た人が救われない人なら、いくら真相を伝えても、その人は信じないので、危険な結果になるでしょう。しかし、あなたがとても強い正念と正の場を持てば、その人達はあなたの空間場に入ることができません。入っても、あなたの強い正念によって話した言葉に驚いて逃げてしまいます。根本的な原因は、外でなく、あなた自身の内であり、あなたが強い正念を持っているかどうかが問題です。

 師父は、「邪念を起こして、良くないものを追求すれば、それが助けに来て、あなたの修煉が魔道に入り込んでしまうという問題が起きます」[1] と説かれました。実は、邪悪の迫害を怖がり、あなたを捕まえて来た人を邪悪と見なしてしまえば、あなたは良くない物を求めることと等しいので、旧勢力の迫害の条件に合い、旧勢力が自分のやりたいことをやるのです。もし、自分を主役のポジションに置き、大法弟子として、一思一念でマイナスの思惟を排除し、さらに旧勢力の存在を認めなければ、本当にこの境地に達すれば、迫害自体がなくなり、身体の面にしても、安全の面にしても、全て師父が按排された天に通じる道なのです。着実に修煉してこの境地までにたどり着くことができれば、このような考えを持つことができます。

 師父は、「旧勢力が押し付けた魔難の中で正しく歩むことはなおさら難しいことになり、特に中国大陸の大法弟子は魔難と迫害の中でその一念が非常に大事になります。しっかり行なったかどうか、迫害されたかどうか、正しく行なったかどうか、どこまで迫害されたのかはいずれもあなた自身が歩んだ道、頭の中で考えたことと直接関係あります」[2]と説かれました。

 私たちは自分の一思一念をさらにしっかり修めて、自分の正念を純正で、師父や大法への信念を金剛のように固めることができれば、邪悪の迫害を最大限に減らすことができます。最後の貴重な時間をしっかり利用して、もっと多くの衆生を救い済度しましょう。

 個人の悟りなので、不適切なところがあれば、慈悲なる指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子とは何か

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/12/9/396811.html)
 
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